発見文書 No.047
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発見文書 No.047
種別:フィールドノート・MD書き起こし
記録者:阿部(記者)
日付:2000年8月11日〜8月12日
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【阿部記者フィールドノート 第三冊より】
2000年8月11日
取材11日目。
朝、鏡で顔を見た。無精髭がさらに伸びている。剃った。
施設に向かう途中の商店街で、あの老婆(白い水着の話をしてくれた人)にまた会った。向こうから声をかけてきた。
「あんた、まだ調べてるの」
「まだです」
「気をつけなさいよ。あの話を聞きすぎると、夏が終わらなくなるから」
「夏が終わらなくなる?」
老婆は少し笑った。「調べてる人はね、みんな同じことを聞くのよ。同じ質問をして、同じ顔をして。あんたの前にも、来た人がいたわ」
「いつ頃ですか」
「十年くらい前かしら。男の人。若い人。カメラを持ってた」
十年前。1990年頃。事件から三年後。
「その人はどうなりましたか」
老婆は首を振った。「知らないわ。途中から来なくなった。途中から——そうね。来なくなったのか、見えなくなったのか。どっちだったかしら」
「見えなくなった」。
意味が分からなかった。来なくなったのなら分かる。見えなくなった、とはどういう意味だ。
聞こうとしたら、老婆はもう歩いていた。
施設。廊下の歩数:三十二歩。
減っている。三十四、三十五、三十三、三十二。
毎日同じ廊下を歩いている。歩幅が変わったとは思えない。
——数えない方がいいのかもしれない。数えると、変わっていることを認めなければならない。
だが記者は数える。記録する。それが仕事だ。
MD書き起こし 2000.08.11【録音開始。蝉の声。今日は特に静か】
阿部: Kさん、今日は日記を見せずにお話を聞いてもいいですか。1987年の8月11日のことを。
K: 岡田涼子くんの日記の日ですね。
阿部: なぜわかるんですか。日付から担当者を。
K: 涼子ちゃんが夢の中で来た日ですから。
阿部: 夢の中で、とは。
K: 夢の中で涼子ちゃんが学校に来て、先生と話した。先生が「気をつけて帰りなさい」と言ったら、涼子ちゃんは「どこへ帰るんですか」と聞いた。
阿部: 日記には「北村先生だけが『よく来ましたね』と言った」とあります。「気をつけて帰りなさい」という言葉は書かれていません。
K: (間) 夢は全部書けませんから。
阿部: 枕元に風鈴が置かれていた、という記述もあります。
K: 置きましたよ。
阿部: 夢の中で?
K: (静かに) 涼子ちゃんが怖がらないように。
阿部: 「夢の中で」という意味ですか。
K: (少し考えてから) 涼子ちゃんの枕元の風鈴が現実のものだったか、夢のものだったか。どちらだと思いますか。
阿部: 日記には「目が覚めたら枕元に風鈴を置いてあった」とあります。目が覚めた後の話なので——
K: 現実にあったんでしょうね。ではそれはどこから来たのか。
阿部: ……。
K: 阿部さん。一つ確認させてください。あなたは今、1987年の出来事を「取材している」のですか。それとも「聞いている」のですか。
阿部: 取材、です。
K: 取材と、聞くことは、違いますか。
阿部: 取材には目的がある。記事を書くという目的が。
K: 記事を書く。記録する。
阿部: ……はい。
K: では、あなたが記録しているものは何ですか。事実ですか。それとも——
阿部: 事実です。
K: (静かに) そうですか。
【録音終了】
フィールドノート 2000年8月11日 帰宅後
「事実です」と即答した。
即答できたことに、かえって不安を感じている。
俺が記録しているのは事実か。客観的な事実を取材しているのか。それとも——Kの語る「物語」を、いつの間にか受け入れ始めているのか。
記者として危ない兆候だ。取材対象に感情移入してはいけない。
ノートを読み返す。一日目の記述。「認知症の可能性を留保する」。「発言の信頼性は検証が必要」。
十一日目の今日、そういう文言を一切書いていない。
いつから書かなくなったのか。
——明日は8月12日。明後日は8月13日。Kに8月13日のことを聞くのは、明後日だ。
缶ビール。テレビ。天気予報。明日も晴れ。明後日も。
2000年8月12日
取材12日目。
明日は8月13日だ。
1987年の事故から十三年。
今日のKは静かだった。いつもより言葉が少なく、窓の外を長く見ていた。
施設に向かう途中、廊下の時計を確認した。正確に動いていた。
廊下の歩数:三十一歩。
MD書き起こし 2000.08.12【録音開始。蝉の声。今日は音量が低い。不自然なほど低い】
阿部: 今日は8月12日です。近藤あやの日記の話を聞かせてください。「明日、何かが起きる気がします」という——
K: (すぐに) あやちゃんは正しかった。
阿部: 何が起きたんですか。
K: あやちゃんは「空の色が少し変です」とも書いたでしょう。
阿部: 夕方なのに青くて、どこか赤い、と。
K: そうです。その空を先生も見ていた。あの日の夕方、職員室の窓から見えた空は——
【間。Kが窓の外を見る気配】
K: 今日の空に似ています。
阿部: 今日の空は普通の——(言いかけて止まる)
K: 普通の?
阿部: (三秒の間) ……普通の夏の空です。
K: そうですか。
阿部: あやの日記には「先生、明日は学校に来ないでください」という一文があります。
K: (長い間)
阿部: あやは何かを知っていたんでしょうか。
K: 感じていたんです。知っていたわけではない。でも感じた通りのことが起きた。
阿部: 赤ペンのコメントが空白でした。あの日だけコメントを書かなかった理由は。
K: (静かに) 書けませんでした。
阿部: なぜですか。
K: あやちゃんが「来ないでください」と書いたから。来ないでくださいと言われたら、コメントは書けません。
阿部: でも翌日——
K: 行きました。行ってしまいました。
【沈黙。約二十秒。この沈黙の間、蝉の声が完全に止んでいた】
阿部: Kさん。明日、8月13日のことを聞く前に確認したいのですが。
K: はい。
阿部: 明日も来てもいいですか。
K: (少し間を置いて) 来てください。ずっと待っていましたから。
【録音終了】
フィールドノート 2000年8月12日 夜
「ずっと待っていましたから」。
この言葉が——
「来てください」と言われた。
近藤あやは「来ないでください」と書いた。Kは「来てください」と言った。
逆だ。
だがどちらも——俺に向けた言葉に聞こえた。
あやの「来ないで」は1987年の北村ひろみに向けたものだ。Kの「来てください」は2000年の俺に向けたものだ。立場も時間も違う。
だが同じ重さに聞こえた。
明日、行く。
行く。記者として。取材のために。
そう書いて、ペンを置いた。
缶ビールを開けようとして、やめた。
明日は——ちゃんとした頭で行きたい。




