5話
IIDF、正式名称「異種対策防衛軍」
突如現れ地上を支配した未知の種族・ゼノタイプから人類を守るためにセレネによって設立された、人類最後の希望である。
彼らはゼノタイプと戦うこと以外にも、地下都市の人々の暮らしを守ることも責務とする。地下都市には「浄化フィルター」という絶対の守護があるが、上層やエレベーター付近には、ゼノタイプが紛れ込むことがある。そのため、兵士や指揮官たちは上層に基地を構え、いつでも出動できるように準備を整えているのだ。
先日、セレネから言い渡された特殊部隊は「特殊遊撃部隊ハーベスタ」と名付けられた。ノヴァたちの部隊もその例外ではなかった。
地下上層、中央エレベーターから連絡通路を歩くこと約二十分。
上層メインエリアの洗練された銀色の回廊とは異なり、配管が内臓のように剥き出しになった薄暗い通路の先に、その建物はあった。
かつては資材倉庫として使われていたらしいが、空調設備の故障により放棄された古びたコンテナブロックだ。
錆びついた扉にはタッチパネルが設置されているが電源が入らない。そのためか、頼りなく手書きの張り紙が貼られていた。
『特殊遊撃部隊 ハーベスタ 屯所』
「……まじ?」
「……ここが、私たちの拠点ですか」
カノンが絶句した。その声は、怒りを通り越して虚無に近い。
「いや、流石におかしいよ! トラブル起こしたかもしれないけど、幾ら何でもオンボロすぎる」
「………」
カノンが無言で扉をこじ開ける。ギィィ、と蝶番が悲鳴を上げた。
鼻をつく埃とカビの匂い。部屋の隅には用途不明のケーブルが山積みになり、天井の照明は今にも切れそうにチカチカと点滅している。
「……せめて照明くらいは変えといてよ」
ノヴァはケーブルや積まれた資料を適当に寄せ、埃っぽいソファを手で叩いてから腰を下ろした。バキッ、と嫌な音がなる。スプリングが完全にイカれているようだ。
「カノンもとりあえず座りなよ」
「嫌です。服が汚れます」
「ぷゅっ!」
ノヴァの胸元から、例の黄色いもちもちが飛び出し、興味津々で埃まみれの部屋を転がり始めた。たちまち体が埃と砂まみれの大福になる。
「こら、勝手に出るなって」
「ぷゅ?」
呼ばれたのだと勘違いし、よちよちとノヴァの手に擦り寄る。
「この子は一体何なのですか?」
「いや、よくわからない。気づいたら一緒にいた。とりあえず無害そうだし……」
「……」
「ぷぅ!」
「そう言えば名前、決めてなかったな。うーん」
カノンが呆れたように見る中、ノヴァは転がる黄色いもちもちのボディを見てポンと手を打った。
「よし、きなこにしよう。色がそれっぽいし」
「……また、適当な」
「いい名前だろ? よろしくな、きなこ」
「ぷゅー!」
きなこは嬉しそうに体を揺らし、ノヴァとカノンと握手をするように耳を伸ばした。
「懐っこいなー」
「……この子の正体が何かはわかりませんが、今は優先してやるべきことがあります」
「何? ご飯?」
「ぷゅ?」
ノヴァときなこは同時に首を傾げる。妙に息の合った二人を見て、カノンの表情が険しくなる。
「……掃除です。こんな埃っぽいところで食事なんてできるわけありません」
◇
「はぁ、だいぶ……綺麗になったような……」
カノンのスパルタ指導のもと、大掃除が行われた。掃除が苦手なノヴァは、カノンに言われた通り散らばった資料を紐で括りまとめる作業をしていた。
「……データでまとめてくれたら、こんな苦労しなくてよかったのに」
あまりに膨大な紙の山に、つい愚痴がこぼれる。資料は殆どが文字が黒塗りになっており、当然中身を見ることはできない。
「さて、これで一旦終わり……ん?」
資料を捨てるためにゴミ箱を開くと、底の方に何か残っていることに気づく。色鮮やかなそれは印画紙であった。ビリビリに引き裂かれたそれはもはや何が映っていたのかはっきりしない。
ゴミ箱の底に手を伸ばす。辛うじて原型を保っていたその紙切れには、澄んだ碧眼に特徴的な星の輝きを宿した少女が映っていた。
「誰だろう、これ……ん?」
ノヴァの端末が着信を告げた。セレネからの直接指令だ。
「お、早速初任務メールが来たよ。えーっと……」
「任務ですか」
遠くでモップがけに勤しんでいたカノンときなこも近づいてくる。
ノヴァが画面を操作する。カノンも緊張した面持ちで身構えた。特殊部隊という名目だ、いきなり危険な任務が来る可能性もある。
「『上層部・第4水路における、小型ゼノタイプ残骸の清掃』……だってさ」
「…………はい?」
カノンが聞き返した。
「だから、お掃除。水路にゴミが詰まってるから綺麗にしてねって」
「………」
「僕たちずっと掃除してるね! ……なんて、ははは」
カノンの肩が小刻みに震える。彼女は数日前まで、最前線で大型種と渡り合っていたエリート兵士だ。そんな彼女の初部隊での任務がドブ掃除ときた。言葉にせずとも、全身から殺気が滲み出ている。
「ま、気分転換にはなるし……」
「……了解しました。準備に入ります」
カノンは感情を押し殺し、装備の点検のために自室に向かう。貴方も早く準備してください、と冷ややかな目線で訴えられる。
気まずいな、とため息をつきノヴァも部屋に向かった。
◇
指定された場所は、地上と地下の循環を司る水路の一つだ。重い防水扉が開くと、湿った生暖かい風が吹き抜けた。
「うわ、なんかすごい匂い……」
ノヴァは鼻をつまんだ。地下都市の無機質な空気とは違う、腐敗と鉄錆、そして生き物の澱んだ気配が混ざった匂い。足元には、黒く濁った水が流れている。
「……ここは地上と繋がっていますから。仕方ありません」
カノンは淡々と説明しながら、エドラを起動する。
初めて会った時に装備していた専用の特殊エドラは回収されてしまったため、現在は一般兵に支給される汎用ライフル型エドラを装備していた。
「上層はエレベーターシャフトやこの水路を通って、小型のゼノタイプが迷い込むことがあります。それらを迅速に排除し、都市への侵入を防ぐのも、重要な任務です」
「……まぁそうだけど。フィルターがあるからそんなに頻度も多くないんだよね。やっぱり雑用だよ」
ノヴァは足元の水溜まりを覗き込んだ。そこには油膜のような虹色が浮いたドス黒い水漂っている。
「汚れてるなぁ」
「不用意に触らないで下さい」
「流石にわかってるよ」
「……死穢」
カノンが忌々しげに水面を睨む。
『死穢』と呼ばれたそれは、ゼノタイプが放出する未知のウイルスの名称である。これは空気や水、植物や果てには無機物など、あらゆるものに感染する。
勿論人類の体も例外ではない。これが体内に溜まると、死穢病と呼ばれる不治の病を患うことになる。治療法はなく、致死率は100%。地下都市の浄化フィルターは、主にこれを防ぐために存在している。
「埃みたいに、簡単に掃除できないのがもどかしいね。迂闊に触ったら感染しちゃうかもしれないし」
「……そうですね」
カノンの表情は静かだったが、声色には怒りと強い憎しみがこもっていた。
「私は……」
「どうしたの?何か……ん?」
ノヴァは鼻をひくつかせた。鼻をつく腐臭と鉄錆の匂い。しかし、その奥に――。
「なんか、変な匂いしない?」
「……死穢の淀んだ臭気です。慣れてください」
「いや、そうじゃなくて。一瞬だけ甘い花の匂いがしたような」
ノヴァが周囲を見回す。もちろん、こんな地下の汚水路に花など咲いているはずもない。
「気のせいです。こんなドブの中に花なんて咲きません」
「そ、それもそっか」
「……先に進みますよ」
どこか苛立った様子のカノンは、立ち止まるノヴァを置いて先行する。
ふざけたと思われたのだろうか、一瞬何か言いたげだったカノンの表情を思い出し、ノヴァは慌ててその後を追った。
◇
水路の奥、廃棄物が堆積するエリアに辿り着く。そこは、地上から流れ着いた瓦礫が山のように積まれた、墓場のような場所だった。
埋もれるように小型ゼノタイプの残骸が見える。死亡したゼノタイプから死穢が溢れたという例もあるため、基本的に死骸であろうとこのように放置されることはないのだが。
「黄金の体と武器……小型のニルヴァ種でしょうか。生体反応はありません」
「うぅ、ちっちゃいけどニルヴァか……」
ノヴァは胸元をさする。ここにいるのは大型ではなく小型だが、剥がれかけた黄金の腕を見ると否応なく先日の出来事を思い出す。
「回収します。清掃用アームの起動を」
「了解〜」
ギチ、ギチ
合間に、湿っぽく耳障りな音が微かにした。その違和感を、ノヴァは聞き逃さなかった。
「……」
「……ノヴァ?」
カノンが前に出て確認しようとする。しかし、それをノヴァが手で制した。
先ほどまでの能天気な表情はすっかり消え失せ、目の前の異常を取りこぼさないよう目まぐるしく思考を巡らせている。
「……待って」
ノヴァの薄荷色の瞳が、薄暗い闇を見据える。肌が粟立っていた。直感が警鐘を鳴らしている。
「何かいる」
「生体反応は、ありませんが……」
「音だ、奥に何かいる」
ノヴァの言葉が終わるより早く。
ギチチチチ……!
積み重なったゼノタイプの残骸の山が、不自然に揺れた。
ニルヴァ種の特徴的な黄金の腕が、不自然に組み合わされた異形の何かが、二人の前に現れる。移動する度に関節がガク、ガクと不自然な方向に揺れる。まるで、見えない糸で釣られているようだった。
「なっ……!? 生体反応なし……完全に死んでいるはずです!」
「……くるぞ! 迎撃準備!!」
ノヴァの声に動揺したカノンも、瞬時に冷静さを取り戻しエドラを構える。同時に、その奇怪なゼノタイプもカノンたちに向かって突撃する。
戦闘開始――ハーベスタとしての初陣が幕を開けた。




