5 定義から
その日の業務開始とともに、螺旋の口から春日井が日本を発つことが告げられた。
「論文もたくさん手に入りましたしね、ボスから呼び戻されました」
春日井は軽やかに笑う。やっと論文から完全に解放される螺旋は、無表情ながらも僅かに安堵した様子が見て取れた。
「お疲れ様でした、春日井さん。また寂しくなります」
つづりが言うと、黒峰も頷く。
「螺旋さん復帰後の興味深いデータも充分に取れたし、有意義だったねぇ」
どういったデータを取っていたのか、高瀬は聞かないことにした。そして春日井に向けて、
「室長代行も大変そうでしたし、本当にお疲れ様です」
この数週間を思い出しながら告げた。
「正直どうなることかとは思いましたけどね。皆さんのお陰で、どうにか」
「にしても、その論文の数は、ちょっと……」
結局螺旋がどれだけの量を書かされたのか、正確な数を高瀬は知らない。螺旋もそれについては答えなかったからだ。
「けどその辺は、高瀬さんがうまーくセーブして下さってたんで」
春日井は悪びれず応じる。それを聞いたつづりと黒峰が、にやにやと顔を見合わせた――やりづらい。螺旋も二人の様子に気付いたらしく、僅かに目を伏せた。
そこへ、魔捜部屋のドアがノックとともに開けられる。
「螺旋さん」
非科捜――非科学捜査研究室のプレコグ、真山華火が入室してきた。
「真山さん――何か、視えましたか」
螺旋の確認に、華火は一度首を傾げてから、頷いた。
「あー、うん。視えたと言えば、視えた。春日井さんさ」
そこで視線を春日井に向ける。
「はい?」
今度は春日井が首を傾げる。
「……いや、けど、ニューヨーク市警だもんな、さすがに違うか」
華火はやや難しい顔を浮かべてぽつりと言う。
「…………」
螺旋はそれを見てしばし沈黙し、
「春日井さんに関する何かを視たのですね」
「あー、えっと、そう、なんだけど……」
華火の返事は歯切れが悪い。その様子で螺旋は何かを把握したのだろう。
「真山さん、それはきっとそう大きくは外れません。ですがご心配には及びません」
静かにそう言った。
「……螺旋さん、それ――」
「大丈夫です、何も心配なさらなくて構いません」
「…………?」
話がまったく見えない高瀬たちは、無言でそれぞれ疑問符を浮かべた。
「……うん、そうだね」
やがて華火は頷いた。その表情は半分安堵が、半分諦めが浮かんでいる。高瀬はそこで、彼女がトップクラスの予知能力者であること、そして螺旋に残された余命を繋げた。彼女の余命に関して――魔捜に所属する人々は、まだ何も知らされていないはずである。
「…………」
華火がその辺りの事情を踏まえた未来を視た可能性は――充分にあった。高瀬の様子に気付いたからか、華火はその視線を高瀬に投げた。また何か棘のある言葉が飛んでくるかと思ったが、彼女は何も言わなかった。少し困ったような――螺旋がたまに浮かべるような表情をして、それから、
「……うん、僕、戻るね。春日井さん、お元気で」
また螺旋に視線を戻し、それから春日井を見てそう言って、部屋を出た。
「……どうしたんですかね、華火ちゃん?」
つづりが不思議そうに首を傾げる。黒峰もさすがに余命に関する情報にはまだ触れていないか、もしくは把握しているもののそれを気取られないようにしているのか、
「どうしたんだろうね?」
それだけ言った。
「……まあ、厄介な未来を視たわけでもなさそうですし、大丈夫ですよね? 僕は一応昼までこちらにいて、夜の便で向こうに戻ることになってます」
「荷造りとか済んでます?」
つづりの問いに、春日井は笑顔で頷いた。
「こっちに呼ばれた時、元々最低限の荷物しか持ってこられなかったですからね」
「まあ、急ではあったからねぇ」
黒峰もうんうんと頷く。
そのまま各自が業務に取り掛かり、春日井を送り出したタイミングで、高瀬と螺旋は昼食に出た。黒峰は部屋に残ったまま端末に向かい、つづりは同期の小宮山誉と休憩室に向かって行った。
いつものカフェで注文を終えると、高瀬は慎重に切り出した。
「あの、羽佐間さん……」
「? はい」
螺旋は微かに首を傾げてから応えた。
「その……ですね、次の、土曜日なんすけど」
高瀬は一度言葉を切って深呼吸する。
「……土曜日が、どうかされましたか」
彼女は真剣な面持ちで続きを待っていた。この様子では恐らく、何を切り出されるのか本気で理解していないな、と思いながら、高瀬は覚悟を決めて一息で言った。
「美術館で現代アートの企画展をやってるらしいんですけど、一緒に行きません?」
「……一緒に、美術館に……?」
想定通り――螺旋は更に首を傾げた。
「えっと、ですね、つまり……」
高瀬は苦笑しながら、
「デート、です」
「……デート」
「あ、別に美術館じゃなくてもいいんですけど、すみません、特に絵に興味がなければ別の――」
「……デート」
螺旋はその単語で行き詰まっているらしい。それが急に可愛く見えてしまった高瀬は、小さく笑った。
「……デートとは確か、二人で日時を決めて出かけるという――」
「っ……そうです、それです」
噴き出しそうになるのを必死で堪え、高瀬は頷く。
「…………」
螺旋は少しの間何かを考え込んで、それから頷いた。
「……絵は嫌いではありません。行きます」
「良かったです。じゃあ、時間は――」
こうして二人の初デートは、美術館に決まったのだった。




