1 告白
予定を大幅に変更し、Web公開としました。
本編を経ての物語となるのである意味いきなりネタバレですが、お楽しみいただければ幸いです。
「羽佐間さん、お話があります」
禁術である神降ろしの行使以降、一度目覚めたものの実質的な昏睡状態に陥っていた――と、少なくとも高瀬藍一郎は認識している――羽佐間螺旋が再び目を覚まし、その容態や魔力も安定した頃。
まだ咲坂伶那のクリニックで静養を続けている彼女を見舞った高瀬は、そう切り出した。
「ええと、早乙女部長から選択肢を渡されまして――」
無論、警察庁刑事局特殊捜査部への永久出向を選んだ旨を伝える目的でここに来たわけだが、それだけではなかった。
だからその話を告げて螺旋が小さくそうですか、と呟いたあとも、高瀬はまだその場に立ったままだった。まだ伝えるべきことは残っている。
――彼女が昏睡状態に陥っている間に気付いてしまい、それに向き合った結果を、高瀬は伝えようとしていた。
「それと……羽佐間さんを困らせてしまってもいけないと、思ったんですけど……」
「……はい?」
「あの……けど、羽佐間さんがもう目を覚まさないかもしれない、っていう十日間で、やっぱり、伝えられないことの方が、苦しかったので……」
「……高瀬さん、何を――」
「……羽佐間さん、ご迷惑でしたらすみません。自分は……俺は、あなたのことが、好きです」
「…………」
ベッドで身を起こしていた螺旋は、そのまましばし動きを止めた。
禁術の後遺症で月のような白銀に変わった長い髪が一房、窓の隙間から入り込んできた風に揺らされる。同じように蒼く変わった左色の瞳と、辛うじて元の色を保つ右の瞳が、静かに高瀬を捉える。
「…………」
少し困っているように見えた。だから高瀬は少し慌てた。
「あ、えっと、やっぱり、すみません、このタイミングじゃ、なかったですよね。魔捜に残るって伝えた直後に――」
「……いえ」
螺旋は静かに、いつもの抑揚のない声でそう口にする。
「……その、お気持ちは、ありがたい、のですが……」
いつも無機質ながらも流れるように言葉を紡ぐ彼女は、言葉を選んでいるようだった。
「高瀬さん……私は……禁術を行使してしまうような魔術師です。高瀬さんにはもっと――相応しい方が、いらっしゃるのではないでしょうか」
想定していた答えではあった。そもそも同じ特捜の別部署、記憶操作室、通称記操の室長で、ずっと彼女に対して判りやすく片想いしている――どころかアプローチしている二階堂左近に対してさえ、螺旋はけんもほろろだった。高瀬は何度となくそれを見てきた。
「高瀬さんにはもっと――普通の、幸せが……あるはず、です――私ではなく」
螺旋は少し俯き、そう言った。
「……禁術とか、魔術師とか、そういうのは関係なくて……俺は、あなたのことが、好きです。普通とか普通じゃないとか、関係ないです」
高瀬は一度だけ食い下がることに決めていた。
「…………」
螺旋は高瀬に視線を戻して数秒考え込んでから、
「……少しだけ、お時間を頂いてもよろしいですか」
僅かに切なげな表情に見えた。そしてそれは、高瀬にとって想定外の返事だった。
――それは、一考の余地がある、ということなのか……?
「……はい。ありがとうございます。何だか……すみません」
「いえ」
螺旋はゆるゆると首を振る。「ただ」僅かに困ったような表情を深めて続ける。
「……高瀬さんの期待されているお返事は、できないかもしれません」
「はい」
高瀬は頷いた。彼女がこの告白に向き合おうとしていることが理解できた。それは高瀬にとってやはり――想定外だった。望む返事がなくてもそれで構わない、と、彼は思った。
その事実を告げられたのは、それから数日後、螺旋の退院の目処が立った頃のことだった。
「え――」
高瀬は絶句していた。
「羽佐間さん――それは、どういう――代償って――外見が変わったこと、だけでは……」
病室の床が崩れていくようだった。落下している感覚を、高瀬は味わっていた。相変わらずベッドに身を起こした姿勢を変えず、その瞳の静けさも変えず、螺旋はあくまで淡々としていた。
「……私が行使したのは、禁術です。当然――この程度の後遺症では済みません」
――代償としてその寿命の多くを払った、と、螺旋は静かに言った。こうして生き残っていることは本来はあり得ない、と、あくまで無感情に告げた。その命はあと七年ほどで尽きることを、螺旋はいつものトーンを保ったままで、告白した。
「……先日すぐにお伝えできず、申し訳ありませんでした。この件をお伝えしても良いものかどうか、その場で判断できませんでした」
螺旋の声が、そこでほんの微かに震えた。
「――私は……誰かとともに居るべきではありません。ですから高瀬さん、やはりお気持ちには――」
高瀬は落下している感覚を抱えたまま、その言葉を受け止めた。きっとこの数日、彼女はずっと様々なことを考えていたのだろう。
羽佐間螺旋という女性は、そうやって常に、自分自身を顧みず、悪神まで消滅させ――その結果。
その結果が、命すらも削られていると言うのか。
「羽佐間さんは……」
高瀬はゆっくりと言葉を探した。
「……羽佐間さんは、それならなおのこと……そろそろあなたが幸せになるべきです」
振られたかもしれない、という事実より、高瀬にとってはそちらが気懸かりだった。
「……幸せ、ですか」
螺旋は困ったように首を傾ける。
「……充分、足りていると思いますが」
「いや、足りてないでしょう、あんまりでしょう」
「……そうは思いませんが……高瀬さんにとって、幸せとは何ですか」
逆に問われ、高瀬はやや考えた。
「まあ……妹とか、友人とか大切な人が、みんながそれなりに楽しそうで、自分もそこそこ楽しければ……充分ですかね」
「……ならばやはり、私は充分足りています」
「…………」
恐らくこの人の幸せというものの基準は、自分のそれよりも遥かに低いのだろう、と、高瀬は推測する。
「自分は……俺は、羽佐間さん、あなたにも――楽しそうで、いてほしいです」
食い下がる意図ではなく本心として――だから高瀬はそう言った。
「ヴェパールも、他の悪魔も、悪神も――あなたは充分すぎるくらい、闘ったじゃないですか。別に俺じゃなくていいです、付き合うとかじゃなくて良くて、とにかく羽佐間さん、あなたに……幸せでいてほしい、です」
螺旋はまた少し困ったような顔をした。
「……高瀬さん、二十八でしたね」
「……? はい」
「……随分達観していると言いますか……」
「それに関しては……羽佐間さんだって大概だと思います」
「……先ほどお伝えしたように、私に残された時間は、あと七年程度です。高瀬さんは……このような人間――いえ、もう人間と呼べるのかどうかも判らない私のような魔術師に――縛られるべきではありません。それは……幸せとは遠いのではないでしょうか」
自分の想い自体が拒絶されているわけではないようだ、と高瀬は思った。
「俺は……俺が幸せかどうかは、俺が決めてはいけませんか?」
だから本当にこの話に関してはこれで最後にするつもりで、高瀬は言った。我ながらしつこいな、とは頭の片隅で思った。
「あ、ええと、羽佐間さんが嫌でなければ、です、もちろん」
言い訳のように、けれど本心に違いないことを付け足す。
「……高瀬さんも二階堂さんも、変わったご趣味をお持ちですね」
螺旋は相変わらず困ったような顔をしている。高瀬は二階堂に思いを巡らせる。彼の方が自分よりずっと長く螺旋のことを想っているし、仕事上の関係ではあるものの長い付き合いであることも事実だ。螺旋が常にほぼ秒殺で二階堂の想いを切り捨ててはいるが、自分が割り込もうとしている形になっていることは間違いないと言える。
――二階堂は、彼女の払った代償について知っているのだろうか。
「……直接伝えたわけではありませんが、薄々把握していらっしゃるとは思います。二階堂さんは記操の室長ですから」
心の声が漏れてしまったらしく、螺旋が静かに応えた。高瀬は思わず口元を手で押さえるが、既に遅かった。
――しかしそれは、直接伝えてはいないということか。
「……高瀬さんは、二階堂さんとは違って本気だと思いましたので……」
「いえ、二階堂室長もかなり本気だと思いますよ」
「……そうでしょうか」
螺旋は本気で理解できない、といった様子で顎先に指を当てて考え込む。
「……そういった感情は……これまで意図的に避けてきましたので……私は魔術師ですし」
確かにこれまでの彼女の最終目的――悪神を消滅させる、という文字通り人生を賭けたものを考えると、それは妥当なのだろう。
だが悪神は消滅した。特捜の複数の能力者たちがそれを観測しているし、その事実はもう動かないだろう。
「……羽佐間さんが魔術師としての生き方を大切にされていることは理解しているつもりです。俺は魔捜に来てそろそろ五か月ですけど、ずっと見ていましたし。けど……人としても、生きていいんじゃないでしょうか」
「……前々から思っていましたが……高瀬さんは本当に、意外と頑固ですね」
螺旋は相変わらず困ったように、だが先刻よりは柔らかな空気を纏って静かに言い放つ。
「すみません、困らせたかったわけじゃないんです。復帰されてからやりづらくなるようなことを言って、すみま――」
高瀬の言葉を、螺旋の声が覆った。
「……七年程度、です」
「……はい」
「奇跡などは起きません、この数字は覆りません」
「……はい」
「高瀬さんは……それでも構わないのですか」
「……はい」
高瀬は静かに覚悟と決意を示した。
「……ほんの五か月程度で、人の本質など解らないというのに――」
「……それは――あまりにも濃すぎる五か月でしたよ」
「……後悔することになるかもしれませんよ」
「そのときはそのときです。それは何だってそうでしょう」
「……本当に、頑固ですね」
「それは……羽佐間さんもそう変わらないんじゃないですかね」
思わず笑いそうになるのを堪えながら本心を述べると、螺旋は微苦笑を浮かべた。
「……合理的ではありません」
「それ、は……そうなのかもしれませんが、人間は割と――そういうものじゃないですかね」
高瀬は微笑む。
「高瀬さん――私は、そういった感情には疎いです。残された時間も限られています。ですが……もしも……許されるのなら……私は――」
最強の秩序の魔術師は――禁術を行使し、その髪を白銀に変えた羽佐間螺旋はその日、一人の女性として、静かな選択をした。
その表情がとても綺麗だと、高瀬は心から思った。




