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第十章 スペインの飛行ルート  8 スペインの各地で

   8 スペインの各地で


     タブラ・デ・ダイミエル


 マドリッドの本部で、自然保護省から、タブラ・デ・ダイミエル国立公園を視察してレポートを提出するよう依頼された。マドリッドから一四〇キロ南にあたり、利用者のための開発がはじめられている場所だ。シウダード・レアルの近くで、シグエラ川とグアルディアナ川の合流点にあり、内陸部としてはきわめて例外的な一八〇〇ヘクタールもの広さを持つ干潟だった。初夏には蒸発によって日に一〇ミリにも達するすさまじい水位低下が起こり、すべてが干上がって乾燥しきってしまう。

 ここの水深は深く、大半が一メートルをこえていた。流れが早いため、スゲ、アシ、ガマなどの大型の単一植生の群落のすぐそばを別にすれば、水底にはシルトや腐植質が堆積しにくかった。あたり一帯は混合農業の土地だった。

 管理者のフアン・ペドロ・モリナはもてなしのよい人で、他の湖や、広くひらけて起伏が続くラ・マンチャの平原を見に連れて行ってくれた。平原には、ドン・キホーテそのままの風車が点在していた。小さなカンポ・クリプターニャの村には、現に稼働している風車が少なくとも九基はあった

 ダイミエルの湿地の南側のスロープで、ブドウや大麦の畑が井戸でうるおされているのを目にした。この淡水源は、発展計画により広い展望を与えてくれた。牛や羊は氾濫した川を横切りさえすれば、ほこりっぽい草地のかわりに、湖のふちの肥えた牧野を選ぶことができた。多数のハシブトアジサシが優美にさっと急降下しては、家畜が追い出した昆虫をつまみとっていた。湿地の鳥はもっともみごとで、冬になっても渡去しない何千羽ものヒゲガラや、ヒゲセンニュウも見られた。

 自然保護省の保護下におかれた年月の間に、ムラサキサギ、アカハシハジロ、ヨーロッパチュウヒ、ツバメチドリなどの種類は例外的なほど増加しており、大人数でやってくる地元の学校の子供たちばかりでなく、北ヨーロッパのバードウォッチャーが見れば大喜びするようなたくさんの種類が含まれていた。五月なかば、六日間ここで仕事をしている間に、私はおよそ八〇種類の鳥を見たが、前の週に来て、もう少し鳥をみる時間が長かったジョン・グーダーズが見た鳥は一〇〇種類にも達している。

 利用者のための施設建設も進行していた。二ヶ所のハイドがあり、延長一三〇〇メートルの板を用いた木道も建設中だった。木道は丈高い草むらの間の深い水面を横切り、島と島とを結んでいた。島ではイシチドリが繁殖しており、野生のアスパラガスをつむこともできた。

 新しい管理事務所の建設には一一〇〇万ペセタかかったと誇らしげに聞かせてもらったが、アプローチ道路とビジターセンターには、この他に二三〇〇万ペセタを要するとのことだ。

 石造りの大きな監視塔も建てられる予定だった。自然保護省の話によれば、この保護区はドニャーナに比べると、大海のなかのひと滴のようなものだそうだ。面積の点ではたしかにそうだったが、ここはヨーロッパの中でもすぐれたものとされているスペインの四ヶ所の湿地のうちのひとつであり、私はここが気に入った。

 生息地の管理計画と、利用者のための施設の改善計画が求められていた。主な問題は、間違いなく初夏から冬までの完全な乾燥だった。その時期には、思うに木道は空中に持ち上がり、それに沿ってあるくことになるはずである。今日、悲しいことにはフロリダのエバーグレーズの一部で見られているような状態である。他の難点は、水生植物のしげみが広がって、観察の妨げになるというものだった。

 私が最終的に作成した計画には、周囲を囲い、隣接する農地から淡水を導入した広い開水域が含まれていた。塩分のある水を入れれば、蒸発のために塩分濃度が上がってしまうので、それを避けるためである。夏にはブルドーザーをかけ、粘土を積んで小さい島を作る。斜面はすべてゆるやかにして、植生を導入し、かつコントロールするというものだ。外側の土手は低くして目ざわりにならないよう、また遠くが見渡せるようにする。ハイドは岸辺の側の土手の高いところに作る。

 本来は実際の仕事の監督もしたいところだった。造成された湖のスケールは計画より小さかったが、これはラグナ・パルマネンテと呼ばれた。三年後、ジョーン、そしてその時に新しい国立公園の仕事をいっしょにしていたカタルーニャのエンポルダの友人たちとともに訪れた時には、この囲われた土地は、実際に「いつも」(恒久的に;パルマネンテ)水を保っている唯一の場所になっていた。広大な沼沢地の残りの部分はすべて既に乾燥しており、私たちは木道の下を歩いた。

 しかしながら、これは自然保護のいうなれば茶番劇のはじまりであった。一九八五年になって、この国立公園の周囲の広範な地域で農地の拡大が行われ、灌漑のために多量の井戸水が必要とされて、地下水位はなんと九〇メートルも低下してしまった。そして、鳥や利用者や教育のため、スペインでもっとも重要な地域のひとつであった冠水地域は、実質的に消失してしまった。冬の間だけ、表面にわずかな水がとどまるのみである。

 

 一九八六年、スペインの国の頂点の組織に大きな変化が起こった。国の野生動物生息地全体、そして狩猟や釣りの許可について自然保護省が広く負っていた責任は解除され、傘下にのこされたのは広大な国立公園のみとなった。それぞれ独立している地方政庁が、それぞれの自然公園を管理し、中央議会から配分された基金を保護のために用いることになった。地域間の健全な競争の結果として、重要な地域は保護されることになる。

 イギリスでは、新しくできたイギリス自然保護協会(Royal Society for Nature Conservation)の組織にあたるそれぞれの州のカウンティ・トラストによって、自然保護区の土地の確保、管理方法の改良などが、地方のプライドをかけて、いっそう強力に進められている。

 

    アルブフェラ・デ・バレンシア


 この年の七月、地中海沿岸のアジャンタメント・デ・バレンシアで、市街地のすぐ南にある大きな湖、アルブフェラ湖の自然公園としての管理が行なわれることになった。この湖は、およそ六〇〇〇年前に砂嘴によって湖と隔てられたもので、平均水深は九〇センチとごく浅く、およそ二九〇〇ヘクタールに及ぶだいたい円形の水域である。季節によって冠水する隣接した水田地帯から水が補給されている。

 ドニャーナのマリスマスと同じく、ここは長いこと狩猟が盛んな場所であり、またこれもマリスマス同様、境界にある工場の影響で汚染も進んでいた。隣接する周囲の沼沢地や森林、砂丘などが編入されて、公園の面積は二一〇〇〇ヘクタールに及んだ。そして、運営のために科学者のチームがフルタイムで雇用されていた。

 一九八八年二月、この人たちのうちの何人かがエンポルダ保護区で進められている事業の視察に来た時に、私は初めてこの人たちに会った。そして、抱えている問題についての話を聞いた。

 ヨーロッパ経済共同体(EC)は、汚染や銃猟に対する規制を実施するには至っていなかった。そして、いとしいアルブフェラの野生動物の状態は急激に悪化していた。カモやオオバンについて、撃ってよい上限と定められた年間七〇〇〇羽という規制など、まるでたわごとも同然になっており、はるかに多くの種類、はるかに多数の鳥が殺されていた。

 一九六〇年には二〇〇〇つがいとされたオオバンはほとんど繁殖しなくなっており、五〇つがいほどのカイツブリは、わずか三年前にはこれに倍する数がいた。ツバメチドリと海岸に住む三種類のアジサシ類も、ほんの数つがいにまで減少していた。越冬するカモ類は多数が狩猟の対象になっており、同じく数が減っていた。なかでもオナガガモは二〇年前には四〇〇〇羽がいたものが、半分以下になっていた。

 しかし、彼らに見せてもらった表によれば、どうもすべてが悪化というわけでもないようだった。繁殖しているコヨシゴイ、ゴイサギ、セイタカシギなどは増加していた。

「ああ、でも、どこでもふつうの種類の鳥ではありませんか」 一行の中でいちばんよく英語が話せるメアリー・パトリシア・キャラハンが言った。こういう名前ではあるが、彼女はアイルランドのコリーン(娘さん)ではなくて、若くきれいなれっきとしたバレンシア人のお嬢さんだった。

 マドリッドに基礎をおくコンサルタント会社、EPYPSAの要請で、この会社の鳥学者であるマルタ・デ・レイナといっしょに、私は一九九〇年春に新しい広大なアルブフェラ・デ・バレンシア保護区を訪れた。湖そのものの浄化はできなかったが、湖と海の間のヒース地帯、砂丘、松林といった環境を持つ広大なデべサ地域の環境改善はずいぶん進んでいた。ここは、休日用のリゾート地としての開発が予定されていたところである。五年にわたり、彼らは野生動物を復活させるための計画を注意深く立てた。この計画は、私がこれまでに見た中でももっとも手間をかけた、みごとでかつ実際的なものだった。現在は、その計画を実行に移している段階である。

 バレンシア自治省は裕福だった。その一角、六三ヘクタールにのぼる放棄された競馬場跡に対して、自治省は二億二三二〇万ペセタ(当時にして一〇〇万ポンドをこえる金額)をふりむけた。たいへんけっこうなことには、その大半はもう使われていた。私が要請されたのは、このうちの四〇ヘクタールの部分について、公開しない厳正な保護区域に、失われた沼沢地とそこに住む鳥を呼び戻すための計画策定であり、八五三〇万五千ペセタ(四五万ポンド)が割り当てられていた。この場所の将来像についての一般向けのリーフレットも既に作られていた。全体の着想はたいへんすぐれたものだった。政府の強力な後押しを受け、地域の熟練した技術と創造力とプライドをもって、このラーショ・デ・ローリャと呼ばれる保護区域はよく知られたものになりつつあり、バレンシアの愛すべき偉大な財産となることだろう。

 しかしながら、地域のあらゆる自然保護家の生態学的な技術や、自由に使うことができる資金をもってしても、違法な狩猟は減る様子がなかった。狩猟期間が過ぎたあと、私は広大な水田地帯のあたりに連れて行ってもらった。ある畑のまわりには、ぐるりと車が止められていた。たくさんのハンターが「鳩撃ち」にあつまっていたのだ。一方のチームで「鳩撃ち」に参加していた若者のひとりは、撃ち落とした鳩を二羽持っていたが、血にまみれた獲物には尾羽がなく、尾端骨がむき出しになっているのに気づいた。この年中行事では、地元の飼育場から巣立ったばかりのヒナがおびただしい数で提供されるが、あらかじめ尾羽が抜かれていると教わった。ヒナたちは間をあけて空中に放たれる。まだ飛ぶのに慣れていない上、かじとりのための尾羽がないため、こうした若鳥はたやすく撃ち落とされるのだ。

 スペイン全体にわたって、各地方政庁はこうした気色の悪い伝統行事に対して禁止措置をとっている。保護区を確立し、野生動物について生きたほんものの教育を進めるようになってから、徐々によい感情が育ってきはじめた。

 

 地元の自然遺産にたいし、地域住民のプライドに訴えて、みごとに抑制がきくようになった実例として、とりわけすぐれたものは、アンダルシア地方、アンテクエラ近くのラグナ・デ・ウエンテ・ピエドラの管理運営に見ることができる。この塩水の潟を私が初めて目にしたのは、一九六六年四月のことだった。当時、フラミンゴはここを採食場所として利用していただけで、数も二,三百羽程度しかいなかった。現在では、フラミンゴは四千つがいにまで増えている。ドニャーナ国立公園から来たものも多数含まれているが、ドニャーナのマリスマスが採餌や繁殖に適さなくなっているためだ。

 フラミンゴは少々間の抜けた格好をしていて、「不思議の国のアリス」の中では、なんとクリケットのバットとして使われている鳥である。この鳥は、村の人たちが作った六・四キロにわたるフェンスの中で安全にすごしていた。地元の人たちは、カマ―グの例にならって、泥を盛り上げて巣台を作ってやっていたが、巣台はよく利用されていた。カマ―グでも、泥の巣台のおかげでフラミンゴの繁殖はたいへんうまく行っている。

 けっこうなことだ・・・・・

 しかし、世界の自然保護家にとって、これだけでは新しい大きな脅威を軽減することはできなかった。マタラスカーニャの拡大したリゾート地に隣接する形で、コスタ・ドニャーナの開発計画が地方当局から持ち上がっていたのだ。貴重な地下水を毎年何十億ガロンも消費することになるこの計画は、ドニャーナの死を意味するものである。ユネスコの生物遺産保護地区のひとつに指定され、安全が保障されたものと考えられていた場所であるというのに。


    ラグナ・ガロカンタ


 スペインのもっと北にあたる地域では、ものごとに対してもっと希望を持つことができた。最近になって、ドングリを中心としていたクロヅルの食性が、大麦へと変化してきた。このため、エクストレマデュラで越冬していた鶴たちの多くのものが、北の繁殖地に向かう春の渡りの中継地として、サラゴサの南西にあたるラグナ・ガロカンタを利用するようになった。ここは長さ七・二キロの細長い湖で、周囲は大麦畑の平野になっている。この場所全体が完全な保護区域として指定された。大きな灰色のクロヅルたちは、冬蒔きの大麦の芽を引き抜いてしまうが、農民は被害に対する補償をうけている。もっとも、補償額が十分でないという声が強い。

 一九八八年、エンポルダでの仕事の休日として、友人たちはこの湖への長い旅行に連れて行ってくれた。二月二七日から二八日にかけてのことで、前年の同じ時期、ガロカンタではなんと二万三千羽の鶴が見られたという。同じ週末を選んだのだが、私たちが行った時には急な寒の戻りがあって、鳥たちの多くはエクストレマデュラへ戻っていた。私たちが目にしたのは「わずか」五千羽のクロヅルだった。

 凍った湖のまわり、雪がちらほらと散った大麦の畑で、ばらばらにわかれたグループが餌をとっていた。保護にたいしてのこうした新しい姿勢を目の当たりにすることは、どれほど心が暖まるものであったろうか。双眼鏡を支える指が寒さにかじかみ、凍りつくような風で涙が止まらないことなど、少しも苦にならなかった。

 あらゆるところに「狩猟禁止」の立て札があった。そしてヨーロッパ全体にとって大変重要なものであるこの鳥たちを守ることに対して、地元が抱いている誇りを聞くこともできた。

 帰路、ブハラロスの湖群に近い道路から、ほんの二〇〇メートルほど入った大麦畑で、私たちはなんと三四羽ものノガンを見ることができた。信じられないような光景であった。

 みんなが言ったものだ。

「あんな、五千羽ぽっちの鶴しかあなたに見せて上げられなかったのですからね。まあ、うめあわせというものですよ」


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