自室にて
今日の仕事―――炊事係の仕事を終えて、ロビーに居た人達に古くて捨てようとされていた小麦粉と玉子等を使ったバタークッキーを提供してから(アルペジオ曰く、僕が炊事係の日の楽しみの一つらしい)、自室へと戻ってきた。
扉を開けてすぐに目に入ったのは、壁に沿うように置かれた机と、そこにうつ伏せに眠るイオンさんと、どうしようか迷っていそうなセントリーロボットだった。
シャワールームからは、水の流れる音が聞こえる。部屋にフィオナさんの姿が見えないので、彼女がシャワーを浴びているのだろう。
「……ただいま。また性懲りもなく寝落ちしたのか、イオンさん」
ため息混じりに呟く。この人は眠たげな素振りを見せる事なく、電気が切れたかのように急に寝るから困る。
毎日のように寝落ちするので、早くベットに入りなさいと言っているのだが…………。まあ、相も変わらず聞く耳持たずである。
『チハヤユウキ。戻りましたか。イオン・リヴィングストンはフィオナ・クレイヴン・ファーゲルホルムがシャワーに入ってから数分後に寝てしまいました。どうしようか困り果てていたところです』
そう抑揚のない合成音声で言うHALのセントリーロボットは狭い室内で活動するために片腕仕様の細い二足歩行タイプである。
つまり、人を運ぶにはかなり手荒い手段でないと運べない。
「僕が運ぶからいいよ」
やれやれと思いながらも、手に持っていた袋を机に置いて彼女の座る椅子をそっと引いて、左腕をイオンさんの膝下に。右腕を背中に回して抱え上げる。
『なかなか体力が要りますよね、その方法』
「短い距離だし、イオンさん軽いし。ベットに寝かせるなら、こっちなら二段目にぶつけないですむ」
『なるほど』
そう話ながら、イオンさんを二段ベットの下の段へ寝かせる。そしてそっと夏布団を被らせる。
季節的に暑いが、部屋の中はエアコンによる冷房が効いてて過ごしやすい。でも、逆に寝ている間に体を冷やして風邪を引いてしまうので、これぐらいはやらないといけない。
「これでよし。―――全く、困ったもんだ」
『……そういうわりには、困った様子は見られませんが?』
「そう?」
『ええ』
指摘されてもなぁと頭を掻いて、持ってきた袋を開ける。
『それは?』
「余った小麦粉で小さいけど、スコーンを一つ作った。紅茶淹れないと……」
そう答えつつ茶葉をティーポットに入れて、電気ポットで沸かしたお湯をティーポットに入れる。
『チハヤユウキはコーヒー派なのか紅茶派なのか、ココア派なのかよくわかりませんね。どれでも淹れるし、どれでも飲む』
HALの言う通り、自分が淹れて飲むのに関しては、僕はこれといった好きという飲み物がない。基本的にその日その時の気分次第なので、なんでもかんでも飲む。
一応、騎士団の皆様に一番好評なのがコーヒーで、次いで紅茶。今現在は隠れポジションで人気はココアといったところ。
シスター曰く、「ココアが一番美味く淹れれて、二番目にコーヒー。大きく溝を開けて三番目に紅茶」、らしい。
こうして思うと、なかなかに評価の別れていることだろう。
「んー……。基本はコーヒー派。すぐに飲みたい時とかは紅茶。気分でココア」
『…………場合に寄る、というのはよくわかりました』
「一番好きなのは、シスターの淹れてくれたコーヒーなのだけれど。あの味は、ね」
近く出来ても、どうしてか届かない。
『××××××』
そう話していると、フィオナさんがシャワールームから出てきた。
『帰ってきたのね、と』
HALが通訳してくれた。
「うん、ついさっきね―――って、その服」
『なかなかいい服ね。着やすくていいわ』
そう言うフィオナさんは、僕がこの世界に来たときに着ていた黒いパーカーを羽織っていた。というかそれ一枚だけしか着ていないように見えた。正面のジッパーはちゃんと閉じているからから、太もも辺りまで裾が来ているのでいいか。
身長170弱の僕が着ると胴の丈が長いのだが、180を超えている彼女が着ると丁度いいぐらいなのかもしれない。
まだ乾かす前なのか、地面に届きそうなぐらい長い金髪もタオルで水気を取っているとはいえ、濡れたままだ。
「僕のなんだけどな……。まあいいか」
『チハヤユウキ。もう少し主張しましょう』
「この前の《コーアズィ》で無傷で同じのを二着回収してるから一着ぐらい、いいかなって」
『なるほど』
『これはなに? チハヤが作ったの?』
袋を覗き込みながらフィオナさん訊ねてきた。
「そうだよ。スコーンっていうお菓子」
そろそろかな、と思って紅茶をティーポットからカップへ注ぐ。
香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
『むぐ、ん―――。これ……スコーンっていうのよね? 口の中パサパサになるわ』
「だから紅茶とセットにするんですよ。口の中の水分持ってかれるので」
何かおかしい気がしたけれども、はいと火傷しないように気を付けてと言って紅茶を渡す。
『なるほどね……。お茶も美味しい』
そう言うフィオナさんの表情は、どこか幸せそうだ。美味しそうに食べる、とも言うか。スコーンは上手に焼けていたし、紅茶も質のいい茶葉なのが良かったのかもしれない。
「それは良かった」
『ところで、チハヤユウキ。そのスコーン、あなたが食べようと持ってきたのでは? 紅茶も』
「………………」
HALが指摘して、あっと違和感の正体に気付いた。
袋の中にはスコーン一つだけである。
『…………?』
それは今はフィオナさんに、紅茶と共に頬張られている。そして、手に残った一欠片もすぐに彼女の口の中へと納められる。
「……まあ、いつでも焼けるし」
『もう少し執着心を持ちましょう。簡単に譲りすぎです。甘いとも言います』
「辛辣だね」
『あなたが食べるつもりだった?』
もちろん、HALとのやり取りも通訳していたので、フィオナさんにも伝わっているわけで。
「うん。風呂上がりに、断りもなく食べるのもどうかと思うけど」
そんなに気にしてない、って言ったらHALから気にして下さいとツッコまれた。
『……チハヤの手料理、美味しいもの。どれでも食べたくなるわよ』
半目でこちらを見るフィオナさん。
どうやら、騎士団の皆様同様、朝昼夕の食事で胃袋を押さえてしまったようだ。
言っておくが、僕はそんなつもりは微塵もない。それを利用することはあっても、何かで利用するために胃袋を押さえる気はない。
『特に昼のウサギ肉のパイ。あれはとても美味しかったわ』
「二つ平らげたもんね……」
本日の昼食のミートパイの肉が意外な物とだけ言って渡していたが、フィオナさんだけが「これウサギ肉?」と訊ねてきたのである。曰く、よく食べていた様で、身の淡白具合でわかったらしい。
お代りを要求されて、予備で持ってきたのを渡す事になるとは。
『干す以外にも、ああいう風に調理するなんて考えもしなかった』
「焼くぐらいはするだろ? それと適当な調味料とかで味付けしない?」
『調味料って……。塩とか、コショウとかでしょう? 塩はともかく、コショウなんて金貨一枚に値する高級品、首都に出ないと手に入らない物よ? 私が暮らしていた森から遠いじゃない』
……うん? 変な言葉を聞いた気がする。
コショウは高級品?
世界の発展具合が違う発言だった。胡椒が高級品っていつの時代だろう?
『我々の世界ですと、西暦にして15世紀から17世紀の大航海時代辺り。ヨーロッパからインドへの航路が発見される前、15世紀でしょうか?』
僕の心を読んだかのように、HALが該当する事例を述べてくれた。
少なくとも元の世界、日本ではミル付きで300円。この世界では業務用の挽く前の胡椒が一キロ、1500ミーグで買えることを考えると、僕から見てもかなり昔の情勢だ。
『……って、それ使った料理をチハヤは作ってたということよね……? それってあなた、ホントは王室付きの料理人とかじゃないの?!』
「昼の話覚えてる? 孤児院出身の一般人だよ。―――いろいろと発展して、胡椒が一般家庭にも出回って驚くほど安く買えるような、貴女からすれば未来の時代の人なので……」
世界も違えば、技術発展の具合も違っていて。自分がいた世界にとって貴重な事が、相手がいた世界では当然の事であるとは思いもしないだろう。
イオンさんも驚いていたが、フィオナさんも驚いていた。この世け界が、自分にとって遥か未来の時代に該当するだろう時代だってことを。
僕から見れば、この世界は技術的には延長線上のようなものだが。
『未来の人々って贅沢ね……。そのお陰で私は美味しい食事にありつけているのだけれど』
それを聞いたフィオナさんは呆れたように呟く。
『チハヤユウキが暮らしていた国はそうだった、というのが適切かと。他の国々を見れば、貧困により食事にありつけるかどうかもわからない毎日といったところも少なくありません』
『どの世界にも貧困層は居るのね。ハルはどうだった?』
『私ですか? まあ、食事には困らない生活でしたね』
そのHALの言葉に、確かに食事には困らないよなと思う。HAL、人間じゃないし。
そう話ながらもフィオナさんは紅茶を飲みきり、カップを机に置いた。
『ごちそうさま。美味しかったわ。またお菓子と、お茶も淹れてほしいわね』
「お粗末さまでした。それじゃ、カップを洗ってきます」
そう言って、僕はまたカップを洗う為にロビーへ赴くべく、部屋を出る事になった。
部屋に戻ってきてまず目にしたのは、ドライヤーで苦戦するフィオナさんだった。
洗面所の鏡の前で右手にドライヤー、左手に櫛を持って、濡れた髪を乾かそうと必死だ。髪がかなり長いから、余計に難しいのかもしれない。
来て数日とはいえ、彼女からすれば未来の道具なんてすぐに使えるわけはなく。
『××××××、××××××ー!』
相変わらず、HALの通訳無しでは何を言っているのかわからない。予測はつくけども。
『戻りましたか、チハヤユウキ』
「ただいま。……フィオナさんは何て?」
『こんなの一人で出来ないわ、と』
でしょうね、と僕は呟いて丸イスを手に取り、洗面所に赴く。
フィオナさんの後ろにイスを起き、
「……座って下さい」
『……む、う、ん……。今日は、今度こそ……』
「シャワー浴びれないので、今日もやります」
後ろは、カーテンがあるとはいえバスタブだし、服を脱ぐのは洗面所側である。そして僕はたまに忘れられるけど男。つまりはそういう事である。
『……わかったわ』
驚くほどあっさりと引き下がり、フィオナさんはイスに座り、櫛とドライヤーを僕に手渡す。
「櫛はこっちの粗い方がいいですよ。あとアウトバストリートメントは……まだ? 塗らないと髪を痛めますから塗りましょう」
そう言いつつ、目の粗い櫛を手に取り、ドライヤーを作動させる。
先ずは下を向いてもらって、髪から10センチぐらい離れた所からドライヤーの温風を当てる。一点に当ててばかりではいけないので、風を散らすようにドライヤーを振って当てていく。
最初は前髪の根元。次は全体の根元と乾かしていく。上から下に、根元から毛先へと風を当てていく。
他にも細かい行程があるのだけれど、シスターにスパルタ式に教え込まれましたので、詳細は割愛。
そうしていくこと約五分で、フィオナさんの長い金髪はふわっと、ボリュームある仕上がりへとなった。フィオナさん、髪の量多いから時間かかるんですよね。
「はい。おしまい」
『おぉ……。二、三度やってもらっているけれど、相変わらず上手で手際いいわね。料理も上手で本当に孤児院出身か疑っちゃうわ』
乾いた髪を触りながら感心するフィオナさん。
「色々と教えられましたので。―――こうやって、誰かの髪を乾かすなんて、本当に久しぶり」
ドライヤーや櫛を片付けながら答える。
本当に、久しぶり。あの日、あの子以来でしょうか。
「……で、何をしているんですか?」
髪を引っ張られる感覚と、その光景を見て訊ねた。
そこには、 私 の髪を掬い上げ、その匂いを嗅ぐ金髪巨乳のエルフがいた。
…………まさか、匂いフェチ?
あっ、とでも言いそうな顔を見せて、慌てたように髪を離して、
『××××××××××××!』
『何でもない、そうです』
HALの通訳。なんとなくそんな事を言っているんだろうなとは思っていたけど、大当たりだった。
「何でもないのに髪の匂いを嗅ぎますか?」
よっぽど、私の表情が引いてたか、それとも冷たく見えたのか。フィオナさんは少し涙目になってこちらの胸にしがみつく。
『チハヤの髪、いい香りしたから……! つい……!』
つい、で人の髪の匂いを嗅ぎますか。
でも、そんなにいい香りするかな、と思って自分の髪を鼻まで持ってきて嗅ぐ。ほのかに甘い、バニラの香り。
ああ、そう言えば、とシャンプーのボトルの中身を思い出す。普段使っているのは、普遍的に出回っているバニラの香りがする薬用シャンプーにトリートメント。女性用ですけど。
丸一日続くものなんですねぇ。
抱きつかれては自由に動けないのでフィオナさんを引き剥がして椅子に座らせる。胸が当たったままだし。
「―――まあ、気になるのはわかります。だからと言って何も言わずに嗅ぐのはどうかなと。非常識です」
目を細めて静かに怒るふり。言っている事はHALが同時通訳しているから意味はそのまま通じるし、私の様子からも怒っている事はわかるだろう。。
そこまで怒ってないけれど。
『あう……』
「そういう事はあまりしないように。私はともかく、他の人があなたのその奇行を受けたり見たりして、どう思うかなんて想像出来るでしょう?」
『わかりました……』
そこには、二十年も生きてない人に釘を刺される200歳超えのエルフの姿があった。錯覚だと思うが、背の高いフィオナさんが小さく見えた。
『―――とまあ、彼は言ってますが、実のところチハヤユウキはそこまで怒ってませんよ』
HALの余計な一言。ちゃんと後からフロムクェル語も同時に言うあたり律義です。
『―――はい?』
『と、言うか、チハヤユウキは周りの影響からか、身内や女性に対してはかなり甘いです。私のいた世界のチハヤユウキと全く一緒です。殺意さえ向けなければ無害も良いところ』
『怒ってないの?』
訊ねられたので、私は柔らかな笑顔を彼女へ向ける。
「―――ええ。そこまで短気ではありませんので」
だからと言って沸点が高い訳でもないけれど。
『チハヤユウキ。素に戻ってますね。―――やはり、チハヤユウキはその丁寧で穏やかな口調、どこか優美な物腰でなければ』
そう答えた私に対してHALがそう指摘した。
『やっぱり、チハヤは猫被ってるのね? 最初会った時の印象と、とここ数日の振る舞いから、多重人格かと思ってたわ』
私を見上げて言うフィオナさんの表情はどこか納得している様子。
「あはは……。こちらが素、と言われたら否定出来ないのだけれど……。こう振る舞うのが私の人生の大半でしたから」
『このチハヤユウキはかなり分厚く猫を被っていますよ。地声はほとんど女性と変わりませんし、本来は先程申し上げた通り、丁寧で穏やかな口調でどこか優美な物腰が素のじょ――――男性です』
そのタメは何ですか。というか女性と言い間違えかけましたよね?
『こっちの方がいいじゃない。素っ気ないフリなんてしてないで、日頃からそうしてよ』
『それに同意します、フィオナ・クレイヴン・ファーゲルホルム。敢えて低いトーンで喋るより今の方が自然ですよ、チハヤユウキ』
「……ふふ、そうかもしれませんけどね。――――もう、こうする理由が、僕の中にはないから」
僕のトーンに戻しつつ、素っ気なく答える。
『ちょっと。そっちにしないでよ』
フィオナさんが口を尖らせながら抗議してきた。私の口調の方が気に入っているのだろうか。
「いいや、こっちにするね。―――それよりも、ここから出る。シャワーを浴びれない」
そう言って、HALとフィオナさんを追い出しに掛かる事にした。




