(7)赤呑み
龍と、よばれる信仰がある。
龍はリュウとも呼ばれ、長大な獣である。長い首、大きなあご、天に向かって下顎から突き出ている長い牙。その牙が一対かそれ以上有し、胴体は巌のごとし。体毛と鱗を同時に持っていて、獣か魚かの区別もつかない。
一説には体毛は顔にのみ生える。アカヘビの国よりも大きく、大地に匹敵するとも言われ、皮膚にやわらかい部分はなく、陸鱗のような尻尾を垂らし、五本の脚にて挙立すること、人が思い描く中でもっとも立派な山獣の足にまさる。
この五本の脚というのは、もともと、最初に創作した人々のうっかりかなにかで一本多く足されたかしたか、とは言われている。そのため、後世には、一本、脚を欠いた六本足の獣の姿でも伝えられるが、そもそもは五本である。
信仰と言うが、今はアカヘビの国も似多来教が主流である。
このたくみな布教行為を得意とした人々はアカヘビの国の西より去来し、アカヘビの国の以北以東に大きく広がった。そうして、どうしても折り合いのつかない信仰とはその地で習合した。
龍の信仰は、その立派な一対の髭に秘される。
龍の身体や首にぐるぐると巻きついて恐ろしげにのびるこの長髭は、ナキ湖にもつながる長大優美のサンカの大河をあらわす。
巨大なる龍の髭があらぶるとき、大河も荒ぶり、洪水となって野山や里にとっぷり襲いかかるのだ。
龍のかんしゃく、と人は言い、やがて御子を立て龍をまつり、その癇癪をしずめたもたれやと祈りをささげた。
龍の信仰は広大で、アカヘビの国なら差はあれど、どの土地にもあった。
この信仰は一部の長剣の柄などにもあらわれ、龍を模した細かい彫刻などを入れ、その力の加護にあやかるといった風習が、一時期、流行った。
フォドレーの持つ長剣の柄にも、龍に似る陸鱗の皮革が一部に巻かれて光り、柄頭には龍の頭部……長大な牙の部分は動作のさまたげになるため、大幅に簡略化されて彫られている、の飾り彫り。
それでいて渋くおちついた塗りがかけられ、派手さを感じさせない。
が、フォドレー本人はよく目だつ。その様だった。
そのフォドレーは今、どこか釈然としないようにも見てとれる横顔をさらして、通りの茶屋に煮られた茶をもとめている。
春の陽気には、熱い茶よりそろそろとびきり冷たくした茶がほしいころだったが、場所がらせいぜい水を求めたほうがいいところだった。
「ふぅ」
と、声にもならない息をついたフォドレーは、なにか察して近づいてくるヨハナに目をやった。
ちょっとおどろいたように、青い瞳がまたたく、が、普通はこの場面であればぎょっとするのは急にこちらを見られたヨハナだった。
(かんのするどい旦那だな)
と、ヨハナはおどろきをかくした顔をしながら、フォドレーに目礼して、かるく小走りに近づいた。
「ゲマルク太人。よかった、その、ご無事で?」
「無事? ああ。いいや。まずは、すまなかった。そう言うべきだな。君には無礼なことをした」
「無礼ですか?」
「ああ。申し開きもない」
「そんな大形な」
「君が気にしていないならいいが、それも勝手だろう」
フォドレーがあっさりと頭を下げてくるので、ヨハナは上げるようお願いした。もっとも、謝ったフォドレー自体はそこまで重大には思っていないようで、筋道を通したかったらしい。
とまれ、ざっと何が起こったかヨハナに説明がてら、茶を頼んだ。ヨハナのぶんということらしい。
「私には幸いと言うんだろうが、まあとりあえずは何もなかった」
と、フォドレーは言った。
が、気になることのほうがいまはあるらしく、「無事」というヨハナの言葉に反応しかけたのも、ヨハナが発したためというより、ちょっとその話に過敏になっていたためらしい。
ようするにいらだっていたというところだ。今のところ怒るといった姿から縁遠いように見えるが、ちゃんとそういうところもあるのだな、とヨハナはかくれてほっとした。
あの後、フォドレーの身には、次のようなことが起きた。
ヨハナを帰し、急ぎ足でフォドレーは二人を追い、聞きこみしながら進んだ。
二人ともを、街に来て日の浅いよそ者か、旅の者ではないのかと目星をつけていた。
実際、その読みは当たったようで、二人ともその場をはなれたものの、行く当てはなかったらしい。
またよく目立った。
聞きながら進むと、ほどなく、二人が対峙している場面に出くわした。人気のない路地であった。あたりは建物の様子も年季が入っていて、その住民同様、多少がたが来てはいるものの修繕しながらだましだまし使っていそうな家並みがあり、変わっているのは対峙している二人以外の人間が数人いたことだ。
数人は、二人を取り囲むように配置して立っており、訓練された人間のようだった。また、実地でこういう場面に慣れているようでもある。
まわりには人払いされたかのように、のぞき見ている人は一人もいない。せいぜいフォドレーが成り行きを見守っている。
二人を囲んでいる数人は、フォドレーの気配に気づいてフォドレーを見やったが、じろじろと見てから、無言で二人に視線をもどした。
感じの悪い雰囲気であった。
「失礼した。これ以上争うつもりなら、お二方は監視におくか、この場で怪我をしてもらうかになる」
「剣呑な話だ」
「剣呑と、斬りあいをしようというのより、穏便だ」
「たしかに」
応じているのは年嵩の男のほうであった。若い禿頭の男のほうは、口をきくこともなく、背後にまわったこの不審な連中に、注意をはらっている。
「あんたらは役人でもなさそうだし、無茶もしそうだ。わかった。私はやめる」
「そちらの御仁は?」
「……よかろう」
禿頭の若い男が言った。観念したように、両腕を脇に下ろしている。その気になれば、その場の全員を敵に回しても斬りあいそうな気性の激しさが、言葉のはしにはあったが。
「では、すまないがこれに」
囲んでいた数人のなかから一人、敏捷そうな小柄の(数人のほうは、全員かぶった傘で顔を隠していた。歳も性別も分かりづらい)者が、歩み出て、地面に木札を置いた。二つ。
「おのおの、名前を書いていただきたい」
「すまないが、文字には暗いため、書けぬ」
「それはすまなかった。口頭で述べていただければ、こちらで書きとめる」
禿頭の若い男に、数人のほうの一人……さきほどから喋っていた。声からして、それなりの歳の男に思われる、が、つけ加えて言った。
禿頭の男は、なにかあきらめたようだった。
二人の男の名前が、木札に記された。
「では、御免」
数人は、木札を受けとると、おのおのの方向へすばやく散っていった。
二人の男がぶ然として、別れていく。
おそらく、行動を監視されていることをもう完全に悟ったのだろう。殺気は消え去っている。
殺気とはいうが……要するにやる気だ。命をかけて命を取る気。身体をその態勢に移行した者の気配、歩運び、言動、視線の動き。
それを読みとることができたから、フォドレーも、「この二人は嘘を言っている」「嘘とはその場しのぎのことという意味だ」「まだ殺気がある」と、見て判断できた。
一方で、二人を囲んだ連中からは、それほど多くのものが読み取れなかった。何者であるかの予想も立ちにくい。フォドレーに、情報がないからだった。
だが、彼らが一様に、自分を見て、見たことのない人間、おそらくは役人、つまり今日にでも赴任してきた人間で、それは問いたださずとも調べればわかることと判断した、というようには察せられた。
彼らはフォドレーを放っておいた。
「それで、のこのこと帰ってきたわけだが」
「でも、なにもなかったのはいいことですよ」
「そうだな。君はいいことを言うな。まったく、それが一番だ」
「どうも……」
「すまない。からかったわけじゃない」
「本心だよ」と、フォドレーはとりつくろった。
しかし、と、残った茶を目のはしに見るように、ぽつりと言った。
「思ったより物騒な連中がいるようだ。……このぶんだと、あの噂も、本当だったかもな」
「……」
「まあ、悪どい集まりではなさそうだがな」
フォドレーは、ちらっとヨハナを見た。ヨハナは、けげんに目をぱちくりさせた。
フォドレーは茶を飲みほして、茶屋に器を返した。使った器は、茶を入れた大きな釜の横に横並びで並べられ、列を作っている。
「特徴的な土だな。この町の特産かね?」
「ああ。赤呑みです」
「赤呑み?」
「この町の名産品というか。質のいい赤い土で焼いた器を言います」
「赤土ね。それで赤呑みか。なるほど」
言うフォドレーに続いて、ヨハナも飲みほした茶碗を釜の横の卓に置いた。卓には筵が敷かれており、その上で、からからに乾いた碗が砂ぼこりに汚れかけている。
「それで、次はどちらへ?」
「うん。そうだな」
フォドレーはちょっと笑った。その笑みは、やや人が悪そうなものだった。が、言うことは、無難だった。模範的とも言う。
「もう少し町を案内してもらいたいな。きっと買い物なんかももっとすることになるだろうから」
「じゃあ生活品が買えそうなところに……」
「そうだな。頼むよ」
こちらです、太人、と、ヨハナは市場や織物の店があるほうへと、フォドレーを案内した。そちらでは名産の赤呑みのほかの焼き物、鉄や銅を使った釜や鍋、刃物、それから珍しい武器の店なんかも開いている。




