調律後、夕食とデザート提供
夜。夕食の時間とも。
オーケストラ・ハープの弦を一通り奏でて、
「……調律終わり」
リビングで一人。
僕は体を伸ばしながら、誰に告げるのでもなくそう呟いた。
HALが《ウォースパイト》からハープを持ってきたのはいいのだが、問題が発生した。
「なに、これ?」
そうフィオナさんが指差したのは、HALが持ってきたのは、180センチはあるダブル・アクション・ペダル・ハープ、もしくはオーケストラ・ハープだった。
ハープと言えばハープなのだが、分かりやすくいうとその名の通り、オーケストラで使われるハープと覚えておけばいいだろう。
ハープの演奏と聞けば優雅なイメージがあるが、オーケストラハープは違って、手元の47本の弦と足元の七つのペダルで音階の操作するため意外にも忙しいタイプの楽器だ。あとは片側に弦が張られる構造の影響で楽器自体の寿命が短いこと。少しでも寿命を伸ばす為に演奏時以外は弦は緩んでいることぐらいか。HALが持ってきたハープは弦すら外されていたけれど。
足元のペダルは音程を変える事ができて、真ん中をナチュラルとし、上がフラット、下がシャープの音階へと半音ずつ変わるようになっている。つまり一つ踏めば半音あがり、二つ踏めば全音上がる。ダブル・アクション・ペダルと言われる所以だ。
演奏中に変える事が出来るとはいえ、瞬時に切り換える事は出来ないが。
なんでそんなに詳しいのか、と聞かれそうなので簡単に説明すると、『神父とシスターが音楽好きで楽器を色々と持っていたのと、各楽器の演奏法や調律を一通り二人から学んだから』である。
もう少し付け加えるなら、ギター、ピアノの次に弾ける楽器だから、でもあるのだけれど。
フィオナさんから見れば、オーケストラ・ハープなんて自分が使っていたハープの発展系とも言うべき代物な訳で、演奏はともかく調律なんて手に余るものだった。
そんな彼女にとっては運が良いのかどうなのかはわからないが、調律が出来る人がいたのが救いか。
結局は僕が調律することになった。弦を張って、チューニングキーを弄ってと続けていたら、夕食の時間になってしまった。
「フィオナさんはまだ夕食から戻って来てないか」
部屋を見渡す。HALのセントリーロボットと近くでうろうろするテルミドール以外、誰も居ない。夕食時だし、当然か。
『こちらから伝えましょうか?』
HALの提案。確かにHALなら、セントリーロボット間で通信が出来るので仲介してもらえれば離れた人と話す事が出来る。
それもいいかもしれないが―――。
「時間的に、そろそろ食べ終わる頃でしょ?」
時計を見て答える。30分前に部屋から出ていったのだから、時間的にそうではないかと思う。
『……当たりです。チハヤユウキは予知能力でも持っていますか?』
僕の言った通りだったらしい。
「勘。―――なら、少し待つかな」
短く答える。ここに来るまでそれなりに時間はかかるだろうから、待つついでに、確認のついでに一曲弾いてみよう。
ハープだし、弾くなら。歌うならバラードあたりが一番か。
木製の丸椅子に座り、ハープが右肩に当たるように傾けて、赤と黒の弦の位置を再確認する。
咳払い一つ。
「ん……ん。あー、あー……。―――よし」
僕の時ではなく、 私 の地声に戻して指をハープの弦に当てる。
前奏スタート。弦を指で弾いて、ハープの柔らかな音色が部屋に響く。
「―――もうあなたに会えないけど―――」
そう、日本語で歌い出す。あ、これ、思いのほか、ちょっと悲しいラブソングでした。
まあいいですよね、と思いつつ次のフレーズを口ずさむ。日本語判る人はHAL以外いない。訳されなければいい。
左足で左から二番目のペダルを踏んで半音上げて、その弦を弾いたらナチュラルに戻す。次は右足で中央よりのペダルを上げて、また戻す。
すぐに切り換えれないので、一人よりも二人の方がいいのだけれど、まあ仕方ないでしょう。
あとペダルを踏む動作は気付かれないよう隠す必要があるのだけれど、まあ今回は人が居ないしいいか。―――と、言ってもつい癖と勘を取り戻す為に慎重にやってしまうのだけれど。
そう演奏していって。
「La La La La Laー。oh……」
ゆっくりと弦を次々に弾いて、演奏終了。
ハープから離れて身体を伸ばす。咳払い一つで声のトーンを下げる準備。
傍に控えるセントリーロボットへ向けて、
「HAL、フィオナさんはそろそろかな?」
そう 僕 の時の口調で訊ねる。
『残念ですが。ドアから覗き見する方々に紛れてます』
「………………マジか」
HALの言葉を受けて、そちらに視線を向ける。
ドアは僅かに開けられていて、そこからは5人ほどの顔が覗いていた。多分、身長順に並んでいて、一番下がこちらに出向中の、ティリエール教修道女のモニカで、その次はメイドさん。三人目は騎士団員で、四人目はデリアさん。最後の一人がフィオナさんか。
「今のチハヤさんの歌声だったんですか?!」
「信じられないものを見ました……」
「その喉どうなってるのよ!」
「……歌お上手ねー」
「その声でいてよ……」
五人とも、思い思いの言葉を喋った。相当、普段の声とかけ離れていたのかもしれない。
「…………まあ、こんな声も出ますよ、ということで」
苦し紛れの一言。
それよりも、フィオナさんに言う事を言わないと。
「ハープ、調律終わりましたよ」
「チハヤ! プリンは?!」
食堂に入った僕に向けて、いつものように鋭い声が飛んできた。もはや何らかのゲームのデイリーか何かだ。
声の主は誰か、なんて大体決まっている。テーブルで、トランプに勤しむ見知った顔の5人組の中の一人だ。
五人の内、四人は同じラファール小隊の人だ。
一人は言わずもがな、アルペジオ。もう一人はエリザさん。
残り二人はキャロルさんとクリスさんだ。
ショートカットの栗色の髪で、フレームレスの眼鏡をかけた、目付きの鋭い女性がキャロルさん。ちゃんと軍服を着こなし、理知的で真面目で冷たい印象を抱かされるが、人付合いはいい人。そして割と毒舌家。他には、昆虫類が大の苦手という可愛らしい一面がある。以前、蜘蛛が部屋に出たとか騒いで滂沱顔でリビングにやって来た時は思わず笑いが込み上げてきた。
くすんだ赤い癖毛で垂れ気味の青い瞳を持つ女性がクリスさん。こちらはキャロルさんとは対称的だ。感受性豊かで明るく前向き。いろいろと見ていて楽しい人で、他人の周りを回りながらオーバーリアクションで話したり、忘れ物してあっちこっちへ走る様はさながら子犬のよう。これでアンバランスな《マーチャーE2改》をアルペジオやエリザの次に乗りこなすのだから驚きだ。
あと一人はイオンさん。珍しい組み合わせだ。何か聞きたい事でもあるのかもしれない。彼女自身、この世界の歴史とか興味があるみたいだし。でも、トランプしながら聞けるのだろうか?
「プリンは作ってないよ、腹ペコ殿下」
それ以外ならさりげなくあるけど。
「そ、んな……」
回答たるその冷たい言葉は、長い金髪を後ろで二つに結った少女、アルペジオにほどよく突き刺さったようだ。ショックのあまりか、ぐってりと机にうつ伏せになる。やっぱりアルペジオのリアクションは見てて愉しい。
やっているのは、ババ抜きかな?
「チハヤ殿。プリンではないデザートはあるだろうか?」
淡々とした口調で、色の抜けたような金髪のイオンさんが訊ねてきた。鋭いなぁ、やっぱり。
その発言を聞いて、アルペジオは顔を上げてこちらを睨み付ける。悦の為に嘘をついた事を責めたいのかもしれない。嘘は言ってないけど。
「……その根拠は?」
「プリンは、と言った。いつものチハヤ殿なら、作ってないと答えるはず。―――というか、デザートを用意していない、という事はほとんどない。むしろ、何か別のものを作っていて、アルペジオ殿を一回残念がらせて悦に入ってから、持ち上げるべく何らかのデザートを出すと思った」
彼女はそう答えて、隣の人からカードを引いて、揃ったのか手札から一枚を引き抜いてテーブルの中央に置く。そしてその答えはあっているだろうと言わんばかりにこちらを見た。
「―――正解。プリンじゃないけど、別のデザートは作ってあるよ」
イオンさんの言う通りなので、正直に答える。そっちに卵を使ってしまったのでプリンに使う分がなくなったと付け加える。
「…………」
顔を上げたアルペジオが怖い。怨めしい目つきだ。それほどプリンが好きか。僕の食べる分が無くなるというのに。というか、だいたいプリンが無くなる理由はアルペジオへの提供なんだけど。
「……すぐ出します」
嘘は言ってないんだけどなぁ、と再三思いつつ後が怖いので調理場へ入って作ったデザートを用意する事にした。
―――と、いうわけで。
「はい。これ」
アルペジオ以下五名の目の前に、一昨日の晩にひっそりと作って冷凍庫に入れて冷やしていたものを乗せた皿を置いた。
まず四人はそれを見て、意外そうな表情を見せる。嬉しそうともいうか。
特にアルペジオの表情の変わり具合は尋常ではない。殺意の視線から、あまりの嬉しさに目が輝いている。よほど内心食べたかった物らしい。プリンとこれ、どっちがいいかを訊いてみたくもある。
実のところ、あれこれ優遇されている騎士団でも、悲しい事にそこはやはり軍隊。それ自体の調達はなかなかどうしてか厳しい。
基地の売店でも売られてはいるものの人気商品で常に欠品、品薄状態だ。騎士団員全員が食べられるよう、買うと記録されて二、三週間は買えないなんて事態に至っている。それでも中には一ヶ月も食べれていない人もいるらしい。そんな曰く付きのデザートだ。
なら、作ればいいじゃないっていうのが僕の考えだったりするわけで。―――そのデザートの材料自体は至ってシンプルだし、高頻度で調達される食材ばかりだ。香辛料の一つさえ、私費で、購入すれば作れるのである。
白色の丸いそれは、誰が見ても何かは判るだろう。
わからない人がいたとしたら。
「これは?」
僕の予想通り、イオンさんが目の前に置かれたそれを指して訊いてきた。
「アイスクリームという……氷菓子の一つ。これに卵と生クリームを使いました」
一番シンプルな、バニラエッセンスを加えただけのアイスクリームだ。
「……チハヤ」
半目でアルペジオが声を掛けてきた。
「なにかな? アルペジオ」
「作れるなら作れると教えなさいよ。毎日売店に行ってたのが馬鹿みたいじゃない」
一ヶ月も待つ必要なかったと愚痴るアルペジオ。
「作れるか訊かれなかったので」
いつものようにしれっと答える。
「―――夏も終わってるんだけど、まあ、食べたい人は食べるだろうし。さ、どうぞお召し上がりください」
そう促す。
五人ともスプーンを手に、アイスクリームを口へと運ぶ。
そして、皆仲良く表情が綻ぶ。
一口、二口と進むスプーンと彼女らの表情を見て、作って正解だったなと思う。特にアルペジオ、『私が行くと大体欠品で、もう一ヶ月もアイスクリーム食べれてないのよ!』なんて嘆いてたし。
さて、夕飯を食べようとしていつものように夕食が載ったトレーを手に取る。今日はメインにハンバーグ。ニンジンといんげん豆のソテーに、ミネストローネ。サラダはベーコンが混じっている。パンはバケットを選んで今日はこれまでにしておこう。
空いている机を選んで、食べる前の祈りを捧げる。一応、僕カトリックですし。神父からはよく異端認定されて脳天聖書チョップの刑だけど。
「―――いただきます」
そう呟いて、右手にナイフ。左手にフォークを持つ。こっちに箸なんてものはないし、そもそも僕自身孤児院の影響でこっちのほうが上手である。
最初、ここに来て食堂で食べたときは、品よく食べていたのも驚かれたなと思い返す。調理する側と思われてたからか、ナイフとフォークの捌き具合は悪いだろうとも思われてたらしい。
上手に、そして上品に食べる様は騎士団員全員の予想を上回っていたとか。
「やっぱりチハヤって……」
アルペジオの疑惑の声。
「うん?」
「ホントに孤児院の出身なの?」
孤児院出身と聞かなければ料理が趣味の、さぞ名の知れた名門の御曹司かと思ってたのよ、なんて続けて言うアルペジオ。相変わらずそこは疑われる。出来る事が多すぎるのか、それとも左の脇腹や右胸の縫合跡を初めとする傷跡か。あるいは僕の語るかつての世界の母国の治安から見ても不要のはずの戦闘技術か。
「孤児院出身だよ。他と比べれば、財源的にも人間的にも組織的にも、かなり恵まれてたと思う」
キリスト教カトリックの教会に併設されている。そんな少し変わった―――いや、今思えば社会的に大丈夫じゃなさそうな孤児院ではあった。
経歴はヤバイの一言をつけても良さそうな、されど善人という枠ではいい人達だけども。
元フランス陸軍小佐の有名な異端審問官の家系である神父。職員に元マフィアの首領が親のシスターや、ベルギーに本拠を置く武器商の一人娘に某国の山岳兵とか。
さらにその人間関係も、詳しく訊けないような人達ばかり。
口に出来るのはシスターぐらい。彼女の友人に、若き女帝とも評されるマフィアの首領がいるという、ちょっと訳のわからない人間関係である。―――その人とは僕もよく会っていたし、ちょっと私事を手伝ってもらった事もあるけど。その弟からはナイフ裁きを学んだし。
社会的に関わってはいけなさそうな人達ばかりだが、そこにさえ目を瞑れば、かなり恵まれた孤児院ではある。経歴と人間関係にさえ目を瞑れば。
「―――この世界の孤児院がどんなものかは知らないけど、経営している人や働く職員の生まれとその教育が、良かったんだと思う……」
一瞬で流れた不安材料を水で流すように、その言葉を付け足したかったけども、無理です。
『暴力を振るっていいのは異教徒共と他教徒共と女性を大切にしない男だけです』と笑顔で教える神父と、『ぶん殴ってよく、十字架に張り付けて火炙りにしていいのは異教徒共と女性を泣かす悪漢だけです』といい笑顔で教えるシスターの教えがどうしても頭を過ります。いや、その二つの意見は 私 も賛成ですよ? 実行に移すのはどうかと……。
被害者? 私ですが何か? とりあえず十字架に張り付けですみましたが。
「………チハヤ? どうしたの? ひきつった笑顔で視線を逸らして……。何か思い出した?」
顔に出ていたらしい。鋭いよアルペジオ殿下。
「大丈夫。恩師のありがたいお言葉を思い出しただけ」
余計な一言を言ってしまった。
「そう。どんな言葉?」
興味ありげに訊かないで下さい。口にしたいけども。
どう、はぐらかそうか。時たまに剣呑で物騒な事を言う人達だから。
「とても基本的な事だよ。隣人は大切にしなさいとか、優しくしなさいとか、そんな言葉」
嘘は言ってない。うん。
その回答に、アルペジオは半目でこちらを睨む。
「その言葉守りなさいよ。デザートがあることを黙っていたじゃない」
「……ちゃんと出してるからいいじゃん」
そう答えてバケットをミネストローネに浸けて食べる。バケットがパンチの効いたスープを吸って、白パン部分はふやけ、耳は程よい固さになる。これが美味い。
「チハヤ殿。お代わり」
もう一口食べたところで、イオンさんが容器を突き出してきた。想像以上に美味しかったのかもしれない。
「ダメです。明日作りたいものの分がなくなる」
このことは隠すつもりもないのであっさりと言った。少し残念そうに肩を落とすイオンさん。表情の乏しい彼女だが、意外と行動に出るので分かりやすい。
アイスクリームを5人分出したら使う分がぎりぎりになってしまった以上、あれは一人分がせいぜいだろう。
「アイスクリームで何を作るのかしら?」
案の定、というかやっぱりアルペジオが食いついてきた。
「パフェを作ろうと思って。バニラアイス作ったら、これも作れるよな、とね」
フルーツ類は予定上、明日届くのでそれをいくつか拝借させてもらえば作れる。容器は既に購入済みだ。アイスクリームがもう一人分しかないので、食べれる人は限られるが。
「それは当然のように食べさせてくれるわよね?」
当然のように、アルペジオの目が光っている。この甘党さんめ。そんなに食べたいか。
「打ち明けてるのでちゃんと提供しますよ。……一人じゃ多いから、何人かで分けないと食べきれないかもね」
というか、現状アルペジオ一人に食べさせたら他の人から反感を買ってしまう。贔屓は良くない。数を作ればいいのだろうけど、材料は食糧庫から期限が過ぎたのをひっそりと頂いているので、必然的に少なくなるのである。―――横領ではない。有効利用です、これは。
「……デザートは別腹よ! 必要分作りなさい」
厳しい事をいうアルペジオ。
「そうだぞー。デザート寄越せー!」
そこに悪ノリするクリスさん。
「堂々と食材横領してしまいなさいよ」
真面目そうに見えるキャロルさんの問題発言。
よくない発言だ。
「調達きついんで無理です。それと肥るぞ」
軍人である彼女らには関係無いかもしれないが。
一応、《ノーシアフォール》発生前では栄養士の試験勉強テキストを読んではいた(栄養士の資格を取る気はなかった)ので、ざっくりとした計算ではあるが、カロリー計算と栄養バランスを考慮したメニューを組んでいる。軍隊の一食に必要なカロリー、栄養素は知らないけど、それなりに必要だろうと思い高カロリーなものにはしているが。
「心配ないわ。チハヤが厨房に入ってから、体脂肪率が減った人の方が多いから」
アルペジオから、衝撃の事実。図らずともいい傾向に向かっていたらしい。
「一部の人はお腹にお肉が……なんて言っていたけど。モニカちゃんとか」
「それはそうでしょ。軍人向けにカロリー多めなんだから。…………イオンさん? どうしたの」
その発言したところで、イオンさんが固まった。こんな会話していれば、聞いていれば思い当たる事でもあるのだろう。
「…………なんでもない」
「そうですか」
予想はついたのでこれ以上は聞かない事にする。見えている地雷を踏むのはマゾヒストか、余程失礼な奴と相場が決まっている。
後日、ランニングする騎士団員に紛れているイオンさんを見るのは、別の話だけれども。




