外伝 母の記憶 後編
「あーうー」
「こら! そんなところ登っちゃダメでしょ!」
見ると、幼いロイが自分の身長の何倍もある大きな本棚に登ろうとしていた。
「はっは! これが読みたいのかもしれないぞ」
タルクは笑いながらロイを抱き上げると、膝の上に座らせて何冊か本を取り出した。
「遠い昔、ある大陸で……」
タルクが身振り手振りを交えて感情たっぷりに絵本を朗読している。
ロイはすっかりおとなしくなり、目をキラキラと輝かせながらじっと本を見つめていた。
まだ喋ることも、言葉の意味を理解することもできないはずなのに、タルクの語りかける気持ちはちゃんと伝わっているようだった。
ロイは昔から、色んなものに興味を持つ子だった。
本はもちろん、庭に生えている草や、私が使うちょっとした生活魔法にも目を輝かせていた。
その姿勢は私とタルクに通じるものがあった。
(きっとこの子は、私たちみたいに『冒険者になりたい』って言うんだろうな……)
けれど、冒険者の道はあまりにも厳しく、残酷なものだ。
私とタルクが故郷の村へ戻ってきた一番の理由は、冒険者としての稼ぎだけでは到底食べていけなくなったからだった。私たちには力が足りなかったのだ。
平和な村で育ったただの子供だった私たちは、厳しい現実の中で自分たちの「能力の限界」を知った。それでもやれることはすべてやった。けれど、どれだけ足掻いてもそれ以上、上へ行くことはできなかったのだ。
我が子には、そんな辛い思いをさせたくない。
私とタルクは何度も話し合った。
そして、ロイを王都の学院に通わせようと決めたのだ。学院で知識と技術を学べば、将来どんな道を選んだとしても絶対に役に立つ。
私の魔法を見て嬉しそうに笑うこの子は、きっと魔法が好きになる。
それなら『魔法学院』に通わせる準備をしようと思った。
元宮廷魔導士のテルも、「学費は僕が掛け合って安くしてみせるよ」と協力してくれた。テルは実の娘のリロちゃんと一緒に、ロイに魔法を教えると意気込んでくれていたのだ。
六歳の時に行われる魔力測定で、数値が『20』以上あれば魔法学院の受験資格が得られる。
そう……たった『20』だけでいいのだから——。
⭐︎
そして、ついに魔力測定の当日がやってきた。
初めて馬車に乗ったロイは、乗り物酔いでヘトヘトになっていた。
「ロイ、少し休んでもいいのよ?」
「ううん……大丈夫」
馬車を降りて教会へ向かう途中も、ロイは見るからにぐったりとしていた。
「ほら」
タルクがスッと屈んで、広い背中を見せた。
「乗りなさい」
「……ありがとう、父さん」
ロイは申し訳なさそうに、ゆっくりとタルクの背中にしがみついた。
「ロイも大きくなったなぁ。ずっしり重くなったぞ」
何気ない会話を交わしながら、私たちは教会に到着した。
「父さん、もう自分で歩くよ」
「あぁ、分かった」
ロイはタルクの背から降り、自分の足でしっかりと歩き出す。
教会の内部は、我が子の将来を祈る大勢の親子連れでごった返していた。
リロちゃんの測定が無事に終わり、いよいよロイの番がやってきた。
「「ロイー! 頑張れー!」」
声援を送ると、ロイは少し照れくさそうにしながら水晶にそっと手を近づけた。
「測定が完了いたしました。あなたの魔力量は……『1』です」
「え……?」
水晶の前に立つロイは、まるで世界が暗転したかのように、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
⭐︎
それを境に、ロイからは心が抜け落ちてしまったかのようだった。
王都での出来事に傷つき、疲れ果てたロイは、帰りの馬車の中でスヤスヤと眠っていた。
「まさか、ロイに魔法の才能がないなんてな……」
「そうね。あの子のあんなに落ち込んだ顔、初めて見たわ」
「俺は、あいつに剣術を教えようと思っている。魔力が『1』だった以上、魔法学院に入るのは無理だろう」
「……ロイは剣術の方が向いているかもしれないわ」
「そうだな、剣術だったら俺がしっかり鍛え上げてやる」
タルクは、自分のことのように悔しがり、落ち込んでいた。
「あなたがそんな暗い顔をしていたらダメでしょう。ロイのためにも、私たちがしっかりしないと!」
「……そうだな」
タルクは何かを決意したように強く頷いた。
「ロイのことは俺が見ているから、レナは先に寝ていてくれ」
「ありがとう、あなた……」
⭐︎
「母さーん! お腹へったー!」
「はいはい、今作ってますよ」
あれから月日が流れ、すっかり大きくなったロイは、毎日汗だくになりながら剣の稽古に打ち込んでいた。
「ただいまー……」
遅れてタルクも帰ってきた。
最近のタルクは、ロイを騎士学院に通わせる学費を稼ぐため、毎日町へ出稼ぎに行っていた。重労働の連続で、帰ってきたときはいつも疲れ果てていた。
「おかえりなさい。すぐご飯にするわね」
タルクは荷物を置くと、吸い込まれるように椅子へ深く腰掛けた。
「今日はロイの大好きな肉料理をたくさん入れておいたわよ」
「やったぁぁぁ!」
テーブルにご馳走を運ぶと、ロイは満面の笑みで喜んだ。
さっきまで死にそうな顔をしていたタルクも、ロイの嬉しそうな顔を見た瞬間、疲れを忘れたように目元を緩ませていた。
こんな愛おしい何気ない日常こそが、私にとって何よりもかけがえのない宝物だった。
⭐︎
そんな温かい日々はあっという間に過ぎ去り、とうとう騎士学院の合格発表の日がやってきた。
「どんな結果になろうと、父さんも母さんもお前の味方だぞ」
「うん、ありがとう」
王都の掲示板の前で、ロイは落ち着かない様子でソワソワと足を動かしていた。
……私たちの脳裏に、あの六歳の日の嫌な記憶が不意に蘇る。
大丈夫、今度は絶対に大丈夫……! ロイはこの五年間、血の滲むような努力を続けてきたのだから……!
ロイに不安を悟られないよう笑顔を装っていたけれど、私とタルクの心臓も破裂しそうなほど脈打っていた。
掲示板には、ずらりと合格者の番号と名前が並んでいる。
「あった……! 父さん、母さん、あったよ!」
「本当か!? どこだ!?」
ロイが叫び、指をさした場所を必死で目で追う。
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……
クリスティーナ・ホルス
『ロイ』
アルドリヒ
……
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「あら! あったわ、あなた! ロイの名前よ!」
夢じゃない。ロイの名前が確かにそこにあった。
ロイは跳び上がらんばかりに全身で喜びを表現していた。
⭐︎
そしていよいよ、ロイとの別れの時。
「父さん、母さん。僕をここまで大切に育ててくれて、本当にありがとうございました! ダメなところもたくさんあった僕だけど、二人の子供に生まれて本当に幸せです。四年間、学院でいっぱい成長してきます!」
目の前に立つロイは、いつの間にか私たちの想像を遥かに超えて、頼もしく大きく成長していた。
私とタルクは言葉にならず、強く強くロイの身体を抱きしめた。
振り返り、学院の巨大な門の中へと力強く歩き出したロイの後ろ姿——
それは、かつて狩りへ向かう時に見送ったタルクの後ろ姿であった。そして昔、夢を追いかけて旅立った私たち自身の背中にも、どこか重なって見えたのだった。
お読み頂きありがとうございます。
外伝・後編ということで、次回からは本編に戻ります!ついに学院生活!ぜひ次回も読んでください!




