第十八話 貴族
「はい、お待たせ! カリーと、今日のおすすめの焼き魚定食ね!」
王都は海に近いこともあり、鮮度の良い魚料理が名物らしい。香ばしく焼き上がった魚の匂いが食欲をそそる。
「ありがとうございます!」
ジャミは目を輝かせながら、湯気が立つカリーの皿を大切そうに受け取った。
その時だった——
「おい、そこ。カリーはまだあるか?」
「ごめんねぇ、さっきちょうど売り切れちゃったんだよ」
「……チッ」
不機嫌そうな激しい舌打ちが食堂内に響いた。
声の主を見やると、豪華な金糸の刺繍が入った制服を着崩した、いかにも高慢そうな金髪の少年の姿があった。
騎士学院では平民と貴族の食堂はある程度分けられているはずなのだが、なぜ貴族が平民用の一般食堂にいるのだろうか。
貴族の少年は不満げに食堂を見回し——そして、ジャミの手元にあるカリーの皿に目を留めた。
「おい、そこの平民。そのカリーを俺に寄こせ」
まるでそれが世界の理であるかのように、当然のような口調で吐き捨ててきたのだった。
「おい、そんな——!」
「……僕は大丈夫ですから」
俺が制止しようと足を踏み出した瞬間、それを遮るようにジャミが小さく囁いた。
ジャミは貴族の威圧感に怯えつつも、自分から静かにカリーの皿を差し出した。
「ハッ! よく分かってるじゃないか」
貴族の少年はフンと鼻で笑うと、感謝の言葉もなくカリーを奪い取り、横柄な足取りで食堂を後にした。
⭐︎
「どこで食べよっか」
「あ、あそこの空いてる席に座ろっか」
あの貴族が去った後、厨房のお姉さんはすぐに俺と同じ焼き魚定食をジャミの分も作ってくれた。
ジャミは「気にすることないよ」と笑っていたが、その表情にはどこか少し悲しそうだった。
「……災難だったわね」
二人で席に着くと、背後から聞き覚えのある凛とした声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのはクリスだった。
「あいつは二組——つまり貴族クラスの、チェスノム・ファスルよ。悪い噂は聞いていたけれど、まさか一般食堂にまで入ってきてあんな真似をするなんてね」
そう、この騎士学院は貴族と平民で明確にクラスが分けられている。
一年生は全五クラスあり、一組から三組が貴族、四組と五組が平民のクラスだ。クリスが言うには、あのチェスノムとやらはやはり貴族の生徒だったようだ。
「あら、その子は?」
「あぁ、この子は俺と部屋が一緒のジャミ」
「よ、よろしくお願いします……!」
ジャミは俺の陰に隠れるようにしながら、クリスをおそるおそる見つめている。
「私はクリスティーナ・ホルスよ。よろしくね、ジャミ」
「えっ……!? 貴族様なんですか!?」
ジャミは驚いたように、さっきよりも大きな声を上げた。
この世界で『名字』を持っている者は全員が貴族だ。
そういえば、クリスにもホルスという名字がある。なのになぜ、彼女は平民クラスの四組にいるのだろうか……
「昔はね……色々あって、今はもう貴族じゃないの。だから敬語とか敬称とか、そういう堅苦しいのは無しでいいわ」
「は、はい……わかった……です」
ジャミが敬語を完全に抜くのは、まだまだ時間がかかりそうだな(笑)
「ところで、男子寮も三人部屋なんでしょう? もう一人のルームメイトは?」
「それが実は……教室で俺の隣に座ってた奴なんだよね……」
「……あの赤髪の?」
「そう」
「……それは災難だったわね」
クリスは心底同情するような目で見つめてきた。
「クリスちゃーん! そろそろ部屋戻ろー!」
遠くから、クリスを呼ぶ女子生徒の声が響いてきた。
「そういうことだから、また今度詳しく話しましょう」
「あぁ、また明日ね」
クリスは手短に手を振ると、呼ばれた方向へ早歩きで去っていった。
「それじゃあ、食べよっか!」
「うん!」
お腹がペコペコだった俺は、香ばしい焼き魚定食をあっという間に完食した。ジャミもあの小さな体からは想像できないくらい、バクバクと嬉しそうにご飯を食べていた。
食事が終わると、俺とジャミは揃って食堂を後にした。
「ふぅー、食った食った!」
「焼き魚定食、すごく美味しかったです!」
「そうだな!」
ジャミはもうカリーの横取りのことなど気にしていない様子で、元気に話してくれた。
「明日からはいよいよ授業が始まるみたいだし、今日は早めに寝よっか」
「うん!」
アルドリヒはまだ部屋に帰ってきていないようだが、今日はさっさと寝てしまうことにしよう。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい……です」
新しい環境での緊張もあってか、意外と疲れが溜まっていた俺は、ベッドに入るとすぐに深い眠りへと落ちていった。
⭐︎
——夜深き騎士学院。月明かりだけが照らす静まり返った屋外訓練場。
「——1523、1524、1525——!」
ハァ、ハァ、と荒い息を吐きながら、夜風を切り裂いて長槍を振り下ろす影があった。
(まだだ……! まだ足りない……!!)
汗で濡れた少年の綺麗な赤い髪が、妖しく青い月光を反射して輝いていた。
「——1552、1553、1554——!」
彼の鋭い刺突音だけが、誰もいない夜の訓練場に虚しく響き続けていた。
⭐︎
「起きて、ロイ」
「うぅ……」
「もう朝だよ」
柔らかい声に促され、重い瞼を開ける。目の前にはジャミの顔があった。
「……おはよう、ジャミ」
「うん、おはよう! 朝の準備をして速やかに教室に来てって、さっき放送が流れてたよ」
「わかった、ありがとう……」
俺は体を起こし、目を擦りながら隣のベッドを見やった。アルドリヒのベッドはすでに綺麗に整えられており、本人の姿はない。
「アルドリヒなら、もう行っちゃったよ」
俺の視線に気づいたジャミが教えてくれた。
昨日から思っていたが、アルドリヒは愛想が全くないだけで、やるべきことはキッチリこなす根は真面目な奴なんだよな。
俺は急いで制服に着替え、準備を整えて教室へと向かった。
一年四組の教室には、すでに大半の生徒が集まっていた。みんな慣れない寮生活のせいか、どこか眠そうだ。
「じゃあ、また後でね、ジャミ」
「うん!」
ジャミとは指定席の位置が離れてしまっている。まあ、そのうち席替えとかもあるだろうし、こればかりは仕方ないか。
「おはよう、クリス」
「あら、おはよう」
クリスと挨拶を交わす。ふと視線をやると、俺の右隣の席にはすでにアルドリヒが座っていた。彼は何やら手元の石板をじっと見つめている。
俺は自分の席に腰を下ろし、隣の赤髪に声をかけた。
「アルドリヒもおはよう」
「……」
……うん、もちろん返事は返ってこない。
「何見てるの?」
「……お前らと仲良くしねぇって言っただろうが」
手元の石板から目を離さず、アルドリヒはまるで野生の肉食獣のような鋭い眼光で俺を睨みつけてきた。
「そうよ、そんな奴と話しかけても無駄だわ」
「あぁん!? なんだと!」
……なんだか、昨日もまったく同じ光景を見た気がするんだが。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……」
俺が苦笑いしながら間に入り、その後サリム先生がやってくるまで、二人は仲良く喧嘩を繰り広げていたのだった。




