雪女
中学校2年生になった俺は、始業式のときに新しい教室で見かけたクラスメートの笠井小雪のことが気になるようになった。
久しぶりに貴雄と同じクラスになれたことの方が嬉しかったが、中学校に入ってから初めて気になる女の子ができたので、俺は少し浮かれていた。
ただ、水島しずくに告白してふられたときみたいに、下手にすぐ告白して失恋するのも辛いだろうとも思った。
「お前、笠井さんのことが好きなん?」
新しいクラスになってしばらく経った頃、貴雄からそう聞かれた。
「ばれた?好きっていうか、まだ気になる程度やけど」
俺は貴雄に正直にそう話した。
「俺も同じクラスになるのは初めてやで、どんな子なんかよおわからん。当たり前のことやけど、告白するなら相手のことをよく知ってからの方がええで」
貴雄からはそうアドバイスされた。
そのまま特に進展がないまま時間が流れ、2年生になって最初のテスト期間がやってきた。この期間は部活がなくなり、勉強に追われることになる。
そんな時期の放課後、俺は部活仲間と学校の近くにある図書館で勉強会をした。
「晴男、わからんとこだらけやで教えてな」
俺は、仲間たちからそう頼りにされた。
しかしそのときに、俺は持ち帰ろうとしていた教材を教室に忘れていたことを思い出した。
「ごめん、教材を忘れたで取りに行くわ」
俺はそう言い、席を外した。
俺は仲間たちを長く待たせないように急ぎ足で学校に戻り、自分の教室に向かった。その教室に入ろうと扉を開けようと思ったら
「朝倉君とは絶対に付き合いたない」
と言う笠井小雪の声が聞こえた。そんなことは気にせずに教室に入ればいいのだが、俺は彼女たちの話が気になって、つい扉の前に立ってそれを聞いた。
俺が聞いていると知っているかどうかは定かではないが、周りの女子がへらへらと笑いながら
「朝倉君、小雪のことが好きやのに可哀想―!」
と言っていたのも聞こえた。
さらに笠井小雪はへらへらしながら
「朝倉君が私のことを⁉ありえへん‼超迷惑」
と言っていた。
「だって、朝倉君って目つき悪いやん」
「わかるー。朝倉君ってかっこええけど怖いよな」
なんて言っていた。それから延々と続く俺の悪口大会。
「朝倉君、モテるけど女の子を振り続けとるって有名やん。辻さんに対して、『俺、下敷きでスカートの下を仰ぐような女を好きにはならへん』って言って振ったらしいで」
「ひっどーい。ていうか、そんなの見てたなんて、朝倉君って変態⁉」
「それに、朝倉君って歴史の教科書に載っとるミロのビーナスに、下着の落書きしとったんやで」
「えー、何それきっしょーい」
とか、
「それに朝倉君って、男子校の中学受験に失敗したんやで」
「そうなんや、かっこわるーい」
とか、
「でも朝倉君ってちゃらくない?髪茶色いし」
「やよねー。女の子なんてとっかえひっかえなんやろなー」
とか、
「朝倉君って、晴れ男って書いて晴男って名前やのに雨男って有名やん。遠足や体育祭で降られまくっとるんやよ」
「何それ名前負けやん。だっさー」
「だいたい晴男って名前自体ださくない?あの顔に似合わへんし」
とか。俺の名前が顔に似合わないってどういうことだよ。どんな名前だったら似合っていたんだよ。
そんな話を聞いていて腹が立つくせに、つい話の内容を全部聞いてしまった。そもそも何でこんなに俺の話を流されているんだよ。全部実話なのがさらに腹立つ。
我慢ならなかった俺は、思わず彼女たちの前に姿を見せた。
「目つき悪くて変態でミロのビーナスに下着の落書きして中学受験に失敗してちゃらくて名前負けしとって悪かったな」
何のフォローにもならないが、俺はミロのビーナスの腹筋をバキバキに加工して、ロケットパンチの落書きもしていた。下着だけに注目してくれるな。
「朝倉君、全部聞いとったん⁉」
彼女たちは、俺に睨まれてあたふたしていた。
「いや、違うの。これは―」
笠井小雪は、俺に謝るより先に言い訳しようとしていた。すると他の女子が、
「でも、朝倉君は小雪のことが好きなんやろ?」
と言ってきた。
「誰がこんな女を好きになるか‼」
俺はそう叫んで彼女たちを「やっぱり朝倉君ってこわーい」と怯ませたが、傷付いた俺の気持ちは収まらなかった。それでも忘れ物を取りに行く目的だけは覚えていたので、俺はそれを持ち帰ってその場を離れた。
「お帰り晴男。暗い顔しとるけど、何かあったん?」
図書館に戻ると、博哉にそう心配された。
「ごめん、今日は帰ってもええ?勉強は明日教えるから」
俺は、自分の負の感情を持ち込みたくなかったし、こんな情けない顔を見られたくなかったのでそう言った。何より、今の俺は取り乱して勉強どころではなくなっている。
「それは構わんけど、大丈夫か?」
貴雄にもそう心配された。
「本当にごめん。また明日」
俺はそう言い、逃げるようにして帰った。怒り、悲しみ、憎しみ、悔しさ、屈辱、様々な感情が溢れ出して、家に到着してから自分の部屋で号泣した。
しかし、泣いていると両親に気付かれたくないと思った。特に、親父にそんな様子を見られたら、慰めるつもりで抱きついてくるかもしれない。そんな想像をしたら、気分が悪くなって涙が止まった。
本当、何で彼女のことが好きだったのだろう、俺。色白の美少女ではあったが、あんな心の凍った雪女のこと。あんな女に恋をしていた自分はバカだと呆れたが、だんだんそう考える事自体あほくさくなってきた。あんな女のために泣く必要なんてなかったのだ。そう思いながら、俺の悪口を言ってきた女どもの顔や名前や会話の内容は、ずっと忘れないのだった。
その翌朝、俺は貴雄と一緒に教室に入った。その時に、昨日俺の悪口を言っていた女子たちがひそひそと
「朝倉君、ちゃんと学校に来たんや」
「昨日のこと、まだ怒っとるかな?」
「でも、うちらの話を盗み聞きしてたって酷くなーい?」
と言っていた。そのとき、貴雄の顔色が変わった。
「お前ら、昨日晴男に何したんや⁉︎」
女子たちは、貴雄のその言葉に動揺していた。
「何で長谷川君が怒っとんの⁉︎」
「長谷川君には関係ないやん」
女子たちがそう反論したが、貴雄は引かずに
「いや関係ある!晴男は俺の仲間やでな。昨日晴男が暗い顔しとったんは、お前らのせいやったんやな」
と怒った。
「ちょっと待って、意味わからんのやけど」
笠井小雪がそう言ったので、俺の彼女への気持ちを知っていた貴雄は
「嘘つけ。お前、晴男に何言うたんや⁉︎」
と聞いた。
そう問い詰められた彼女は口をつぐんでいたが、このままでいたくないと思った俺も、
「あんたは昨日、『朝倉君とは絶対に付き合いたない』って言ったよな?」
と言ってやった。
「失礼やな!晴男に謝れよ‼︎」
笠井小雪の発言を知り、貴雄は俺以上に怒った。
「違うの。これは…」
笠井小雪は昨日と同じように、言い訳をしようと必死になった。
「お前ええ加減にせえよ!」
その様子にさらに怒りを感じた貴雄は笠井小雪に殴りかかりそうになった。さすがにこれはまずいと思った俺は貴雄を抱きすくめて
「やめてくれ貴雄、俺のことでそんなに怒らんでええから」
と説得した。
「お前、こいつを庇う気か⁉︎こんだけ俺の仲間を傷付けといて反省も謝罪もせんヤツを許せるかよ⁉︎」
俺は貴雄にそう言われたことに感動したが、
「もちろん俺だってこんな女を許してへん。でも、ここで手を出したら貴雄が悪者扱いされるで。俺のことで貴雄がそうなるのは嫌や」
と言い聞かせた。
笠井小雪はその様子を嘲笑って、
「二人って本当に仲がええんやね。それなら二人が付き合えばええのに」
と言ってきた。
さすがに貴雄も俺もこれには腹が立った。しかしその時に朝の予鈴が鳴ったので、俺たちはそれぞれの席に向かうことになった。
そのときに、貴雄は俺に
「あんなクズ女の言うことなんて、気にする必要あらへんよ。付き合う前に本性がわかって良かったんやよ」
と囁いた。俺も、
「ありがとう。貴雄もあいつに関わらんでええからな」
と返した。
俺のことを陰でばかにする人もいれば、そのことに俺以上に怒ってくれる人もいる。そのことがわかって本当に良かった。そのように人の本性や社会の裏表を知りながら、俺たちは大人になっていくのだろう。
「さあ、今日は昨日できやんだ分も勉強頑張るで!」
その日の放課後の勉強会のときに、俺は張り切ってそう言った。笠井小雪に大差をつけて上位の成績を取るためにも、このテストを頑張ろうと思った。
「晴男、今日は元気そうで良かった」
博哉は俺の様子を見てそうほっとしていた。
「よし、わからんとこはどんどん聞いてくで!」
仲間たちが俺にそう言ったので、俺は元気良く
「任せろ‼︎」
と笑った。




