2 看破
「……お兄ちゃんさあ」
高瀬の変化に真っ先に気付いたのは、妹の紗雪だった。
「何だ?」
リビングのソファでコーヒーを飲みながらスマホでニュースをチェックしていた高瀬は、何の警戒も抱かずにいつものように返事をする。
「……彼女さんできた?」
「ぶふぉっ」
盛大にコーヒーを噴き出す。
「あー、ちょっと! 後でちゃんと掃除しといてよね! 私知らないからね!」
「ごほっ、さゆ、ごほっ」
「ふふーん? やっぱり彼女さんできたんだな? 誰、誰? 羽佐間さん? え、ていうか羽佐間さんでしょ?」
咽せ続ける高瀬にそう畳みかける。高瀬は答えられない。咽せているからだ。
「うわー、上司じゃん。え、上司だよね? でも判る、すっごい綺麗だもんね羽佐間さん。めちゃくちゃ素敵な人だし。えー、やるじゃんお兄ちゃん! 何て告白したの?」
高瀬はまだ咽せているが、紗雪は構わず続けた。キッチンからソファまで駆けてきて、高瀬の隣に腰を下ろす。
「え、羽佐間さんの方がちょっと上でしょ? だよね? よくOKもらえたね、おめでとう! 幸せになってね!」
「っごほっ……こほっ……ふう……あのな紗雪、お前な……」
ようやく気管の安全が確保されて咳から解放された高瀬は、懲りずにまたコーヒーカップを口元に運びながら紗雪に応えようとする。
「何~?」
「……いや、ああ、まあその、確かに羽佐間さんなんだけどな」
「おお~! マジで! え、じゃあ羽佐間さんがいつか私のお義姉さんになるってこと!? えっ、嬉しい、本当っ!?」
「ぶぉっ!!」
「ああもうちょっと! まったく、一旦コーヒー置きなよ!」
高瀬は大人しく従った。ローテーブルにカップを置いてから、
「……いや、まだ全然そういう話の段階じゃないんだが……それは、な……ちょっとだけ――事情もあって、な」
「?」
首を傾げた紗雪に、高瀬は――一般人に話すことが許される範囲での――事情を説明した。
「……どういうこと? ちょっとどころじゃないじゃない、それ」
理解できない、という表情で、紗雪は首を傾げた。
「それほど長くない……って、病気……とか? 羽佐間さんが? あの羽佐間さんが? いやまあ確かにすっごい細いけど……え、あれ、病気のせいだったの?」
「……病気、じゃあ、ないんだけどな」
「病気じゃない? なのに、長くないことが決まってるって、おかしくない?」
「……それは」
「羽佐間さんでしょ? え、あのめちゃくちゃ美人さんな捜査一課の上司だよね? 私、誰かと勘違いしてないよね?」
警察庁刑事局特殊捜査部の存在を明かすわけにもいかず、高瀬は紗雪にも、警視庁捜査一課所属という過去の身分を貫いていた。
「あー……いや、実は捜査一課でもなくてだな」
実際、警察庁に特例で永久出向するという処遇を受け容れた以上、所属が警察庁になったことは家族に伝えて良い、とされていた。
「捜査一課じゃない!?」
「あー……と、色々あって、警察庁勤務になってな?」
「何で疑問形なの!」
「……色々あんだよ」
「色々で済ますな色々で! まあ、そっか、この数か月何となく変だったのってそういうことか。 え、じゃあ、羽佐間さんは、もしかして本当は刑事じゃない……?」
「いや、刑事というか幹部というか、俺の上司であることは間違いない」
「ううん? ……まあいいや。てことは、羽佐間さんって元々は……警察庁の人ってこと?」
「……まあ、そうだ」
「……ええと、私が知ってる羽佐間さんで間違いないよね?」
「ああ」
「その羽佐間さんが長くないってどういうことよ」
「……それ、は、色々あって説明はできん」
「ああ!?」
紗雪の口調が荒れた。それからすぐ、
「……まあ、判った、なら詳しいことは訊かない。ただ……それってお兄ちゃんは納得してるの? 羽佐間さんは納得してるの?」
妙に大人びた口調で言った。
「俺はしてるし、たぶん羽佐間さんも納得してる」
「……じゃあ、お兄ちゃんも、羽佐間さんも、ちゃんと幸せ?」
紗雪に問われ、高瀬は微笑むことで答えた。
「……よく判んないけど……お兄ちゃん、ちゃんと幸せでいろよ。あと羽佐間さん泣かせるなよ」
「――ああ」
高瀬は決意を込めて、頷いた。
「……そうだお兄ちゃん、ちゃんとおやすみなさいのメッセは送ったの?」
「あ? いや、特には……」
「もうっ、何やってんの! 付き合ってるんでしょ? 彼女さんでしょ?」
紗雪がずいっと顔を近付けた。
「あ、いや、ああ、まあ……」
「送る! ちゃんと送る! ほら送れ! 今!」
「わ、判った」
迫力に気圧され、高瀬はメッセージアプリを開く。交換してまだ日が経っていない螺旋とのルームを開き、ふと固まる。何しろ相手はあの羽佐間螺旋である。付き合い始めたとは言え――最強魔術師なのである。考えた末に、お疲れ様です、おやすみなさい、と入力した。
「……うわあ……事務的……まあ、うん、まあそれでいいや、送って、スタンプもね!」
覗き込んだ紗雪から逃げ、必死で画面を隠すようにしながら、高瀬は無難そうなスタンプを選んで送信する。
ややあってから既読が付き、おやすみなさい、と返ってきた。高瀬は紗雪にバレないようにそれを確認する。彼女らしく飾り気のない、それだけのメッセージだった。それでも高瀬の胸はほのかに暖かくなった。
それから、噴き出したコーヒーを拭くために布巾を取りに立ち上がった。
――紗雪の知っている螺旋の姿と、現在の姿が異なることは、もう少し落ち着いてから伝えよう、と思った。
* * *
螺旋の職場復帰の日取りが決定した頃、拡張空間である二・五階のフロアで、高瀬は二階堂と出くわした。
「やあ高瀬くん」
靴音の反響する廊下で立ち止まり、二階堂がひらりと片手を上げる。いつものように、高級そうな三つ揃いのスーツをやけに巧く着崩していた。
「お、お疲れ様です、二階堂室長」
姿勢を正して挨拶すると、二階堂は楽しそうな笑みを浮かべて、
「……そっかぁ、やっぱりそっかぁ」
「…………?」
「いやぁ、いつからだったかなぁ、何となくこうなりそうな気はしてたんだけど、そっかぁ~」
にやにやと笑いながら、茶化すような口調である。まさか、と高瀬は気付いた。二階堂は記操の室長である。螺旋も言っていたではないか。彼女の払った代償についても、恐らく薄々気付いているはずだ、と。ならば当然――
「に、二階堂室長――」
「高瀬くんさぁ、螺旋ちゃんのこと、よろしくね」
ほんの一瞬、僅かに切なげな表情を浮かべてから、二階堂はそう言った。高瀬の知る限り彼は――それなりの期間、螺旋にかなり本気で想いを寄せていた。高瀬がこの部署に配属されることとなったその日よりも、ずっと以前から。
「……すみません、二階堂室長。あの、自分――」
「あ、そういうのナシナシ。螺旋ちゃんだってそれを選んだんでしょ。だから――螺旋ちゃんのこと、よろしくね」
「……はい」
そこへ、軽やかな靴音を響かせながら、二階堂の部下である弓狩瑠依が現れた。
「室長ーっ、ちょっと、置いてかないで下さいよっ!」
「弓狩ちゃん、遅いよー。あと廊下走らないの」
「室長が置いてくからじゃないですかっ」
息を整えながらじろりと二階堂を見やってから、高瀬に目を向ける。
「高瀬さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
その様子をどこか楽しそうに眺めてから、二階堂は高瀬の肩にぽんと手を載せる。
「……何かと苦労することになると思うけど、頑張ってね」
「?」
この時の高瀬は知らなかったのだが、弓狩は特捜有志により結成された、羽佐間螺旋の本人非公認組織、通称親衛隊の隊員であった。その活動内容は、遠くから螺旋を愛でること、そして万が一彼女に邪な目を向ける者がいた場合、それを監視して必要とあらば合法的に排除することであった。本人の知らないファンクラブのようなものである。
「ん? 室長、何か……それより高瀬さん、羽佐間さんの復帰ってもうすぐでしたよね!」
「あ、はい」
「無事に復帰されることが決まって良かったです!」
にっこりと笑みを浮かべる弓狩は、恐らく螺旋が払った本当の代償を知らない。
「……はい」
高瀬は微笑んで、どうにかそれだけ返した。
「よーし、それじゃ弓狩ちゃん、行くよー」
「はーい。じゃ、高瀬さん、失礼しますね」
二階堂はひらひらと手を振りながら、弓狩は敬礼して去って行った。高瀬も見送る言葉を告げて少しの間それを見送ってから、自分の向かうべき魔捜部屋を目指した。




