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2話

 任地に降り立った瞬間、世界の密度が変わる。

 鼻腔を焦がす乾ききった風。赤錆に蝕まれた鉄塔の墓標。そして遠く地平の彼方で響く、星の悲鳴のような重低音。

 新人指揮官と兵士たちを乗せた装甲車両は、地下都市から数十キロ離れた南東区画、旧時代の地下エレベーター付近で重々しく停車した。


「──到着。総員、降車せよ」


 今回の任務は、士官学校を卒業したばかりの隊員たちによる地上初任務。

 危険度の低い“小型ゼノタイプの討伐”という名目の、実質的な演習だ。予め地上基地に到着していたベテラン司令官から指示を受け、安全に経験を積むはずだった。

 ――そのはず、だった。


「……司令官の姿が見えません」


 先頭に立った兵士が静かに呟く。それを皮切りに、隊の中に嫌な緊迫感が波紋のように広がった。

 ノヴァは眠気眼をこすりながら周囲を見渡す。そして、瞬時に理解した。

 司令官が“いない”のではない。

 ――ここがすでに、終わった後の屠殺場であることに。

 そこにあるべき駐屯地の光景はなかった。足の踏み場もないほどに散乱しているのは、討伐対象だったはずの小型ゼノタイプの骸。だが、その死に方は異常だった。

 強靭な甲殻を持つ胴体と頭部が、まるで豆腐か何かのように、恐ろしいほど整然と切り離されている。そして、その骸の山に混じって倒れているのは──

 司令官とその直属兵士たち。数時間前まで、確かに息をしていたはずの人間たちだった。

 地面に薄く広がった血だまりは、まるで冒涜的な儀式の円環のように、既に黒く乾いていた。


「っ……いや、嘘……嘘……!」


 隣で、ルティアが膝から崩れ落ちる。

 こみ上げる吐瀉物を抑えきれず、彼女は嗚咽を漏らした。他の兵士たちも顔色を失い、動揺が伝染病のように広がっていく。

 ただ一人ノヴァだけが沈黙したまま、その地獄絵図を観察していた。彼の薄荷色の瞳から、眠気は完全に消え去っていた。


(違う。これは小型ゼノタイプの暴走じゃない)


 ノヴァの脳内で、歯車が静かに回り始める。


(切断面の線が綺麗すぎる。司令官クラス、その直属のエドラ使いが抵抗もできずに全滅? ありえない。それに──)


 ノヴァの視線が、転がっている司令官の武器へ向く。

 ――エドラ。

 霊子を鋼に宿し、ゼノタイプに対抗し得る唯一の兵装。

 しかし、そこに落ちているエドラは全て銃器型であり、本来は遠距離からの貫通攻撃を得意とするものだ。

 貫通属性の武器で、これほど滑らかに生物を“両断”することは不可能だ。

 つまり、これは。

 ゼノタイプの甲殻もエドラの装甲も、紙切れのように切り裂ける規格外の斬撃を持った未知の存在によるもの。

 ノヴァが息を呑む。背筋を、氷のような悪寒が駆け上がった。


「……引き返そう。すぐに。ここにいるのは──」

「ノヴァ、もしかしてこれ……」


 ルティアが震える声で、何かを言いかけた。

だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。


ヒュッ


 乾いた音が、風を裂いた。

 ルティアの視界が傾き、彼女の首が、ふわりと宙を舞う。

 唖然とした表情のルティアと目があった。


「──え?」


 誰かの間の抜けた声。

 直後、噴き出した鮮血がノヴァの頬を濡らした。

 兵士たちの悲鳴。

 周囲はパニックに包まれたが、その悲鳴も長くは続かなかった。

 逃走しようと背を向けた者から順に、次々と首が落ちていく。

 見えない刃の嵐が降り注ぐ。叫びは途切れ、肉が落ちて潰れる音と血飛沫だけが、静寂の荒野に落ちた。


「っ……!」


 ノヴァだけが、その見えない軌道を察知していた。

思考より先に体が弾け、身を翻して紙一重で死の線を避ける。


 ふと、影が落ちる。遮るものもなく、ただ高い空が塞がれる。

 影は、ノヴァの真上にあった。

 黄金の肌を持つ、異形。幾つもの腕が枯れ木のように背中から伸び、その手には装飾品と兵士たちの血で飾られた、形も用途も異なる武器が握られている。

まるで神像のような威容。しかし、神とは似ても似つかぬ冒涜的で歪な存在。


「ゼノタイプ……ニルヴァ」


 大型ゼノタイプ。

 このエリアを支配する五体の災厄、滅びの象徴が、音もなくそこに佇んでいた。


「まじ、か……」


 ノヴァの口から、乾いた笑いのような音が漏れる。

動こうとするノヴァの頬を、見えない斬撃が掠めた。

頬に熱い痛みが走り、血が細い線となって顎へ滑り落ちる。

 手持ちのデバイスでは解析すら追いつかない。エラー音だけが虚しく響く。

 だが……ノヴァには見えていた。


(読める。軌道、重心、筋肉の収縮……全部見える。線が繋がってる)


 ノヴァはニルヴァの動きを、その死の斬撃を予知していた。

 だが──


(体が、追いつかないッ!)


 ノヴァは歯を食いしばる。

 見えることと、避けられることは違う。指揮官である彼は霊子の動きを読むことに長けており、エドラを扱う兵士のサポートをすることが主な仕事だ。故に戦場でただ1人残された彼の肉体は、ただの貧弱な人間に過ぎない。


武器はない。

仲間は全滅した。

時間もない。


 ニルヴァの巨大な腕が、慈悲なく振り下ろされる。

ノヴァの視界を、死の影が覆い尽くす。


(嘘、ここで終わり?)


 その刹那。

 脳裏に浮かぶ青白い閃光と、ふわりと舞う白い花弁。この場に似つかわしくない、ノイズのような記憶。


(走馬灯にしては……見覚えのない、景色だなぁ)


 思考が途切れかけた、その瞬間。

 空気を震わす重い銃声が、静寂を撃ち抜いた。

 一発の弾丸がニルヴァの側頭部に直撃し、黄金の巨体が僅かに揺らぐ。

 装甲には傷一つついていない。だが、その衝撃は、死神の一閃をノヴァから逸らすには十分だった。

 大剣が地面を砕き、土煙が舞い上がる。

 ノヴァは目を見開いた。

 土煙の向こう、陽炎揺らめく荒野に、白銀の影が立っていた。

 風に揺れる白い髪。

 血と鉄錆の匂いが充満する戦場には不相応なほど、静かで、美しい佇まい。

 その華奢な腕に抱えられた巨大な狙撃用エドラが、淡く青い霊光を放ち、排熱の蒸気を吐き出している。

少女兵士は、銃口を向けたまま、一切迷いのない声で言った。


「──貴方が、生き残りの指揮官ですか?」


 ノヴァは、息をするのを忘れていた。

 それは、絶望の中で出会った、あまりに冷たく美しい希望だった。

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