1話
装甲車両の内部は薄暗く、油と金属の匂いが漂っていた。
天井に揺れる照明が振動に合わせて微かに瞬き、座席に並んだ新人指揮官たちの影を長く伸ばす。
エンジン音が低く唸り続ける中、誰かが持ち込んだ携帯型ラジオが雑音混じりに流れていた。
『──こんにちは! ピリアの竹取アーカイブのお時間です。今日も地下都市から、みんなの退屈を吹き飛ばす音楽を届けるよ!』
地下都市で絶大な人気を誇るパーソナリティ、ピリアの澄んだ声だ。無機質な機械音に満ちた車内においてその声はあまりに鮮やかで、思わず皆が耳を傾ける。
『今日もさっそくお便りを読むよー!「こんにちは、ミカンです。ピリアちゃんは地上に行ったらやってみたいことはありますか? 私は海で泳いでみたいです」……ミカンさん、ありがとう!』
『海で泳ぐ! 素敵だねぇ。地下都市のプールとは違うどこまでも続く青色……。開放感があるんだろうなぁ。私はそうだなぁ……』
その言葉が、隊員たちの心に、見たこともない青い幻想を広げる。
地下都市で生まれ育った彼らにとって、かつて存在した地上の有様は御伽噺の世界に等しい。海がかつて青かったことは知識として知っているが、実際の海を誰も見たことはないのだ。
「……おい、ピリアちゃんだぞ。録音じゃねえ。生放送だ」
「マジか。俺、夜勤続きの愚痴メール応募したんだよ……」
「はは、採用されてねぇじゃん!」
張り詰めていた空気がふっと緩み、小さな笑い声が起きる。それはこれから相対する恐怖を紛らわせるための、彼らなりの防御本能だった。
新人指揮官と新人兵士の初地上任務……小型ゼノタイプの討伐。
討伐と言っても、現地には予め作戦を立てた司令官がおり、彼のもとで行う演習に等しいのだが。無事に生還できるのか、この演習で好成績を収め昇級を目指すのか。思惑は様々であった。
「んー、ラジオ、ラジオかぁ。いいな、僕も何か持ってくればよかったなぁ」
その輪の片隅で、ノヴァ・ヘリクスは眠気眼を擦り、ゆるりとその空気に混ざっていた。
無造作に束ねた髪。眠気を誤魔化すように半分閉じた瞼の隙間から、薄荷色の瞳が覗く。規定通り着ているはずの制服もどこか着崩れて見え、新人指揮官でありながら、彼だけがこの鉄火場に似つかわしくない空気を纏っていた。
その様子に隣に座る同期の女性兵士、ルティアが呆れたような、それでいて心配そうな視線を向ける。
「……ノヴァ、随分と余裕ね。地上初任務よ? もう少しシャキッとしたら」
「ルティア、おはよー」
「寝てたのは貴方でしょ!」
ルティアは小声で囁き、ノヴァの肩を小突いた。彼女はノヴァのだらしのなさ……成績の悪さを知っており、誰よりも気に掛けていた。
ノヴァは微かに首を傾げる。
「んー緊張してるよ、これでも。胃が逆立ちして暴れてるみたいだ」
「相変わらずのマイペースね。それ、ただの空腹でしょう。……ねぇ、お願いだから今日はぼんやりしてるふりはやめてよ。あなたはたまに、誰も予想できないことをやりだすんだから」
ルティアの切実な声に、ノヴァはいつもののんびりした口調で、力なく笑った。
「違うよ。……たぶん? ふりじゃなくて本当にぼんやりしてるんだってば。……なんかさぁ、この車のエンジン、リズム悪くない? 眠くなるよ」
「はぁ……。緊張感がないだけよ」
ルティアがため息をついた直後、沈黙を破ってノヴァの腹の音が、場違いなほど盛大に鳴り響いた。
再び、車内にくすくすとした笑いがさざめく。ノヴァは「あちゃー」と頭をかいた。
そんな中、ラジオの番組コーナーが変わる。
『今日はミカンさんのリクエストにお応えして、海をイメージしたラブソングをお届けします!「リターントゥザシー」……どうぞ!』
ラジオから曲が流れる。海に消えた想い人をを待ち続ける、少女の切ない恋心を歌った曲だ。
かつて地上の文明に存在した旋律。それをピリアが歌い上げたカバー曲。それは、地上を知らない地下の住人にとって、失われた過去へと繋がる数少ないよすがだ。
「いい曲だなぁ」
「そうね、私物のラジオを持ちこむのはどうかと思うけど……」
音楽が流れる中、車両は振動のパターンを変え、徐々に速度を落としていく。
突如、運転席から冷たく引き締まった声が響いた。
「──目的地点まであと2分。装備確認、最終チェックに入れ」
瞬間、車内の空気が引き締まる。
ラジオのボリュームは絞られ、音楽は遠い幻のように消え去った。
兵士たちはエドラの安全装置を外し、指揮官たちは端末の接続状態を確認していく。乾いた金属音が、死線へ向かうカウントダウンのように連続して響いた。
そして、車両は停車した。
油圧音と共に重厚なハッチが下りる。
途端に冷たい風が吹き込み、鼻孔を埃と鉄錆の匂いが突く。地下都市では嗅いだことのない異質な匂いに緊張感が走る。
乗員たちは一斉に降車し、頭上に広がる空を見上げる。
鉛色の雲。荒れ果てた大地。
そこは地上。
ゼノタイプに奪われ、そして今、取り返そうとしている世界の表層。
「……さて。行くとするかぁ」
ノヴァはゆっくりと息を吸い込み、仲間たちよりひと呼吸だけ遅れて歩き始める。
その足音は、緊張でも恐怖でもなく。
ただ漠然とした未知へと、うっかり踏み込んでしまった迷子のような音だった。




