休みの過ごし方
今日は休みだしどうしようか、と考えて、結局のところ。
自室の掃除とシーツの洗濯に出したりして。
「暇潰しがてら、第四宿舎の共用リビングを軽く掃除する事にしたわけで」
掃除用具一式やら脚立やらを倉庫から拝借しまして。
力仕事の為にHALも呼んで。
はたきで叩いたり、棚の中身全部出して中のホコリまで出して。
窓も拭いて、カーペットも掃除機かけて。
文字通り、隅々まで掃除だ。
それも、もうすぐ終わろうとするわけだけども。
「シャンデリアの切れた電球の交換終わり、と」
切れていた電球を付け替えて、脚立から降りる。
「HAL。点けてみて」
『了解です』
その合図と共に、シャンデリアに明かりが灯される。落ちてきたら色々な意味で大惨事なのは間違いない、手の込んだ装飾が施されたシャンデリアだ。光っていない電球は一つもない。
「無いね」
『無いですね』
二人で確認しあって、再度電気を切ってもらう。
『軽く昼を跨ぎましたね』
HALが時計を見ながら言った。彼自身、時計など実質上内蔵しているようなものなのに。ここにいるのは四角いポットに手足が生えたようなセントリーロボットだ。
「もう少し時間がかかると思ってたけどね。HAL、そっちの台車頼んでも?」
『了解です』
脚立を折り畳み、よっと肩に担ぐ。使った用具はちゃんと片付けねば。
両開きの扉の片側を開けて、
「それでは皆さま、ここを掃除しますよ」
と、言う中年のメイド長と五人のメイドさんがいた。掃除用具一式持ってきて、これからリビングを掃除するところなのだろう。
「あ、メイド長。こんにちは」
そう挨拶をして、開けていない側を開く。するとセントリーロボットが掃除器具が入った台車を押して出てきた。
『皆さまこんにちは。ちょっと通りますよ』
通り過ぎていくHALを横目に、メイド長がいい笑顔で、
「これはチハヤ様。こんにちは。―――脚立や掃除器具を持ってどちらへ?」
そう訪ねてきた。答えはわかっているだろうに。
「掃除してました。―――リビングを」
隠しても仕方ないので、正直に答える。
その返事にメイド長はため息をこれ見よがしに吐く。
「チハヤ様。そういう事は私どもがやりますと何度も言っているでしょう」
デイリー or ウィークリースタート。
「いやー……。わかってても、まあ、性分でして……」
渇いた笑顔でうなじを掻く。裏もなければ表もない発言。
「貴方の掃除の丁寧さには学ぶ面もありますが、勝手にされては困ります。掃除は私どもの仕事ですので。―――貴方は遊ぶ、という事を知らないのですか」
辛辣な事を言ったあと、振り返って次の場所へ行くのだろう、メイド達を連れてどこかへ歩いていった。
思ったより何も言われなかった。普段ならもう少し文句を言うのだけれど。
『それだけ、チハヤユウキの掃除の丁寧さは文句をつけがたいのではないでしょうか』
その呟きを聞いていたHALの推察。
「そうだろうね」
傲りでもなんでもなく肯定する。
この世界に来て、襲撃を受けるまでの1ヶ月。この第四宿舎で寝泊まりし始めた時、この宿舎は司令部や格納庫からは遠い場所にあるからか、あまり人が泊まっていなかった。
要するに、使っていたとしても最低限の箇所の掃除しかされていなかったわけで。場所によっては全く掃除されていなかった。ホコリが積りに積もっていた。
そういうのは気にくわない僕が炊事係の仕事の片手間に、空いた時間や寝る前の時間を使っては掃除していて。リビングは当然、廊下や階段、個室も隅々まで掃除していたりする。いや、思わず楽しくてつい。
帝国の襲撃後、アルペジオを始めとする第一宿舎に泊まっていた人達が流れてきた時には、半分以上の部屋がすぐに使える状態になっていた。
誰が掃除していたのかというのは、すぐに僕がやっていた事が判明した。どうして僕だって断定されたのかって? 掃除用具一式を台車ごと借りっぱで、貸し出しの際の書類に僕の名前と未返却で行方知れずと化していた台車がリビングの片隅にあったから、でもあるのだけれど。
決定的だったのは、リビングへ通じる扉を開けたお嬢様方の目の前で生き生きと掃除するエプロン姿の僕を見たからである。
掃除の行き届きぶりはもう、大抵の人達が絶賛するほどだった。是非使用人になどと言われ続けるはめにもなったのだけれど。
「とにかく、さっさと道具を片付けよう。返さないとまた何か言われる」
『そうですね』
そう言って、掃除用具返却しに倉庫へ向かった。
そしてリビングに戻ってきて。
「……何をしようか」
髪留めの紐をほどいて、結っていた髪を下ろす。すっかり腰まで伸びた髪を触って、そのうち肩辺りまでばっさり切ろうかなぁ、なんて思う。でも、ここまで伸ばしたしなぁ、なんて勿体無い気持ちもあって切るかを迷う。
《プライング》の一部システムの脳への書き込みによる後遺症で、新陳代謝が少し変わってしまった。体温は平熱が34度前後に。髪が二週間で10センチ近く伸びる状態だ。あまりに不自然に伸びるので、周りの皆さまに悟られないよう、数日に一回は髪を切って調節したりしているのだけれど。
『チハヤユウキ。あなたは家事以外をするという選択はないのですか』
やることがなくなったと呟いた僕に、HALがツッコミを入れる。
「……家事以外、ねぇ」
そう反復して、ソファに座る。
『休みとは、身体の休息のみならず心の休息も含まれます。チハヤユウキの場合は休みだろうが働いているのと変わらない。倒れますよ、そのうち。――――私が知るチハヤユウキは何故か過労で倒れませんでしたが』
辛辣なコメントだ。ナメるな、色々な意味で鍛え上げられた滅私奉公人気質と忍耐。包丁が腹に刺さって背中にまで突き出ようが肋骨を折られ吐血しようが笑顔を崩さない精神と表情筋。これ、あまり関係ないか。
軽く身体を動かすのも……と、思うのだけれど、ランニングというよりはパルクールは昨日やったから別の事をしたい。
『アコースティックギターとか弾かないんですか。拾い物ですが、私物化したものを持ってるでしょう』
「……弾くのもいいね」
それは考えなかったな。暇潰しがてらとか、夜の屋上とかで弾くから、どうも長く演奏する時間を短くしがちだ。それに最近触ってもいない。
「うん、ギター弾くとするか」
『何か適当な曲でセッションしませんか? 昔、船員が居たときに皆さまと音楽を嗜むことがありまして』
意外な言葉がHALから飛び出た。
「へぇ。HALも何か弾くのか?」
『皆さまのように楽器で音を奏でるのは出来ません。サンプリングした音を曲にあわせて鳴らす―――エレクトーンのような演奏になります』
「それは…………興味があるな。セッションしてみるか」
そうと決まれば部屋から持って来なくては。ソファから立ち上がって。
「部屋からギター持ってくるよ」
HALに向けて一言。
『では、私は《ウォースパイト》からアンプやら何やら持ってきましょう』
「そりゃありがたい。けど、使える状態か?」
『動体保存はしてますので、すぐに使えますよ。ところでチハヤユウキ。希少なものでなければそれなりに楽器を所持しているのですが、持ってきてほしいものとかありますか?』
そう言われて、僕は思い付いた候補をHALに告げた。
ギターを持って共用リビングへ再び入る。
自室にいた黒いポメラニアンのようなケモノ―――テルミドールもついて来ていて、置かれた楽器やアンプを興味深そうに見つめている。
『こんにちは、テルミドール。元気ですか?』
HALの挨拶にテルミドールは首を傾げて、セントリーロボットの脚を前足でペチペチ叩く。それからトテトテと部屋を歩き出した。扉は閉まっているし、簡単には出ていかないだろう。
そもそも、テルミドールはかなり利口だ。余程の事が無ければ危害は無い。
そうしてすぐに、HALの様々なセントリーロボットがリビングにいくつかの楽器が運んできた。
「―――ドラムセット、ベース、エレキギター、エレキバイオリンにキーボード。バンドでもやる気か?」
HALにはキーボードだけをお願いしたのだけれど。意外にもいろいろ持ってきてくれたようで。デジタルチューナーまであるようだ。
『これもこれもと引っ張り出してしまいまして……。貴方も一通り齧ってはいるでしょう?』
HALの世界の僕もそう変わらないのは聞いているが、そこも一緒らしい。
得意なのはギターやピアノだが、神父や施設の職員からそこそこの種類の楽器は嗜んだし色々と学んだから、今目の前にある楽器なら一通りは出来る。この中で一番苦手なのはバイオリンだ。音は好きなんだけども。それだけ弾けるか不安。
「まあね。先ずはエレキギター借りるか」
そう言って、エレキギターを手に取る。アンプに繋いで、デジタルチューナーで調律を合わせて……。
「よし、これでいける」
調律の終わったそれを、和音を一通り奏でる。
「それで、何を弾こうか?」
そう訊ねながらHALのセントリーロボットへ振り返る。
HALはロボットからアンプへケーブルで繋いで、テスト代りにスピーカーから音声を流す。
『《FoxHound》の《SUNRISE》はどうでしょう?』
それは僕の好きなロックバンドで。好きな曲だ。
「いいね。―――まずそれから弾こうか」
その言葉が合図だったようにDTMが流れ出す。
ギターパートスタート。曲に合わせて弦を弾く。
観客はテルミドール一匹のみ。
時おり、口ずさみながら。
「ああ、夜明けが見たいんだ―――」
数分弾き続けて、最後のフェードアウト。
『お見事です』
HALの感想。
「HALもなかなかだよ。こっちに合わせてもいたんだろ?」
『はい。やはり、誰かとセッションするのは楽しいですね』
「同感。―――さっき流しかけたんだど」
『はい』
「HALの時代からすれば《SUNRISE》はかなり昔の、古い曲だろ。なんで知ってる?」
ざっと700年以上昔の曲だろうに。FoxHound自体も結構なまでにマイナーだし。それだけ古い曲が残り続けるのだろうか?
『当時、昔の楽曲やドラマ、映画といったデータは全てアーカイブで保存されていました。そのアーカイブデータを視聴するのも当時の娯楽の一つでしたね。チハヤユウキが生きていた時代である2020年代のデータももちろん保存されていまして』
要するに、700年前の曲である《SUNRISE》を、HALがいた世界の僕も気に入った、という事だった。
なるほど、と呟いてギターを置いて、今度はキーボードを触る。
『《FoxHound》の《SUNRISE》自体もコアなファンが多く、各々がアレンジ曲を公開していましたね。私の知るチハヤユウキは、オリジナルが好きだと言ってギターを弾いてましたね』
「時代自体違うのに、そっちの世界の僕もそう変わらないんだな」
何度か聞いている話だが、それだけは毎回意外にも思える。
―――その並行世界の僕も、僕とそう変わらない過去を持っているようだからかもしれないけど。
「次は何を弾こうか?」
『では、《モッツァレラ》で《last message》』
ピアノ主体の曲だ。綺麗な明るい曲で盛り上がり方に緩急があって、疾走感がある曲だ。BPMも場所によっては変動する。誇張でもなんでもなく両手が忙しい。作曲者の殺意が感じられるような曲でもある。
「それか……そればかりは楽譜が欲しいぞ」
『こちらに投影します』
その言葉と共に、セントリーロボットのカメラが光を放ち、楽譜を床に写す。
「……相変わらず便利な機能だな、それ」
そう呟いて、ぱっと楽譜を視線でなぞる。いくつか鍵盤を叩いて、調子を確認。
「んじゃ、行くぞ」
そう呟いて、ピアノを弾き出す。
ピアノが奏でる綺麗な音が緩急をつけて進んでいく。
セントリーロボットが繋がっているアンプからはバイオリンの音色が流れる。
信じられないような速いビートで流れていき、あっという間に曲が終わってしまう。
「次は、ジャズで適当なのを一曲がいいな」
『昼下がりにはもってこいのを、ですね』
また楽譜が地面に投影される。
《FoxHound》の曲で《R》のジャズアレンジだ。曲自体は弾いた事があるのだが、アレンジとなると少し不安になる。
流し読みと、何度か確認のために鍵盤を弾いて。
ドラムの軽快で規則的なリズムが始り、HALがサックスを入れる。
僕もそれに続くように参加。
とても陽気な音楽が部屋に響く。
最後はサックスの甲高い音で締め括られた。
「―――次は?」
聞き覚えのあるツンとした響きの声がした。僕ではない。
聞こえた方へ視線を向けるとそこには。
「驚くことなのだろうか?」
淡々とした口調で言うイオンさんと。
「まだかしら?」
と、笑顔で訊いてくるフィオナさんと。
「演奏が聞こえたから……」
ゆったりとした口調の赤髪のボブカットの女性、デリアさんのフロムクェル語勉強組三人がソファに座っていた。いつの間にここに来たんだろう。
『《R》のジャズアレンジ演奏中に三人揃って静かに入室しました』
驚いているとHALが教えてくれた。HALなら複数のセントリーロボットを同時に操るなんて朝飯前なのだから、演奏しながらでも見ていたのだろう。
対して僕は演奏に夢中で気が付かなかったと。
「こんにちは。何か弾きに来たの? ―――HAL、次は苦手なバイオリンで行く」
今度はエレキバイオリンを手にとってアンプに繋いで、左肩と顎で押さえて、弓を引いていくつか音を奏でる。思っていた通り、感覚を忘れている。いくらか練習しないといけない。
わかっている事だが、騎士団の皆さまは楽器を弾かない。理由なんて単純で、音楽は聴くものとか、習ったことはない、なんていう生活の人達だからというものだ。
「流石に弾けないかなー……」
「音楽とは無縁の生活をしていたから」
困った顔を浮かべるデリアさんとイオンさん。
「んー。楽器が無いから……」
対してフィオナさんは違った。朝、暇潰しには音楽を嗜むとは言っていたけれど。
『どんな楽器ですか?』
《ウォースパイト》にはまだいくつか楽器があるから、あれば持って来ますよ、とHALが続けて言った。
「××××××、って判る?」
『―――ハープの別称ですね。これですか?』
そう答えて、床にハープの画像を投影する。ハープと聞いたら多くの人が思い浮かべるだろう、身の丈はある大きさのハープだ。
「…………大きくない? 片手で、持ち運べるぐらいの物は?」
画像を指差して訊ねるフィオナさん。どうやらこれより小さいハープを使っていたようだ。
どんな曲を弾くのやら、と思いつつバイオリンを少しいじる。チューニングはこんなものかな。練習がてら《SUNRISE》をワンフレーズ弾いてみる。
「んー……。でも、これだけ大きいハープ、弾いてみたいわね……。お願いしても?」
『わかりました、少々お待ちを。―――ところで、チハヤユウキ』
「うん?」
バイオリンを弾いている手は止めずにHALの方へ視線を向ける。ワンフレーズのはずがそのまま進んでしまっている。
『バイオリンは苦手というわりには上手に弾いてますね? 様になっている、とも言います』
「…………たぶん、セッションしたらボロが出る」
そう答えて。
バイオリンから出る音色が、少し外れた。




