(8)誘拐(かどわかし)
ところ変わって。
南街と、色街がある東の水落ち街とのあいだ。
テスズ・デイは息をひそめて通りをうかがっていた。喉はからからに渇いている。
これはいつもこの仕事をするときのくせで、テスズは慣れている。
「赤呑み」に協力して、なにがしかの者を取りおさえるとかいうとき、場慣れしていない年少の者なんか連れていくのは、と、考えるのが、このウヨウの自治にあちこち走りまわる集団の考えかただったが、逆に、出してもかまわないと思う時と人がそろったなら、大きな経験を積ませるというのにためらいがない。それも事実だった。
はじめての現場に出張ったとき、テスズはいくつかの失敗をしながら、「それでもこいつは見こみがありそうだ」と、ひとつ、ふたつは見られるところがあった。そのため、その後もぜひ手伝いをしてほしいと、いくらも自分より歳のいった大人から、その立派な頭を下げられたのだ。
その心意気には感じ入った。何度か現場をかさねて、この仕事が必要とされる理由も、それなり痛切に感じとった。
仕事に対する情がわいたのだ。
「それならば自分が!」と、いう気にさせられたといえる。
とはいえ、テスズに任されているのが、他の老練な人がかばいにはいれるところであるのも、また確かだ。
小丈夫、小丈夫と、胸の中でくりかえす。小丈夫、は、ウヨウではよく歌われる童歌で、べつに心細くなり、童心をなぞったというわけではなく、この歌を歌うのは、子供と色街の妹女しゃまたちである。俗な感情と、青臭い少女のはずかしさを頭に送りこむと、テスズは不思議と冷静になれる。
ひっつめた髪が、地駆ける市歩の頑丈な骨でできた髪差しで押さえられ、その市歩の尻尾が垂れるように静まっている。市歩の前歯のむき出したぶさいくな顔に似あわず、つややかな体毛と尻尾の毛は、女性を形容するのに使われる。ただ、テスズは子供のころからこの髪型でやっていたので、「歩骨」「歩骨」と、ウヨウの方言でからかわれた。
実際、強く敏捷な女という意味で、なかば陰口として言われるものではある。
歩骨。
ばねがあって、速く力強い。
手にしている長刀の切っ先が、悪党やらを前にしなければならないときに、そうであるように、テスズも願っている。やがて、テスズの肩がぴくりと跳ねた。
「待て!! そっちだ!」
と、やや遅れ気味に聞こえたするどい声とともに、人影がざっと、通りを駆けていく。テスズはそれを後追いするかたちで飛びだした。
人影の後ろからは、まだ見えないが、追っている人が。そして、この先には、待ちぶせして、人影の前に飛び出す人手が配置されている。
テスズは後ろから追って人影を囲む役だった。それも囲いの後ろのほうに、下がって囲まなければならない。
人影は速すぎて、通りすぎるだけでは、確認できないが、後ろについて追うと、それは男であるのがうかがえた。
短髪の赤っぽい髪に、ボロボロにすりきれた服。鉱山労働者じみていたが、身のこなしは速い。
その手が動くのが見え、テスズは、一瞬、男が何をしたのかわからなかった。目が、判断を待つことなく、男が走り去る先で、横の家から立てかけられた木材の束が道に倒れ出てきた。
(ええい!)
と、テスズは前に手を伸ばしながら、木材をあわてて避けた。間一髪、転ばないが、男はその間にも間を空ける。
ちらりと後ろをすばやく確認して、テスズは足をゆるめずに追った。
男が唐突に、道を右に折れ、その先は、と、テスズは反射的に思った。曲がり角から、身体をはなしながら、曲がった先が最優先で目に入るよう、さっと、視界を確保して道を見る。
男が思ったより近くに立ち止まっていた。テスズは足を止め、男から距離を取った。腰を落とし、長刀の切っ先を身体の前より左膝下方向に、落として構える。
赤い頭髪。道の前に二人、赤呑みの人員が塞いでいた。一方は若く、一方はやや年嵩である。
テスズの後ろからは、さらに二人が来ている。
一対五。男に勝ち目はあるまい。
テスズは、男が剣を抜き……流派は、赤土剣術のどれかのようだ。すると、アカヘビの国の生まれの者ではあるのだろう。
目立つほどの飾り彫りのない直剣。柄の下から、黒い飾り紐が見える。赤土剣術の特徴であるその剣に、男が手を添えて握りこんでいる。
抜剣を見たとき、テスズは嫌な予感がした。
それは、男の前を囲んでいた赤呑みの人員も、思ったようだ。テスズは若いし、豊富な経験がない。その目に見ても、男が剣を抜く手が鮮やかで、手練れをなんとはなしに感じさせる。
男は片手で直剣を握り、もう一方の手に短い短刀を握っていた。それを顔の前に上げ、直剣は下げ、腰を落とし、足はやや広げている。双剣ということか。
テスズの横に、赤呑みの人員のセソンが、テスズの脇から前に出て、二つ分ほど前にもう一人の人員が。
並んだ直後に異変はあった。がん! と、一合の音が鳴った。大きかった。テスズのすぐ近く、右横に並んでいた、セソンに男が斬りかかったのだ。
目にも止まらない速さだった。ばねでもはじけたような。その速さは、知覚できてはいても、意識ができないたぐいのものだった。
その場の全員の隙をついて動いた。そんな動き。
セソンは斬撃を受け止め、ほぼ同時に続けて打ちこまれた蹴りを、右膝で受けていた。が、男の動きは目にもとまらず、反対から跳ね上げるような斬撃が、セソンの肩を斬った。
「ぐあっ!!」
ひびく苦鳴。テスズは、総毛立って、長刀の持ち手をさっと身体に交差させた。その上から、男の蹴りが叩きこまれ、テスズの身体は浮いた。
そのまま景色が高速で流れた。次には、水の中に落ちていた。
(なん……なの!?)
テスズは防衛本能と、すぐには男が来ないだろうことを交互に走らせた。水から顔を出す。音が戻る。しかし、罵声(気合いの声を、そう聞いたのだろう)が聞こえ、ギン、ガキン、と鉄が食い合うときの音がしただけだった。テスズは水路から、必死になって上がった。どれだけ飛ばされたのか。胸板のあたりが、感覚を失ったようになり、昔、ヨハナと遊んでいて指の骨をへしりと折ったときのことを、思い出した。ぞっとしながら、重たくなった全身を立ち上げる。が、よろめいて、進めなかった。
男は逃げてしまった。
テスズがあずかり知らぬあいだのことだった。
商工会。
会議所建物。
ウヨウの商工会は、アカヘビの国内における商人の寄り合いがそうであるように、半官半民くらいで経営をやっている。
他国がそうである例に漏れず、形のない「商品」を左右してその手間賃で日銭をかせぐ商人というのは、基本侮られがちであった。そのため商人は商人で、職人は職人で寄り合い、自らの地位向上をお題目であり、必至の命題としてかかげる集まりが発足した。商人は金をもって、職人は権威を以て「官」にはたらきかけたわけである。
ウヨウは、労働者と職人の街であった。
このため、なおのこと商人はせこい奴……ウヨウの方言で言う穴尻熊のほら穴と悪しざまにののしられたが、街が発展し、商売が拡大すれば、商人は富をにぎった。
労働者は野蛮であるから、腕力でもってこれを奪いかねず、職人は威厳を以てこれを奪いかねず、商人は自衛のためにも自らの位の向上を目指さねばならなかった。とはいえ商人だって、理屈を以て労働者や職人の富を奪いかねないものであったから、職人や労働者が、商人がやるならば自分たちも、と結束をつよめ、外敵内敵である商人を排するのは、自明である。
結局、そのあいいれないあいだを橋渡しするため、商工会という形で官が合間にはいり、商(商人)と工(大工、職人)が折衝する場として、あらたな寄り合いをもうけた。
そのため、この会議所建物に集まる商と工の代表人たちは、いつもどこかぴりぴりしている。
まあ、人間であるからそこはある程度うまいこと融和する者もいて、酒やごく簡単な宴席で、人間どうしを繋ぎ止める関係も当然あった。
「次に、ごく最近、菜の都からの盗品の丹塗りが持ちこまれておるという件についてだが……」
「けしからぬ。自治警の取り締まりはどうなっている?」
「そう頭ごなしになさいますな。赤呑みは慢性的に人手不足じゃ。役所を頼み、連携を強めていくよりやりようがあるか?」
「しかし菜の都の丹の出来は見事じゃ。あんなものを安価で流通させるなど、国が熱心なんかい」
「今の大臣が塗り物に熱心な好事家で……」
「失礼します、商会長……」
「失礼」
ウヨウの商工会……「衆工会」の議長は商会長で通っている。壮年の男で髪は長く、永く似他来教でなく精霊天地の大獣を崇めるウヨウの田舎信仰の人らしい。
実年齢を言うと驚かない者はいないほど、若々しく、引き締まった体躯に、しかし、実は短衣の下の腹はやや出ているのをひっそり隠している。
壮年としてはこれもやはりがっしりとした体つきで、ともすれば威圧しかねないところを、ふだんはにじみでるような温厚さと笑顔で、年相応の上品な威厳にこれを変えている。
会議所は古く、多人数でやっていなかったころから変わらぬせまっ苦しい会議部屋で、各人が流行の軽い竹打輪など扇げるものを持ち、十人ばかりがやっと囲める角卓にあつまり喧々がくがく。
窓はいっさいなく、春頃にしてはちと暑い今日などは氷が部屋のすみにひとつ置かれてある。
ぜいたくなことであるが、ウヨウでは元から氷の文化は一般的で、山河が近く鉱山が密接であったことから、冬に氷を産する洞窟が豊富にあった。
もちろん軽々しく使えるものではないにしろ、冷気のもとにちょっと置くくらいなら十分で、街の周辺を囲むように水路を引いた氷室もいくつもあって、そこから次々持ちだしてこれるのだった。
話し合いから一寸はずれて、商工会の側近から報告を聞いていた商会長は、二言三言、鋭くささやいて指示を飛ばした。側近は、礼をかわしてさっと部屋を出ていく。
「役所の腐敗にゃ困ったもんよ」
「今言うことか。ともあれ、こないだの余所者の両替商の件だって……」
「それは鼻泣き薬のせいじゃない。連中の商売のやり方が乱暴なのもある」
「監視を設置してみちゃどうか」
「そんなもの、役所も赤呑みも、人手が足りるまい。今でもひいひい言ってんだから」
「商工会で大々的に人手を募らにゃならんなぁ」
「そう簡単に集まるかい。そういや、副長のゾンシーは近く孫が生まれるらしいぞ」
「片手間の長ばっか集めるから老朽化すんのさ。屋台骨がしっかりしてなけりゃ、家も組織も立ちいかん」
「こんな田舎まで小銭稼ぎが来よるとは世も末だな。こないだの待機場の事故の件だが」
「その件は、労協のカイシアンに話を通してある。そちらにくわしくは聞いてくれ。詳細はまだこっちまで上がってない」
商会長はそう言いながら、議論と話し合いとに加わった。
ウヨウはもともと田舎になる。
土着の信仰の色が濃いのもその一端だが、たとえばウヨウのやや南にいったところにはライコゥの都会がある。このライコゥは、もともと大きな戦ごとの拠点として端を発したのが由来で、この街も大きな湖の湖畔にある。アカヘビの国随一の商都であり、街並みもひときわ発展して派手で洗練がなされ、住人は娯楽と投機をわきまえている。とにかく金が集まり、集まって流れ、流れからこぼれて湯水滝壺のように人々に注いでいるような都市だが、商都ライコゥに対して、ウヨウは湖丘の街ウヨウと呼び慣わす。決して第一に湖畔の街ライコゥとは言わない、もちろんそう呼ぶ場合はそう呼ぶが。
それは否が応にも比較であり、このためウヨウは街の住人の劣等感が強く、伝統と詩吟を過剰に重んじるところがあって、多少「古臭い」ともとれる親子父祖子孫のやりとりがかわされていることも、実はある。都会など治安も繁忙で、商売も多岐繁雑にいたるところは彼らも分かっているし、なんなら商売でライコゥに多分によりかかる町外商人についたり話したりする商工会の面々には、街の住人には身につかないことも解っている。それでも人の感情というのはやっかいなものだった。
染みついた田舎者根性というのは、あらゆるものに顔をのぞかせる。あるいはその動きの鈍重なのをのどかとか優美とか言い、あるいはのろまとか不断と人々は言ったりした。
商会長と集まった面々が、そののろまで不断であるかはさておいて、やがて話し合いを終えて、わずかばかりの雑談をする者を残して、何人かが急ぎ足で自分の店と持ち場へと帰っていった。その後。
「人は集まったのか」
「まだ参集しております」
うむ、と、商会長はうなずいた。
「最悪、場所がわかればな」
「冗談でしょう」
「こういうときに老骨はむちうつものさ」
「ともあれ、スナツキ・フォーレンに伺いを立てるしかあるまい」
「あの御仁は気分屋だがな。気分屋は、信用してはならんさ」
商会長は、向かい合った議会の代表、センジュ・アダークルに言った。センジュは商会長の笑みにむっつりとして返さず、口もとがちょっとだけほどけている。
大柄で、背の並みより少しあるくらいの商会長と並ぶと筋骨隆々とした身体が際だった。
これだけ恵まれた体格でいながらも、センジュはウヨウの人としては珍しく武技のたぐいはからっきしだった。ふだんは小さな虫も殺さず追いはらうていどには気がやさしい。が、商工会のなかでは果断で通っており、四十はじめという年齢からいっても、商会長の次の人はこのセンジュではないかとも周囲に認識されているのだった。
「虫や猫には優しいが、人には容赦ないぞ」
と、陰口半分言われている。
その激しい判断を下しそうな目を光らせ、朴訥と口を開く。髭がつるりとしている。
「怪我人が出ている。赤呑みの血気盛んな連中はおさまらん。しかし、ただ者ではないとのことだ。あの連中をして」
「きっちり怪我で納めているか。あらくれにしては親切なこと」
「なんの、見せしめじゃ。関わったらこうして帰すぞとか、次は帰さんとか、なんとか。そうに違いあるまい」
「そのように赤呑みが言っていたか」
商会長は、もう一人同席している、というよりは立っている赤呑みの副長の一人(副長は、隊長の元に三人いる。平時は二人が副長代理と言う身分。応時は副長格と名乗る)、ティマズ・デイが生来の細面に厳めしい古傷の入った顔を「はっ」と、首肯した。正直な男だ。商会長は、その正直さにやや口元をゆるませてうなずき、「役場にも助力は募ってある。人手のないときに、彼らの助力はこのうえない」と言ってのけた。
「役人がそんなに動けるかなぁ」
「彼らは彼らなりに命をかけている。そうでないなら役人はやっていない。ただ融通がきかないというだけさ」
「そう信じよう。私も彼らが言うほどあてにできんとは思っていない。これでかたづくことではないかなと思っただけだ」
「うん」
商会長は言うと、ティマズに、戻ってよい、と伝えた。ティマズは四十前にしては老けこんだ顔を謹直に下げた。足早に去っていく。
「誘拐にしては……」
「うん」
「男らの一味が、まだ他にもいると推測が上がっている」
「推測の段階ではなぁ」
商会長はわざとのんびり言った。
センジュは肯定した。
「そういや。お孫さん、髪切りだってな?」
「ああ。女の子さ」
「祝い事だよ。万が一のことがあっちゃならん」
「それはそうだろうな」
商会長は言った。が、その目は笑っておらず真っすぐだった。底知れない、緊迫した計算ごとの感情も出ていて虹彩が濃かった。




