4話
『ノヴァはいつも迷ってばかりね』
誰かに声をかけられる。聞き覚えのない声。
でも、どこか懐かしい。
『どこに行きたいの? 何を食べたいの? 誰と、何をしたいの?』
そんなことを急に聞かれてもわからない。ここがどこで、自分の輪郭すらわからないのに。
『かわいそうな迷子のノヴァ』
『今度はちゃんと、選んでね』
………
「………ん」
意識が夢という泥の中から引きずり出される。ぴ、ぴ、と一定のリズムを刻む電子音が心地いい。
柔らかい雲に包まれているようだ。ふわふわと浮かんでいるような感覚。ここは天国だろうか?
「ぷゅーっ!」
「ん……っ!? ぐぁーー!!?」
胸の上に強い衝撃が走る。それはぼやけていたノヴァの意識を急速に浮上させた。
目を開けた瞬間、顔の上にふわふわした何かがいた。
「ぷゅ?」
「なん、なんだお前……あっ、ぐ……いたっ……」
驚いて上体を起こそうとした瞬間、胸の中央に焼けるような激痛が走り、ノヴァはベッドの上でうずくまった。包帯の下の傷が悲鳴を上げている。
「ノヴァ君! よかった、目覚めたんだね!」
その呻き声に気づいたナースのハナノが、隣の部屋からやってくる。
謎の何かは、その声を聞いて素早く隠れた。
「あ、ハナノさん……」
測定器を持ってきたハナノは柔らかな微笑みをノヴァに向ける。慣れた手つきでノヴァの腕にマンシェットを巻き、指先に装置を取り付ける。
「ノヴァ君、ずっと眠っていたんだよ。……うん、まだお熱があるけど、他は正常値だね。本当によかった」
彼女の姿を見て、ここがIIDF本部に隣接された病院であると漸く理解する。
まるで天使のような人がそこにいるが、ここは天国ではない。だんだんと痛みを増す胸が、まだ現実であると訴えてくるようだ。
「すぐに痛み止めを用意するね。ドクターのことも呼んでくるから」
何かあればすぐにこれを、と丁寧にナースコールを握らされる。
「ありがとうございます……」
ノヴァは脂汗をかきながら、痛む胸をさする。するとシーツの隙間から、先ほどの何かが這い出してきて、心配そうにノヴァの胸元に潜り込んできた。
「ぷゅ〜……?」
「くすぐったいって。あと、そこめちゃくちゃ痛いからあんまり……うっ、動かないで……」
懐から伝わる妙な温かさと、不安そうな顔を見ると強く咎められない。
ほどなくして、白衣を着た長身の医師が穏やかな顔で入ってきた。ノヴァは慌てて布団を引き上げ、それを隠した。
医師は端末を見ながら、信じられないというように首を振る。
「君は幸運だったよ。意識を失った君を、救援要請を受けたエコーズの司令官が回収したんだ。状況は深刻だったが……彼の適切な蘇生処置があったのと、地下都市へのエレベーターが近くにあったのが幸いした」
医師は端末からノヴァの胸の包帯へと目線をずらす。
「ニルヴァの剣が心臓を掠めていた。あと数ミリずれていれば即死だった。他の臓器にも少なくないダメージがあったけど……ここまで早く回復できたのは奇跡に近い。幸運だったね」
医師は微笑んだ。その笑顔には、安堵の色が濃く滲んでいた。
「念の為、数日は入院して様子を見よう。痛みがまだ強いようだからね」
「……あの、カノンは? ええっと、一緒にいた、白い髪の兵士なんですけど……」
「……ああ、彼女なら無事だよ。今は査問会に……いや、君をとても心配していたよ」
医師の目が優しく細められる。
「カノンは、私の娘なんだ」
「え? 娘さん?」
「ああ。……君が無事でいてくれて、あの子も救われたはずだ」
程なくして、ハナノが痛み止めを持ってやってくる。
「今はゆっくりおやすみ、ノヴァ」
二人が去った後、ノヴァは天井を見上げ、深く息を吐いた。
あの完璧な兵器のような少女が、まさか医師の娘だったとは。あの娘にそんな家族がいるなんて、少し意外だなと考える。
「……助かって、よかった」
どっと疲れが襲う。目を閉じると、脳裏に焼き付いた光景がフラッシュバックした。
黄金のゼノタイプ。血の海。転がるエドラ……そして、虚ろな目を開いたままのルティアの首。
みんな死んでしまった。自分がもっとしっかりしていれば、もっと早く「何か」に気づいて動いていれば、あんなことにはならなかったのだろうか。
「……はぁ」
感傷に浸るノヴァの指先に、湿った感触が触れる。
見ると、懐から顔を出した黄色い生き物が、ノヴァの指をはみはみと甘噛みしていた。
「ぷぷゅ」
慰めてくれているのか、ただの食欲なのか。
黄色い楕円形、もちもちのボディに短い手足。頭にはウサギの耳のような長い突起が生えている。つぶらな瞳でこちらを見つめるその生物に悪意はなさそうだが、カタログでも街中でも見たことがない。
「新型の自律アンドロイドとか? お前、どこからきたんだよ」
「ぷゅ!」
もちもちは得意げに耳を揺らした。その温かさに、薬の効果もあってか睡魔が襲ってくる。
「……おやすみ」
「ぷゅ……」
もちもちもノヴァの枕元で耳を丸め眠りにつく。丸っこくなったそれを見て口元を緩め、微睡に身を委ねた。
◇◇
退院して数日後、ノヴァはIIDF本部の中央会議室に呼び出される。
無機質な銀色の壁と、不必要に高い天井。冷え切った空気。そこは、重大な作戦の通達か、あるいは重大な処罰が下される時にのみ使用される場所だ。
ノヴァが立つフロアの遥か頭上、円形の回廊から見下ろすように、数十名の軍幹部たちが並んでいる。まるで、谷底から空を見上げるような、圧倒的な威圧感。自分がこれから裁かれる罪人のように感じる。
正面の巨大なモニターには、幾何学的な波形が表示されている。
この地下都市の絶対的な支配者、最高統括AI・セレネだ。
「ノヴァ・ヘリクス」
頭上から、冷徹な軍人の声が降ってくる。
「先の地上演習における部隊全滅の件について、貴様に嫌疑がかかっている」
「……嫌疑?」
「そうだ。貴様が独自の判断で、大型ゼノタイプ・ニルヴァをエレベーター付近へ誘導し、新人部隊と鉢合わせさせたのではないか、という疑いだ」
「なっ……!?」
ノヴァは耳を疑った。反論しようと口を開くが、軍人の声がそれを遮る。
「本来なら軍法会議にかけられ、極刑に処されるところだが――」
モニターの波形が揺れ、ノヴァの脳に直接響くような、合成音声が響き渡った。
『――私は、大型ゼノタイプを退けた貴様の功績を評価する』
『大型ゼノタイプを非常に少ない戦力で、新人指揮官と即席のチームが撃退した。前例がない事象である』
セレネの声には感情がない。ただ、利益と不利益を計算する冷たい響きだけがある。
『よって処分を取り下げる。それに加え、貴様を新設特殊部隊の指揮官に任命する。以後、私が指定する特別任務を遂行せよ。拒否権はない』
「と、特殊部隊……!?」
「最高統括の発言に口を挟むな、ノヴァ・ヘリクス」
ノヴァが狼狽えていると、背後の扉が開く音がする。
「入れ」
入ってきたのは、美しい白銀の髪を持つ少女……カノンだった。彼女もまた、この冷たい法廷に呼び出されていたのだ。
カノンは軍人たちの圧を気にする様子もなく、直立不動でモニターを見据えている。
彼女に向けられた罪状もまた、重いものだった。
「地上基地エコーズ部隊所属、カノン・マルピギア。貴様は司令官の待機命令を無視した独断専行。及び、貴重な対大型種用特殊弾頭を、新人指揮官のコードで不正認証し使用した」
軍人の声が、判決を下す。
「本日付で、貴様のエコーズ部隊全部の資格を剥奪する。特殊弾頭を扱う専用エドラも没収とする」
「………」
「以後、ノヴァ・ヘリクスの指揮下に入り、その監視と任務遂行の補助にあたれ。エコーズ部隊司令官のトラルテも、それに同意している」
「……承知しました」
カノンの両手の拳がぐっと握られる。地上での任務をこなし、特殊なエドラを支給される正真正銘のエリートである彼女が、新人指揮官の元につく。まさに屈辱ともいえる転落であった。
重苦しい沈黙の中、解散が命じられる。
誰もいなくなった広い廊下で、ノヴァとカノンは並んで歩き出した。
気まずい。胃が痛くなるような沈黙。ノヴァはおそるおそる、隣を歩くカノンに声をかけた。
「えっと……その。なんだか、巻き込んじゃったみたいで、ごめん」
カノンは足を止め、ノヴァを無表情で見つめた。無表情に見えるが、瞳の奥は沸々とした怒りと悔しさを宿していた。
「謝罪は不要です、ノヴァ。私は命令に従うだけですから」
「そ、そう……。じゃあ、これからよろしく、カノン」
「はい。……それと」
「ん?」
カノンはノヴァの胸元――制服のポケットから黄色い耳がはみ出しているのを指差した。
「会議中に不必要なものを持ち込むのは、当然軍規違反です。……貴方、あの場におもちゃを持ち込んだのですか?」
「ぷゅっ!」
「お前! 部屋で待ってろって言っただろう!!」
「ぷゅ〜…?」
「……喋った?」
慌てて隠そうとするノヴァと、逃げ回るそれを見てカノンは小さくため息をついた。




