4 親衛隊
その事件はその三日後、突然発生した。
登庁してきた高瀬が、いつものように総務の区画と各部署を隔てる自動ドアを抜け、靴音の反響する廊下を進んでいたその時のことである。
急に拡張空間がぐにゃりと歪んだ。
「!?」
高瀬は身構える。景色はそのままだが、明らかに閉鎖された空間に引きずり込まれた。空気の密度の違いで、彼はそれを理解した。
「高瀬巡査部長」
ふいに声が聞こえ、目の前に一人の女性が現れた。
「……あ、あなたは……」
現場に向かう際に何度か一緒だったことのある、空管こと空間管理室所属の恐らく能力者である。
「初めまして、ではないんですけど、そう言えばきちんとご挨拶したことはなかったですね。私、空管所属の由良です」
由良と名乗った女性はそう言って微笑んだ。
「……魔捜所属の高瀬です」
どうやら向こうは自分を知っているようだが、高瀬は名乗った。
「……で、ここは一体……」
「ご心配なく、用が済んだら解放しますので」
「用、とは」
同じ特捜所属ならば敵ではないのだろうが、高瀬は警戒したまま尋ねた。
「私、実は――親衛隊にも所属してまして」
「……はい?」
高瀬は一瞬ぽかんとしてから、そう言えば、と思い至る。
記操所属の弓狩が、螺旋が復帰した際にそんな言葉を漏らしていた。そして更にその前、二階堂が意味深に言っていた言葉も思い出す。
――何かと苦労することになると思うけど。
「少しばかり、高瀬さんへの調査を開始します」
にっこりと笑みを浮かべ、由良は言い放った。
「調査……っすか?」
「羽佐間さんが魔力で生活を回すことによって起きる弊害は何ですか?」
高瀬の質問への返事はないまま、調査とやらはいきなり始まった。
「あ、ええと、本人に自覚がないまま負荷がかかって発熱とかしますよね。二度ほど見ました」
「ではその際の最も適切な対処方法は?」
「とにかく休養させることですけど……そうなる前に、負荷がかかる前に生活介入するのがベストかと」
「…………」
由良は数瞬黙った。
「……具体的にその方法は?」
「あ、いや、寝て下さいとか食べて下さいとか、あくまでお願いベースにはなりますけど……」
「……ふむ」
由良はまた、数瞬高瀬を観察する――この目は観察する目だと、高瀬は刑事として知っている。
「……羽佐間さんがそれでも無理を押し切ろうとする場合は」
「まあ、説得するしかないっすかね。無理はしてほしくないですから」
「……羽佐間さんがそれを聞き入れて下さると思います?」
高瀬は思わず苦笑した。
「さすがにそこまで頑なではないですよね、羽佐間さんって?」
「……つまり既に実績が?」
「何すか実績って」
「例えば羽佐間さんに食事を摂らせることに成功したとか、そういうのですよ」
「ああ、こないだからとりあえず昼飯は一緒に――」
「ええっ!?」
由良がいきなり叫んだ。
「な、何すか?」
「既に――実績がある!? あの二階堂室長でも無理だったのに!?」
「…………?」
「……確かに、羽佐間さんご自身も高瀬さんを選んでいる……ならば……」
由良はぶつぶつとそんな言葉を紡ぐ。それから、
「……ひとまずこの結果は隊に持ち帰って検討します……模範解答の上を行くなんて……」
そう言ったかと思うと、次の瞬間、高瀬は隔離された空間から解放された。
「では高瀬さん、また後日」
由良はそう言い残し、靴音を響かせながら姿を消した。
「……何なんだ、親衛隊って」
朝一で奇妙な体験をした高瀬はそう独りごちてから――だがその組織に関しては何となく概ね理解した――魔捜部屋を目指した。
その日も春日井に論文を書かされていた螺旋に頼まれて、高瀬は資料課に足を運んだ。紙媒体で記録されている古い資料を持ち出すためだった。
「失礼します」
事前に必要な資料は連絡しており、係の者から受け取る手筈になっていた。
巨大な棚がいくつも並ぶ資料課に足を踏み入れると、図書館のような匂いに包まれる。
「……魔捜の高瀬さんですね」
資料棚に埋もれるように存在するデスク群から、分厚いファイルを携えて一人の女性がやって来る。
地味な服装をした、眼鏡を掛けたいかにも大人しそうな女性だ。
「担当の芳賀です。こちら、羽佐間さんからご指定のあった資料です」
「ありがとうございます」
差し出されたファイルを受け取ろうとした高瀬だが、芳賀はそのファイルをしっかり握りしめ、手を離さない。
「……あの、芳賀さん、でしたっけ? ファイルを――」
「親衛隊の一員、芳賀栞として問います。こちらの資料、論文に必要なわけですよね?」
――またもや親衛隊である。
「はい、そうみたいです。あの、何なんすか親衛隊って? これも調査とやらの一環なわけっすか?」
「親衛隊とは羽佐間さんを影で愛で、守る組織です。そしてもちろんこれは高瀬さんに対する調査の一環です。論文を書かされすぎていませんか、羽佐間さんは?」
今朝の由良とは違い、芳賀は一応質問には答えてくれた。しかし隊の活動はどうにも怪しい。由良の件で何となく把握したとは言え、だいぶ怪しい。
それにどうやら間違いなく、高瀬は調査対象である。何の調査なのか、何のための調査なのか目的は今ひとつ判然としないが、 有無を言わせぬ様子で質問で返された。
「ええと、自分は羽佐間さんが論文とやらを書いているところを見るのは初めてなので、量的には判断できないですけど……確かにずっと端末に向かっておられますね」
「……あの春日井さんがいますからね、強敵です」
芳賀はファイルから手を離さないままそう言った。
「……自分には、その論文の必要性とかは判らないんですけど……ノブレス・オブリージュがどうとか……あのあれ、そろそろ春日井さんを止めてもいいんすかね?」
「論文の価値で言えば、魔術師の世界では長年待ち望まれている貴重なものです。ですが――」
「ええ、羽佐間さんは復帰されたばかりです、一旦ストップかけて問題ないんですね、春日井さんに?」
高瀬の問いに、芳賀は頷く。
「……でしたら、このファイルは受け取れなかったことにします」
「…………」
高瀬がファイルから手を離すと、芳賀は眼鏡の奥から、無言で静かな視線を向けた。
「……何すか?」
「いえ。なるほど」
「……?」
「それでは、こちらのファイルは片付けておきます。調査は以上です」
芳賀は何度か頷いてからそう言って、ファイルを胸の前で抱えた。
「……これ、自分は何の調査をされてんですか?」
「お気になさらず」
微笑んでから芳賀は一礼し、デスクに戻る。高瀬はぽかんとその場に立ちすくんでから、
「……では、失礼します」
資料課をあとにした。
魔捜部屋に戻り、手違いでファイルを受け取れなかったと説明すると、螺旋は首を傾げた。
「……あの資料がなければ、論文が進まないのですが」
「では少し休まれてはいかがでしょう、羽佐間さん」
「いえ、あと三本ほど書き上げないと――」
螺旋は完全に論文モードに入っていた。あれほど嫌そうだったのが嘘のようである。
「春日井さん、羽佐間さんは少し、無理をされているように見えますが……」
高瀬は春日井に目線を遣る。春日井は頷いて、
「確かに、ペースが速すぎますよね。既に五本の論文が仕上がってますし、充分と言えば充分かもしれません」
「五本!?」
想定外の数字に思わず小さく叫んでから、螺旋に目を戻す。
「……ええと、だそうですから羽佐間さん、少し休憩しましょう」
「……そうですね、そうします」
そして螺旋は一呼吸置いて立ち上がり、ティーセットを仕舞ってある棚を開けた。
黒峰とつづりが楽しそうにその様子を見守っていた。
「……高瀬さん」
「はい?」
昼食に出た際に、螺旋が静かに口を開いた。
「……何かありましたか」
「……いや?」
「……何かに巻き込まれていませんか」
「…………いえ?」
立て続けに発生した親衛隊とやらからの調査に彼女は勘づいているのかもしれないが、高瀬はとぼけた。調査対象は恐らく高瀬だけである。余計な心配はさせたくなかった。
「……否定までに僅かに時間がかかっています。何か起きていますね」
螺旋は断定口調だった。さすがに欺けないか。しかし、
「いえ、羽佐間さんが気にされるようなことは、何も起きてないですよ」
高瀬は微笑とともに答える。そこへちょうど、注文したメニューが運ばれてきた。螺旋はサンドウィッチとミニサラダと紅茶、高瀬は日替わりランチとコーヒーだ。
螺旋の昼食は明らかに量が足りないように思えたが――最初はサラダと紅茶だけ注文しようとしていたので、高瀬がどうにかサンドウィッチも注文するよう説得したのである――それでもこれまでほぼ昼食を摂らなかった彼女にしては大きな変化だった。高瀬は知らなかったが、伶那が知れば驚愕のあまり絶句するレベルの成長ぶりなのである。
「…………」
ウェイターが去ったあと、螺旋はしばらく高瀬の言葉の真偽を見極めるように無言で彼を見ていたが、
「……そうですか」
高瀬はどうやら口を割らないと判断したらしく、ぽつりとそれだけ言った。
親衛隊、という名称を弓狩が口にしたとき――それは高瀬が初めてその情報に触れた瞬間でもあったわけだが――螺旋はそれを知らない様子だった。資料課の芳賀の言葉でも、影で愛でるだとか守るだとかいうものがあったと記憶している。つまり螺旋本人とは無関係に展開されている活動のはずだ。
ただでさえ復帰直後に立て続けに論文を仕上げ、そして何より、これまで意図的に避けてきた、という関係性に踏み出してくれた彼女に、これ以上余計な負荷をかけたくなかった。
――親衛隊による何らかの調査。どう考えても螺旋には余分な荷物にしかならないだろう。
「そんなことより、食べましょう。紅茶も冷めちまいますよ」
「……はい。いただきます」
納得はしていない様子だったが、螺旋はそれ以上追求せずにティーカップを手に取った。
その数日後、登庁してきた高瀬は再び、拡張空間フロア内で由良が作成した空間に引きずり込まれた。
「……由良さん、と、弓狩さんも……そろそろ勘弁して頂けないすかね……」
この数日間ずっと、親衛隊なる組織の面々から数々の試練を与えられていた高瀬は、些かげっそりしながら呟いた。由良と、並んで立つ弓狩はにっこり笑っていた。
「ええ、調査は全て終了しました。本日は、隊としての結果をお伝えしようと思いまして」
「……その隊がもう色々ヤバいんすよ、色々」
高瀬は力なく返す。
「隊としては、このままお二人を見守ろう、という結論に達しました」
「高瀬さんになら、羽佐間さんを任せていても大丈夫だろう、と」
由良と弓狩は口々に言う。
「……そうすか」
高瀬は何とも言えない口調で言った。親衛隊そのものが螺旋本人からは認識されていない――されないように振る舞っている――意味不明な組織なのだ。隊としての結論も何も、である。
「寧ろ……我々親衛隊としては、このまま見守る方が……より意義のある活動になるのでは、と」
由良はそう言って、弓狩と顔を見合わせた。満足げに笑っている。
「…………」
高瀬はやや半眼でそれを黙って見ていた。そして、
「……この調査とやら、多分ですけど羽佐間さん何か勘づかれてますからね」
二人に告げる。
「……えっ」
途端に二人はそんな声を漏らした。
「……認知されては負け、です」
「より一層隠密に行動しなきゃですね」
素早くそう交わす。
「…………」
高瀬は相変わらずの表情でそれを見やると、小さく息を吐いた。
「……ともかく、結論は出ましたが、隊はいつでも羽佐間さんを見守っていますので、もしも何かあればそのときは――ふふ」
由良は不敵な笑みを漏らしてから、隔離空間を解除した。
「というわけで高瀬さん、気は抜かないで下さいね」
弓狩もそう言うと由良と連れ立って、通常の拡張空間に戻った二・五階の廊下を去って行った。
「……了解っす」
高瀬は苦笑しながらそう呟いて、魔捜部屋を目指した。




