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硫黄とサンダーボルト  作者: ジ・エモン


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6/6

(6)人殺し





 今よりおよそ三年前。

 場所はアカヘビの国のなかのどこか、野道の途中。ウヨウからは二週間も徒歩で歩いた場所であった。



 ヨハナ・ツェツェーリンという娘は、旅の道程にあった。非常に腹が減っていた。疲労してもいる。

 疲弊といってもいいが、困ぱいで、それというのも銭もないのに若さを頼んで旅を続け、野山で狩りもして獲物を見つけ、春の温さが夜をつつんでくれる季節のなかをひたすら歩いていた。

 目指すのはまだまだはるか彼方である。

 その場所は、ヨハナの記憶にすでにある。師には内緒にしたまま出てきたが、かすかな記憶と、両親の言葉、大きな屋敷、花の匂い。

 犬 (キィン。毛むくじゃらでよく吠えるもの)の吠え声。友達のはしゃぐ声。むずがるヨハナ。なだめる使用人。洗濯物の苦く新鮮な泡泡のかおり。白く日射しをたっぷり吸いこんだ三歩の乳のような敷布。竿に止まった伊知羽シッチャ

 家名いえの名前とともに、さまざまな情報が、ある日ヨハナの脳になだれこむように思い出された。薄い皮膜をやぶったような芽ばえであり、同時に途方もない鉛の天井が頭に迫った感覚でもあった。それでも、やはり。

 やむにやまれず、庵を発した。齢、十四。無謀であった。

 それでも持ち前の健脚でここまで来てしまったが、来てしまったものは仕方がないとも思っていた。足が動くかぎり行こうとも。

 しかしその日はなにもかもうまく行かず、せっかくつかまえた翼兎とりにも逃げられ、周囲はさびれ、食べられる草も見つからない。

 おまけに少しばかり腹も壊していた。身体だけ洗い、やつれたほほをかかえて焚き火のそばに寝こんでいる。

 雨はさいわい降っておらず、露天であった。軒も洞窟もないようななかで、雨露をしのぐすべも、すでに旅のなかで学んでいる。半分は師の教えである。剣の師となった師匠は、ヨハナに剣を教えるなかで、山河やまで、どのようにしたら人間が生きられるか、そのために何をすべきか、何に気をつけ、何に注意をはらい、何を考え、何に慣れるべきかを、ひとつずつ丹念にねちっこく教えた。ひとりで立つものであってこその剣の道、という、師、一流の(不遜であった)心得と天然自然のこだわりだったが、ヨハナは受け入れ水に浸した真綿のようにみるみる吸収していった。素地がある、とした師の見立ては正しかった。洗濯を一人前にこなせるようになったころ、ようやく、師は本格的な剣の道を教えていた。

 こうしてろくに眠れもせず、くるまって寝ていると、寝ずの稽古が思い出される。師が自分の師から受けたこともある、剣術のやや古い鍛錬で、一週間か十日あまり、師とひとつ屋根の下で起居する。

 そのあいだ、自分でこしらえた木剣ひとつをつねにわきに置き、日ごろの稽古、鍛錬を受け、寝るときは師とべつの部屋でひとり寝るが、気をゆるめると師が大きな音を立てたり、あるいは、木剣をもって襲撃してくる。これを防がなければならない。一手討ち取られたならば、正座して「おみそれいたしました」とその都度言い、師がうなずいて去るとまたうつらうつらする。

 夜通し気を張って起きていることくらい、できるのではないか、と思っていたが、意外とやってみるとむずかしい。おそろしく疲弊するのだ。眠れぬ、ということが、腹に大鍋を抱えたようである。石を飲みこむ気分で、必死にこなしたのを覚えている。

 いまもうつらうつらしながら具合が悪かった。

 が、そのときは、それが幸いした。

 眠れぬ気分であっても、目を閉じて横になりうつらうつらしていればよい。そう思っていたヨハナに、物音がどこかで聞こえた気がふとさした。

 それは、予感であったかもしれず、現実には音などしなかったかもしれず。だれかが気を伏せて、闇に視線を送っている気配は、妄想であったかもしれない。

 が、ヨハナは気にして身体を起こした。ゆっくりと、知らず刀をひきよせる。

 身体を起こそうと思いたったとき、ふと思いついて、起きあがらず寝返りをよそおった。刀はウヨウの街で調達してきた。師には、旅立ちは内緒で、生まれ故郷をめざすのも内緒だった。内緒にしていたのは、ヨハナなりの理屈はあったが、いずれも子どもの範囲を出ていない。しっかりと自分なりに考えはしたとしても、人の考えは、いつのまにか百ある人の理屈に自然と落としこまれるものだし、当然、ヨハナのごときはそうとなっている。

 どうにもぬけだせぬ、砂地獄の円い空のような、頑丈で立てば頭をぶつけ、こぶや血になる石牢の屋根が思考の上にある。ヨハナの「ごとき」ほそっこいだけの童に刀をさずけてくれる心当たりは、街の自治組織である赤呑みのそのころの副組長のズワイくらいしかおらず、実際、彼はしぶしぶ頼みを聞いてくれた。ヨハナはそれが涙が出るほどうれしく思い、街を出てぼろぼろ泣いたのを覚えている。

「その刀は、孫娘への守り刀にしようと思っていたが、娘は夫に余裕があるし、新しく打ってもらうという。じゃによって君にやる。同門のよしみだ」と、ズワイは言っていた。

 そのとおり、刀はよく切れそうで、またほどほどになまくらだった。捨て刀とも言う。この刀は、海の向こうの古流が生まれたところでは、戦に用いるようなものだという。全身を重い甲冑で武装した兵士を相手に、鎧のすきまをとおして差しつらぬき、殺して首を刈るという。

 ズワイの顔が思いうかぶ。同門とは言うが、同じ古流というだけで、ヨハナとズワイの修めている剣はちがうものと言える。

 彼なりの照れかくしと、自然な他者への思いやりであろう。

 ヨハナは闇にかくれて、刀の抜き口を指で少し切り(握りと刃のあいだにある鍔をおしあげること)、気づかぬふりをした。

 ひとつ。

 何もなし。

 ふたつ。

 梢のなにかが落ちる音。

 みっつ。

 草の葉のこすれる音。

 よっつ……いつつ(イン)。

 ヨハナはすばやく身を起こした。

 指が動揺ではねていた。間髪いれず、寝ている自分の鼻先ほどまで指をのばしていた相手に、踏みしめて斬撃をはなつ。

 相手はかわし、飛びすさっていた。ヨハナは若さに任せて、ぐっと布を押し上げるように間合いをつめた。刀を振る幅が、闇に描かれた。その予測に従って、ヨハナは相手のふところに入りこみ、小柄をたのんで、顔のあったところを薙いだ。

 刀が岩にがちあたったように、はねかえり、軌道を変える。ヨハナは踏みとどまり、身体の前に腰を落として柄を立てた。刃先が気ぜわしく揺れ、さらに飛びすさることはせず、その場に剣をかまえた相手にぴたりと据えられた。

 ふう、と、ヨハナはなんとか呼吸をした。構えたまま、ふと「私は」と、口をきいてみた。

 相手は反応しなかった。小柄である。また、男であるようだった。中年か、もっと年かさか、いずれにせよ若くはなかった。頭は短い頭髪が散らばっており、月光がわずかにさして、そいつのあごひげを見いだした。ざんばらで一見、狂人のようだった。


(まさか狂人?)


 なら、話は通じない。


「旅の者です。あなたにさしあげるほどのものは持ってません」

「子供か」


 しわがれた声が言う。


「ろくに食っておらんようだな。それに、ちょっと病んでいる。腹に力が入らんだろ。まあ、好都合だが」

(だめか)


 ヨハナは思った。月の光と、男の影を見ながら足を踏む。ざっと、つま先からしびれるような痛みが走った。焚き火の灰につっこんでしまったらしい。ヨハナは眉を動かして、声をこらえた。ゆっくりと、さらに、円をえがくように右へと移動する。男は、斬撃でこちらを甘く見れないと思ったのか、踏みこんではこない。時折、肩を前につっこませる……と見せかけてやめ、剣先を揺らし、こちらの反応をうかがってくる。

 ヨハナは脂汗を流した。やけどの痛み。それ以上に、耐えがたい腹痛と吐き気。

 師が言っていたのを思いだす。指一本切り飛ばされただけでも、剣には致命、あるいは、工夫して握るものもいる、それはその程度のこと。

 つまり、出血。傷から走る激痛、そういったものが無意識に動きに制限をかけ、あるいは、それが致命的な隙になるだろう。

 相手はそこを、斬りかかってくる。相手の気が変わった。具体的には呼吸が変わった。ヨハナの動きを、じっと見ていたのだろう。じりじりと円を描き、間合いの削り合いをしながら。

 鍵になりそうなのは月光だった。次に雲がかかり、男に影でもかかろうものなら。

 その影に乗じて斬りかかってくる。

 だが、呼吸がわかっていれば。

 防ぐ。

 すかっと。

 翼兎葉チエジタの実の黒めいた、ぬらりとした闇が、静かに無音に落ちていった。

 そよ風。

 ざっと、一瞬で影が除けた。

 ヨハナはふうっ、と、ひとつ息を吐いた。剣を握る手にねっとりと血が流れこんだ。斬られたところが、出血する。

 

「お……ぐ」


 刃と刃が鳴り合う音。

 も、なかった。

 ヨハナの握った刃の先端が、男の左の胸板を刺し貫いていた。闇は、ヨハナに能く作用した。

 剣と剣とがふれあう直前、極限までの集中で、相手の剣と胴、自分の刃先と相手の胴、必要なあらゆるものの距離を「見切り」、突きに転じる。

 師との寝ずの稽古で教わった型だった。それが奥義の一つだと、師は言った。

 身を捨て、身を切り、敵の肉を射抜くことだけを注力する。捨て身。

 あの一瞬、たしかにヨハナは身を捨てた。

 刃が抜けず、師に教わったことをとっさに思いだす。刃をひねる。ひねって、相手の肉を押しやり、一気に引き抜く。


「がお……あ……お……」


 ヨハナが離れると、男は倒れた。そして、事切れたようだった。心の臓を貫かれると、人は助からないが、ひどく苦しんで死ぬ。この男はもう助からない、と、ヨハナが間抜けに思っているあいだに男は死んだ。


「は……、は……」


 がちがちと、歯がすこし震えた。ヨハナは手を抑え、震えを抑え、うまいこと収まった。

 止血をしなければならない。ヨハナはもう一度、男が死んでいるのを確かめた。

 それがヨハナが人を殺した記憶である。

 齢、十四。

 早すぎるといえるか。



 それから三年後。

 現在。



 あのときのことを、ヨハナはときどき悪夢に見る。そのとき考える。謎が多い話だった。

 襲ってきた男は古流の剣士だった。あのあたりでは少ないというほどもないが、よくある話かといえば違うていどのことだった。

 襲われる原因はわかる。ヨハナはなるべく隠していたが、古流の刀をどこかで見られたのだろう。

 気をつけていた、といってもはじめての旅で小娘がやれることといったら、徹底されてはいないはずだ。事実、甘かったと思っている。人は食いつめれば、一食の銭だろうが一噛みの穀物だろうが、手段など選ばずうばいとろうとする。そう考えるまで追いつめられるなどそうそうないだろうが。

 天我ティーフアの流れなどと、学問をした者は言う。この世で人が思いがけない不幸や、なにか致命的なことになってしまう石にけつまずきでもしたような理不尽に出会うのは、森羅万物を流れるいかんともしがたい液体によるものであって、その日の天気を我になぞらえることに似ている。

 つまり、なにをするのによるのでなく、大きな流れが人に作用し、その命運を変えているのだ。

 己のおこないだけで人がむくわれないのはそのせいであって、そんなよくわかりもしないものを恨み憎しみしても仕方がない。


(でも、あそこで私に殺された人はどうよ?)


 ヨハナに目をつけたのも、小娘と見て襲いかかったのも、あるいはヨハナのせいであるとも言える。正しく、あの男をヨハナは殺したのだ。

 あるいは、天我になぞらえれば、ヨハナの不注意をさらした場所に、男が偶然いたとは言える。

 やめよやめよ、と、ヨハナは自分の思考をわずらわしく飲みこんだ。

 男を殺したとなれば、野路のことでもあらぬ疑いをかけられかねない。あのあと、無我夢中で止血してあの場をはなれ、次の街にたどり着いたヨハナは役人にことのあらましを話し、怪我の理由までかいつまんで説明した。

 役人は信じなかったものの、死体を確かめに野路をさかのぼっていった。ヨハナはとりあえずはおとがめなしで、また旅をつづけた。今度は剣をだれにも見せないよう、徹底して心がけた。二度と起こすものかという念が、人を殺したという念とともに、なにが本音かわからぬまま、なにかを徹底するということをさせていた。

 この剣と、ヨハナが着ていた衣服やなにか、これらを奪うために人が死んだのだと。

 なにか理不尽であると思うものを見ると、その一連のことが脳によみがえるようになっていた。

 自分が人を斬ったということを、師は知らない。

 知らないということを思うと、では、師は人を斬ったことがあるのかという疑念が浮かぶ。そして、知ったらどのように言うだろうかと後頭部に目がついたような気持ち悪さが、恐怖心と、話してしまえばよかったという言葉とともに去来する。

 今も言えていない。


好手柄ジァー・ホウ。よう」


「好手柄」と、ようは歓迎や、めでたいことをあらわすのに用いるあいさつをかわしつつ、ヨハナは知り合いの茶屋にやってきた。茶屋といって、雨天には覆いをかけたり、卓と椅子とをしまったりして閉じる野外にしつらえられた簡単なものである。傘もなく、通りの臭いは丸通しであった。

 茶屋に入ると、ヨハナは目にしていた人物のそばに、目配せしてこっそりと歩みよった。

 背中あわせのちがう卓につく。「好手柄」「おう、好手柄。どうだい景気は」と、会話をかわす。


「目をつけているのは?」


 と、ヨハナは短くささやいて、それから「あれやそれや」と、無難なことを言った。この場合の無難というのは、不自然には見えないようということである。

 茶を飲んでいた客、赤呑みの――「赤呑み」のべつの意味が示すように酒じみた赤ら顔の――ペイテ・デンホは、うんうん、と大きくうなずきつつ、「そちら」から見えないところで、さっと指さした手を作り、つづいて親指と小指を立てる「二」の形をつくった。ヨハナは笑いながらうなずき返した。

 ペイテの労働者みた服につつんだ腹の出た身体の先、こっそりと指したほうに、男と女が座っている。女は、女、というのも若いようで、せいぜいヨハナよりひとつふたつ上だろう。

 自然だが緊張した顔でいる。隣の男はだいぶ年かさで、白まじりの頭髪が灰との順々で、まるで雪をかぶった峰か焼け白の山肌を思わせた。

 髪は短くそりこんでおり、服装はきたなく、鉱山での労働をあてこんできたようだった。筒状にしまったそで口がすりきれていて、肘を布で補強した一見、みすぼらしい上着の下に短衣がのぞいている。襟はなく、ボタンでのどの下を少し留めるような、変哲のない服だ。

 さっと、手ぶりをしながら、ペイテが「一」の形を作った。一寸、意味はわかりにくいが、「あの二人組に、もう一人連れがいる」ということのようだった。

 ペイテが手の形を変えて、あとは普通どおり会話してよい、と伝えてくる。ヨハナは言った。


「お酒を飲んでないなんてえらいですね」

「なんの、茶も酒よ。『べらめい』。んなことより、お前さん、今日は仕事は?」

「お客さんを一人案内していたんですけど……えー。なんというか、まだ案内中になるとは思います。たぶん。きっと」

「なんだそりゃ?」


 ペイテはこれは素で言った。いろいろ複雑で、と、ヨハナは適当にごまかした。向こうの二人組が動くようだった。もうひとり、労働者ふうの男がやってきていた。

 こちらは若いようで、若いといっても二十もなかばはこえているだろうか。目深にした帽子のつばと、こちらに見えている口もとがちょっと根の深そうなしわをひとつ作っていた。

 若い男が、女になにか話しかける。女は応じたが、表情は固いままだ。目のはしに見て、ヨハナは茶をやった。やや薄かった。

 はずれだな、とごちつつ、ペイテと会話をつづける。こういうときの会話は、あらかじめ、赤呑みのあいだで指導されている。必要としない人間もいるが、人間によってあまり差が出ないよう教えられる。ヨハナも教えられたとおりにやっていた。

 運ばれてきた四角い焼き菓子をもっ、と、ほおばる。さっきまで食べていた干した飯梅の実を練りものにして、白い豆と併せて、バエ麦の挽いた生地でつつんだもので、甘味がつよい。茶によく合う。ヨハナなどは、熱いお茶にあわせるのが好きである。

 ほくほくと、雲を噛む音色で口のなかがほどけていく。三人づれになった男女が、立ちあがり、会計をすませて出ていった。

 ペイテも帽子を直しながら、茶を飲み干しもせず、てきぱきと出ていく。

 尾行じたいは数人どころではない人数でやっているのだろうが、赤呑みはやや人手不足ぎみだ。ペイテやヨハナなどにも頼らないとならないほど、と言うことでもないが、組織の性質上、さまざまな立場の構成員が必要となる。

 ヨハナも立って、ペイテと二、三言必要なことをかわした。


「仕事にもどるのか」

「今日は本当はお手伝いは休みなんです。さっき、面倒が起きたから手伝えって」


「じゃあな」と、ペイテは身にそぐわない足どりで、通りのほうへ歩いていった。ヨハナは帽子を直し、フォドレーの行方を探すことにした。

 彼女は目だつので、探すことは難しくない。





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