第三話 初めての仕事
屋敷の裏手に回ると、崩れかけた屋根が、思っていた以上に無惨な姿を晒していた。
梁は湿気で黒く変色し、一部は既に折れかけている。素人目にも危険な状態だ。
(前世なら、業者に電話一本で済んだんだがな)
俺は内心でぼやきながら、周囲を見渡した。幸い、屋敷の裏には、修繕に使われたであろう古い木材と道具が放置されている。
「梯子を借りるぞ」
「ええ、好きにして。エルドン、手を貸してあげなさい」
イザベラの指示で、渋々といった様子の執事エルドンが梯子を支えてくれた。俺は屋根に上り、腐った梁の状態を確認する。
(支える位置を間違えれば、全体が崩れる。まず、荷重がどこにかかっているかを見極めないと)
前世の記憶を総動員する。取引先の工場や倉庫を視察した際に、現場監督から聞いた「荷重分散」の話。単なる雑談として聞いていたそれが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
俺は折れかけた梁の下に、仮の支柱を斜めに組んで負荷を分散させ、その上で古い梁を新しい木材と組み合わせて補強していく作業を、一つひとつ確認しながら進めた。
日が傾く頃には、三箇所の梁は、見た目こそ粗いものの、確かな強度を持って屋根を支えるようになっていた。
「終わったぞ」
梯子を降りた俺に、イザベラが屋根を見上げながら近づいてくる。
「……本当に、素人の仕事なの?」
「素人だ。だが、力のかかる場所を見極めれば、やることは単純だ」
イザベラは、しばらく屋根を見つめたまま、何かを考えているようだった。
「エルドン、確認して」
執事が慎重に屋根を叩き、揺すり、頷く。
「……問題ございません、イザベラ様。むしろ、以前の職人よりも丁寧な仕事です」
その言葉に、イザベラの表情が僅かに変わった。侮蔑でも警戒でもない、初めて見せる、素直な驚きだった。
「約束通り、銀貨二枚よ」
彼女は懐から取り出した硬貨を、俺の手に乗せた。
【契約】完了を確認しました
契約内容:屋根修繕(本日中)は達成されました
残債:銀貨二枚 → 支払い完了
契約は正常に履行されました
視界に浮かんだ文字を見て、俺は小さく息を吐いた。
(守られた契約、か)
力で奪うのでも、騙して掠め取るのでもない。互いに納得した条件を、互いに履行する。それだけのことが、こんなにも清々しいとは思わなかった。
「レンジ、といったわね」
「そうだ」
「素性を聞くつもりはないわ。この家に来る者は、皆、何かを抱えている。それがこの家の唯一の"公平さ"だから」
イザベラはそう言うと、屋敷を見上げた。かつての栄華の欠片も残っていない、荒れた壁。
「正直に言うわ。この屋敷には、屋根の修繕だけでは済まない問題が山ほどある。借金、離れていった使用人、そして——」
彼女はそこで言葉を切り、俺を試すように見た。
「もし、あなたにもっと大きな契約を任せる気があるなら、明日もここへ来なさい。ただの日雇いではなく、もう少し腰を据えた話を」
(来たな)
これこそが、俺が求めていた展開だった。単発の仕事ではなく、継続的な関わり。信用を積み重ねる土台。
「条件次第だが、聞く価値はありそうだ」
「相変わらず、生意気な乞食ね」
イザベラは、微かに——本当に微かにだが、笑みを浮かべた。それは、値踏みするような笑みではなく、対等な相手を認めたときに浮かぶ種類の表情だった。
俺の中で、契約スキルの手応えが、じわりと熱を持つのを感じた。
【契約】信用度が上昇しました
契約者:イザベラ・フォン・ヴァレンティアとの信頼関係が構築されつつあります
今後、より複雑な契約条件を提示できる可能性があります
(信用を積めば、契約そのものが育っていく、か)
力で殴り勝つのではない。対等な取引を積み重ねることで、自分の"できること"の範囲そのものが広がっていく。
それこそが、この乞食から始まる成り上がりの、正しい道筋だと確信した。
(第四話につづく)




