(5)喧嘩
ウヨウの街。
雑多な南街。
「鬼焼子!」
と、ユランは言った。タィ・ユラン、とあだ名で呼ばれている。
「悪い子ユラン」くらいの意味だったが、彼はすでに十六歳である。十六といえば、健康な成長を祈願して土地の精霊のとくに大いなるもの(ティーユラゥン)に祈願した髪を切り、親が二十一にその子がなるころに、ナキ湖の水に浸し、乾かしたものを燃して天に返す。
そうすることで子の水霊が、ティーユラゥンのふところに抱かれ、子は大人となる。
その風習により、丸刈りであった。実際、ユランは丸刈りの頭がうっすら黒ずんでいるほどである。
親が保管する切った髪はわずかであろうといいとされる。ただ、多いほうが心理的に安心するということで、そのようにする親もいる。
ユランの親は、彼が眠っているあいだに椅子に縛り、頭を丸刈りにした。
そのために食事に薬も盛ったのだ。母親の発案であったようだが、ユランには同じことだ。
この年ごろに丸刈りの頭は、親に愛されている証拠である。彼がつるんでいる親なしの不良や、家なき子、家出っ子……まあ、ユランも、半分は家出のようなものだったが……には、ユランと同じか二つ、三つ年上であっても伸ばしっぱなしで、最低限しか髪を切らない、というのをつづけている子がいる。
その子らのあいだで、当然、ユランの話は笑いものとなり、「坊主のタィ」などと不名誉なあだ名をつけさせた。ユランは憤慨した。この年ごろであるから、親の事情の押しつけなど、感情を傷つけ自尊心をはげしくぶっ叩かれてつぶされた気分にある。あるいは最悪の気分、または「小鬼霊(エーシャンテレ。悪い精霊)に川で尻をひっぱたかれた気分」と、ウヨウの方言ではいう。
いま、その「小鬼霊に川で尻を」ひっぱたかれた気分であるのは、べつにそのことではない。ついさっきの時分、西口でひったくりに失敗し(彼は失敗したつもりもなかったが、奪った財布は、奪い返された。あのよそ者、よけいなことを!)たことでもない。
幼馴染のエン・セレトクに横っ面を殴りとばされたのも、もっとも今時分に起きてきていたが、実際は、そのことでもない。不愉快ではあった。エンはその昔はいまも悪い子と言われている悪童のユランとつきあって、いっしょに悪いいたずらもした。夜の女街にいって、香水と化粧のにおいがふんぷんとする女たちに急に河津を見せびらかしたり、おそろしげな客の目がすわっているのを見て、木陰でけたけた笑った。爆竹を破裂させたときには、ついに女街の怖い用心棒(いまでもあれほど怖い人間はいなかったと思っている)につまみだされ、親が恫喝されるさわぎにもなった。
厳格な父がこの拾いっ子に、ほとほと弱った顔をさせられるのは痛快であったし、エンも同じくらい邪悪であった。それがきれいさっぱりいまは忘れはて、寺院の偉い坊主のような顔をしていやがる。
なにを、お前も一皮むけばこのていどだ。殴られて血まみれになった口もとをいまいましく罵りつつも、そう思えど心はやたらむなしい。
それというのも、エンの近くにテスズがいたからである。テスズ・デイ、あのお日っさまのような女! あいつの前だとエンは妙に肩ひじはりやがる。いいところを見せたいのは丸わかりだ、馬鹿が。
そう思うと、つい悪態が口をついて出た。幼いつきあいだ。エンが怒りそうな罵倒など、ユランには手に取るようにわかった。賢明であれば、それは飲みこんだり薄くつつんであらわしたりするものだが、ユランにはそれができなかったのだ。
結果なぐられた。
ひどく腹だたしい。腹立たしさの正体が、むなしさであることも、また腹立たしさの大きな一因だった。
ユランは立ちあがった。
また家に帰って金を持ちだしてやらなければならない。あの目はしのきくするどい母が、家にちょうどいない時間だ。
ユランがなんとなく盗み出すのに手がつけやすいところに、つい気をゆるめて置いている。
ユランにはそれがうすうすわかっていながら、気づこうとしていなかった。見て見ぬふり。お互いさまに。
「もし」
と、街の陰、ものの日陰にいたユランに声がかけられた。せまい通りだった。
ユランはそちらを見た。
「ひったくりどのか」
剣士が言った。うす汚れた旅武芸者だった。
「正流の剣士というのは、現在、国には数十人ていどいるだけだ」
フォドレーは言った。
ヨハナは目をぱちくりとさせた。手には干した飯梅の実を何個もつつんだ薄い紙袋がある。フォドレーが、めずらしがって露店で買ったのを、つきあいで購入した。おごるなどとフォドレーは言ったが、そんなわけにもいかない。
買い食いはいいのか、という話だが、なりゆき上しかたない。フォドレーも目こぼししてくれるだろう。
収穫した飯梅の実を、天日にさらして干すと、しおしおとした表皮に、ぐにゃりとした食感の実が詰まったものになる。味はしっかりとしてこぼれるような甘味があった。
「そうなんですか……?」
「ああ、つまり、正流の剣士と言われるのは、正しく正流の家柄に生まれ血を継いでいる。正しく正流とよばれる家は、すなわちアカヘビの国の先王のひとりであるカルーマンと盟約を結び菜の都から、この国に移ってきた一団の家系のみだ」
「すると、ずいぶんときびしい……」
「そうはなる。これというのも、菜の都の……まあ、私たちの祖に近い人種の考えで、血族と、一族を重視する。婚姻と実子の誕生は、血統の保存と先祖代々の特別視の継承の証明で、この特別性をもって家系の証明とする。貴族と庶民というやつだな」
「難しいんですね」
ヨハナはあまり要領をえない感じで言った。嫌味にならないようにはしている。春先の通りの匂いは、通りがかる肥の匂いがふんぷんとしていて、フォドレーが甘味を求めたのも、ヨハナを子どもと思ってつい、といったのもあるが、ちょっと匂いにへきえきしたのだろう。ヨハナは無論、慣れている。慣れているだけだが。
飯梅は一般的な果実で、口紅を産する赤土がかかわっている。クナウハの山に接する地域に多い土壌で、果樹類の栽培に適しているとして、古くから畑がすえられてきた。
この肥もゆくゆくは土壌にまかれて飯梅になる。この匂いこそ、甘味の源と言えなくもない、とすけべい絵師どのはたわむれて言う。
フォドレーは、ものを教えるとなるとちょっと歯止めがゆるい感じで続きを言った。
「アカヘビの国では独特の土壌からなる圧倒的な絶対君主制を現在、採用して、群雄割拠の時代から土地をまとめているが、金草、モウジュレ人と私たちが称する祖やそのはばをきかせる土地では、根本的に人間が住める環境というのが限られていて……どうした?」
フォドレーは言った。ヨハナに対してではなかった。ヨハナは機敏に人混みの変化を察して、「こっちです、ゲマルク太人」と、フォドレーを案内して歩いた。なにかもめごとが起こっているらしい。
前方のほうで、やや片よりに人混みが滞留している。とはいえ、行く人はきちんと進んでいて、あまり興味が高そうなようすでない。立ち止まっているのは、とくに物見だかい人か、街の外から来た人だろう。
わざと役人らに対するような敬称をもちいたのは、声高に言うことで、よけいなもめごとをさけ誘導するためだった。
どうせフォドレーの身なりから、そう思う人はいるだろうし。しかし、フォドレーは意外にも騒ぎを気にした。「すまない、待ってくれ」と、ヨハナに声をかける。静かだがよく通る声で、人混みでも明瞭である。
(たまが鳴るような声っていうのか)
夜の街の職業が言うような、下世話な言葉を使いつつヨハナは人混みに埋もれそうな頭を……まあ、背が低いほうではないのだがこう混んでいてはしかたなかった……帽子を押さえつつすすみ、フォドレーに近づいた。
フォドレーはちょうど、騒ぎが見えやすいところへ行きたがっていた。ヨハナはそこらの人を見て声をかけ、フォドレーを前に出させるようにした。
「喧嘩ですね」
と、ヨハナはこっそり言った。大きな声を出しても、だれも気にしなかっただろうが。フォドレーは長袖の衣の朱色を気にし、「喧嘩?」と聞き返した。いままでヨハナがほとんど前になっていたが、背中の上のほうにかかるほどの長さの髪を、フォドレーが明るい青と衣と同色の朱色で彩色された髪留めで、まとめているのが見える。
さらに上下とも同じ朱色一色の、やや目立つ服。ヨハナは前に立って、やはり隠すようにしたが、さすがにフォドレーの背が高い。
フォドレーは言った。
「その割には剣呑すぎる。こんなところで抜剣する気でいるようだ」
人混みに囲まれているふたりの人物に、注意をはらってヨハナに言う。いまいち、驚いているのかわかりにくい様子だった。
広場になった場所に立つのは、ひとりは壮年の男、もうひとりは禿頭の若い男だった。
壮年の男は剣に手をかけている。禿頭の男は柄を握っていなかった。が、鞘の抜き口をつかみ、鍔を少し指で上げている。特徴的な刀剣。古流のようだ。
両者の間合いは、近いようで空いていた。あまり空いているようだとよくない。斬り結ぶとなれば、いよいよはとびすさって離れるところが合図だからだ。
斬りあうつもりがないようで……ある。
ふと禿頭の男が言った。
「あの御仁、役人ではあるまいか」
「ふむ」
壮年の男は言った。頭にはなにもかぶっておらず、ちょっと伸び放題の気がある縮れっ毛が、ちろりと後ろを見やる。このとき、顔は禿頭の男にやや横向きで、後ろばかり……つまり、ヨハナたちから見て、後ろ向きに背中をむけていた。髪がうなじの上できれいに分かれており、日に焼け、しわの浮いた皮膚が色悪く露出している。
壮年の男は一瞬だけ、フォドレーに目をやったようだった。そのときヨハナには、きらりと光ったようにも見えたが、すぐ、正面をむく。
「なるほど。まあ、あまり気になさんな」
「如何」
「この街にはもっとおそろしげなものがおるだに、本当いよいよとなれば、そっちがきっと飛んでこよう」
「其方、この街に来てどのようです?」
「一週間経ったかな。そのくらいです」
「なるほど」
禿頭の男は左足をにじりこんだ。
「では、先ほどのお言葉の意味、とくとうかがいたい。店から出るときに伺ったとおり」
「あれはそうさな。すまん」
「すまん、とな」
「そうだ。私の思いちがいでした。いまこうして、たちあってみてわかりました。どうやら、こちらがまちがっておったようで……だに、申し訳ない」
「いいえ。おわかりくださればよい。こちらも、無礼をいたしました。では……」
禿頭の男は、頭を下げ、上げたときにはもうその場を辞している。集まったひとだかりに呼びかけ、喧嘩は終わりです、と解散をうながす。
ひとだかりからは、野次とも不平ともつかない声がざわざわもれ、そのまま、人がざらざら四散していった。
壮年の男もいつのまにか、剣呑な場がうそだったように、向こうへ歩いていく。二人はたがいに反対方向に行くようだった。
「ほっ、大丈夫でした。フォドレーさん、ご無事ですか?」
「無事?」
「すられたものはありませんか?」
「ああ、そういう」
フォドレーは、律儀にひとしきり持ち物を確かめた。ヨハナもぱぱっと、フォドレーから預かった荷物を確認した。
よし、と言うと、フォドレーは急に足早にその場を歩きだした。ヨハナは急いで、彼女の長い足に追いつく。
「どうしたんですか?」
「うん、見てわからないか。追うのだよ」
「な、なにかすられたものが?」
「いや、無事だ。このとおり。それより、あの二人、片方を追わないと。おそらく、あの坊主みた男でいいだろう」
「追うって。なんで?」
「止めるためだ。あの二人、今は別れたが、それはふりだけだ。まるで気がおさまっていなかった。どちらかがどちらかの不意をつくか、人気のないところで落ち合うか」
ヨハナは泡を食った。が、つとめておだやかに言う。
「『し、したって』……ええ。どうしてフォドレーさんが?」
「君には言ってなかったが、私は役人だ。それは見れば分かるだろうが、ついでに今日からウヨウに赴任してきた、治安の任につくものだ。見なければそれでよかった。だが、見た以上、見なかったはとおさない」
「ご、ご立派……」と、ヨハナ。そうだ、とフォドレーは言って、ヨハナの手に銭を握らせた。ヨハナの手をとったまんまで、落ち着いて言う。
「そういうわけだから、悪いが君はひとりで返す。これはこころづけ。とっておいて。君の仕事を邪魔してしまって、本当にすまない。案内は助かったわ、ありがとう」
「えっ、多すぎ……あっ」
フォドレーは「それじゃ」と、文字どおり足早に去った。やるとなったら速かった。そして、早かった。
ヨハナは一人残され、手のやや多すぎる「こころづけ」を見て、その場に立った。が、切り替えは早かった。フォドレーと反対方向に去る。
人気のないところまで歩いて、歩いて。
誰の気配もしないところまで来て「あーもうっ」と、愚痴った。
「仕事の信用ってのはそういうのじゃないんだってば! これだっから、お役人はさぁ!」
言う。
言ったらすっきりした。まだ帰るのは早い。それは、仕事の性質上、大ごとになるのも覚悟しているという立派なフォドレーの心がけだろうが、そこまでかかるものでも、フォドレーの手をわずらわせるものでもないことは、ヨハナもよくわかっていた。
待てばいいのだ。ただし、お役人の仕事に口を入れるようなのは仕事の決まりごとにも、常道というのにも反しているから、なにもしないが。




