第二話 没落令嬢との邂逅
貼り紙の示す屋敷は、想像していたよりもさらに荒れ果てていた。
かつては壮麗だったであろう外壁には蔦が這い、庭木は手入れもされず伸び放題。それでも、門柱に刻まれた紋章だけは、かろうじて名家の誇りを主張していた。
「……ヴァレンティア、か」
俺は破れかけた服の裾を軽く払い、門の前に立つ老齢の執事に声をかけた。
「貼り紙を見た。修繕の手伝いを探していると聞いたが」
執事は、俺の姿を上から下まで一瞥すると、あからさまに顔をしかめた。
「……乞食風情が。お引き取りを」
「日当が出ると書いてあった。仕事があるなら、誰であろうと同じ条件で応募する権利があるはずだ」
食い下がる俺に、執事はますます眉根を寄せる。だが、そこに割り込む声があった。
「いいわ、通して」
屋敷の奥から現れたのは、質素だが仕立てのしっかりしたドレスを纏った若い女性だった。年齢は二十代半ばといったところか。金髪を一分の乱れもなく結い上げ、鋭い眼差しでこちらを値踏みしている。
「イザベラ様……」
「人手が足りないのは事実でしょう。エルドン、贅沢を言っている場合ではないわ」
イザベラと呼ばれた女性は、執事を軽く制すると、俺の前に立った。
「名前は?」
「レンジだ」
前世の姓を名乗る意味はもうない。俺はそう判断していた。
「レンジ、修繕の経験は?」
「ない。だが、状況を見て何をすべきか判断する頭はある」
我ながら大した根拠もない啖呵だったが、イザベラは笑うでもなく、じっと俺を観察していた。まるで、書類上の数字だけでは分からない相手の実力を見極めようとする、優秀な管理職のような目だ。
(この目つき……前世で似たような相手と、何度もやり合ったな)
「屋根の梁が三箇所、腐って落ちかけている。今すぐ直さなければ、次の雨で崩落するわ。手伝えるかしら」
「条件次第だ」
「……は?」
イザベラの片眉が、わずかに跳ね上がった。
「日当いくらで、いつ払われる。それと、まともな食事は出るのか」
「あなた、自分の立場が分かっているの? ここに来る者は、皆、感謝して働くのだけれど」
「感謝は、対価が明確になってから示すものだ。曖昧な約束で働かせて、後で反故にする雇い主も珍しくない」
俺の言葉に、イザベラの表情が初めて動いた。侮蔑でも怒りでもない、値踏みするような、それでいてわずかに面白がるような色。
「随分な言い草ね、乞食のくせに」
「乞食だろうと、対等な取引を求める権利くらいはある」
その瞬間、俺の視界に、あの半透明の文字が浮かび上がった。
【契約】発動条件を満たしました
対象:イザベラ・フォン・ヴァレンティア
提案内容の合意により、契約を締結できます
(来たか)
俺は内心でほくそ笑みながら、右手を差し出した。
「屋根の修繕、日当は銀貨三枚。前払いで一枚、完了後に残り二枚。食事は一日二回。これで手を打つなら、今日中に梁を仕上げる」
イザベラは差し出された俺の手を、しばらくの間、じっと見つめていた。
「……乞食にしては、随分と強気な条件ね」
「その分、仕事の質は保証する」
沈黙が流れる。屋敷の中から、心配そうにこちらを窺う使用人の視線を感じた。
やがて、イザベラは小さく息を吐くと、俺の手を握り返した。
「いいわ。乗ってあげる——レンジ、あなたの腕、拝見させてもらうわ」
握手した瞬間、視界の文字が輝きを増した。
【契約】が成立しました
契約内容:屋根修繕(本日中)と引き換えに、銀貨三枚(前払い一枚)、食事一日二回
契約者:九条蓮司/イザベラ・フォン・ヴァレンティア
(これが、契約の力……)
全身に、微かな熱が駆け巡るのを感じた。前世では決して味わえなかった、目に見える形での「合意」の証。
だが、問題が一つあった。
(梁の修繕なんて、やったことがないんだが)
啖呵を切った手前、今更「できない」とは言えない。俺は屋敷の裏手へと案内されながら、必死に前世の知識——ドキュメンタリーで見た大工仕事の記憶や、取引先の工場視察で得た建築の基礎知識——を引っ張り出していた。
対等な契約は、結んだ瞬間がゴールではない。守り抜いて、初めて次の信用に繋がる。
それこそが、俺がこれから積み上げていく「力」の正体だった。
(第三話につづく)




