第8話 「そして、桃は育つ。物語は未完になる」
地鳴りは収まらない。天を衝く黒い桃の木は、世界のコードを侵食しながら、バグの果実を実らせていた。
空はひび割れ、デジタルノイズの雨が降り注ぐ。鬼たちも動物たちも、バグの負荷に耐えかねてその場に倒れ伏していた。
「博士! ログの解析はどうなっていますか!」
カレシが暴走する端末を押さえながら叫ぶ。
博士は眼鏡を濡らしながら、村人Aが残した断片データを高速でメインフレームに叩き込んでいた。
だが──
博士の手が、止まった。
「……解析できない」
全員が振り向く。
「どういうことだ、博士!」
雇い主が焦った声を上げる。
博士は画面を見つめたまま、ゆっくりと首を振った。
「0612はデータではない」
「え?」
博士が指先でモニターをなぞる。表示されるのは、無数の人間のログだった。
桃太郎。
鬼たち。
犬。
猿。
雉。
村人A。
雇い主。
カノジョ。
カレシ。
長老。
隊長。
博士自身。
全員のログが、細い線で繋がっている。
その中心だけが、赤く光っている。
0612。
博士が静かに言う。
「世界システムは0612を『エラー』として扱っている。消去対象として」
青年が眉をひそめる。
「つまりバグか」
博士は首を振る。
「違う」
彼は画面を拡大した。赤い光の中心に、無数の声が渦巻いている。消えかけた言葉。押し潰された願い。誰にも届かなかった叫び。
「これはコードじゃない」
博士の声が、初めて震えた。
「これは──人の意思だ」
青年が尋ねる。
「意思?」
「あー、世界が消そうとした意思だ」
その時、長老が静かに前に出た。
老いた声が、重く響く。
「……昔から言うじゃろ」
「人は二度死ぬ」
「一度目は命が尽きた時」
「二度目は誰にも忘れられた時じゃ」
長老は、村人Aが消えた場所を見つめた。
「0612とは、その二度目の死を拒んだ『物語』なんじゃろう」
沈黙が、会議室を包んだ。
その時──カノジョは、自分の手のひらを見つめていた。
さっきまで、そこには村人Aがいた。名前もない、ただの「村人A」として消えかけた男が、最後に彼女の手を握って、こう言った。
『……あなたは、覚えていてくれますか。私が、ここにいたことを』
カノジョは答えなかった。でも、握り返した。
その手のひらに、今は何もない。でも──彼女は確かに、その温もりを覚えている。
「……ん?まだ、あったかい」
だれにも聞こえない声で、カノジョはそう呟いた。
カノジョは広場の真ん中にトコトコ歩いていった。桃の種を植えた場所をじっと見つめていた。
時を同じくして、雇い主も動き始めていた。
「私は間違っていた」
静かにカメラを握った。
「私はずっと『完成した物語』を守ろうとしていた。でも違う。
物語は完成するから美しいんじゃない。
続きを生きられるから、美しい」
雇い主は、世界を見渡しながら、静かに、しかし力強く言った。
「プロットは終わる。物語も終わる。
だが、人の意思は終わらない。
私は、それを信じることにした」
彼はカメラを構え、世界の中心へと向けた。
「0612。
世界は君たちをノイズと呼ぶ。
だが私は違う。
君たちは、この世界が消しきれなかった『物語』そのものだ」
──パシャリ。
段ボールのカメラが、世界に向けてシャッターを切った。
それはドキュメンタリーの再生ログではない。システムへの、最大のバグの流し込み──
「この物語は、まだ終わっていない」という、創作者の宣言。
そして、0612という「消えなかった意思」たちへの、最初の応答だった。
そして広場の中央ではカノジョが両手を空へ伸ばす。
「大きくなーれっ!!」
ピキィィィン──。
世界が割れた。
黒く天を覆っていた桃の木の枝先から、少しずつ色が戻っていく。
漆黒だった幹は淡い茶色へ。
禍々しい実は、一枚、また一枚と桃色の花びらへ姿を変え、風に乗って静かに舞い始めた。
空を覆っていたノイズの雨は止み、割れていた空はゆっくりと青さを取り戻していく。
世界は壊れたのではない。
ようやく呼吸を始めたのだった。
気づくと、鬼たちがゆっくりと目を覚ましていた。彼らの顔には、困惑と——ほんの少しの、解放の色が混ざっている。
スピーカーから学生の驚嘆の声が漏れる。
『上書きプロトコルが消滅……!? 嘘、世界の総容量が解放されていきます! システムが……物語を固定するのをやめたんだ……!』
カノジョは、自分の手のひらをもう一度見た。
そこには何もない。でも──彼女は笑った。
「……ちゃんと、届いたね。」
ノイズが止み、光が視界を埋め尽くす。
気がつくと、会議室のメンバーの身体も、現実世界への強制ログアウトの光に包まれていた。
「みんな、またね」
カノジョが笑っていた。彼女の足元を見ると、あの赤黒く明滅していた土壌から、一本の、小さく青々とした本物の「桃の双葉」が、静かに芽吹いていた。それはプログラムされた記号ではない。この世界で初めて生まれた、本当の『命』だった。
光の中で、桃太郎がゆっくりと目を覚ます。その顔には、お面のような営業スマイルはもうなかった。彼は自分の手を見つめ、それから鬼たちの畑を見つめ、そして──広場の片隅で、小さく青々と芽吹いた桃の双葉を見つけた。
彼は、ほんの少しだけ、いたずらっぽく微笑んだ。
「……さて、何から始めようか」
その声は、世界システムのレールから完全に外れた、一人の少年の、確かな第一歩だった。
―――現実世界・中継セクター―――
ドン、と重い音がした。
「長老!」
カレシの悲鳴のような声が、帰還したばかりの薄暗い会議室に響いた。
ヘッドセットを外した長老が、椅子から滑り落ちるように床へ倒れ伏していた。浅い呼吸のまま、ピクリとも動かない。この過酷な時空の旅が、老いた身体に限界をもたらしたのだ。
「長老、しっかりしてください!」
カレシが駆け寄る。その横を、大柄な影が静かに通り過ぎた。
隊長だった。隊長は無言で長老を軽々と抱き上げると、その顔をじっと見つめた。動揺はあった。しかし、その瞳の奥には、鬼たちの畑で泥にまみれたあの時以上の、揺るぎない「責任感」が灯っていた。この旅の重みを、彼は自身の身体で受け止める覚悟を決めていた。
「医療班を呼ぶ。カレシ、端末のシャットダウンを頼む」
「は、はい!」
カレシは慌ててキーボードに向かった。ふと横を見ると、カノジョが静かに自分の手を見つめている。
あの世界で、確かに『命』の種を植えた小さな手。そして──名前もない誰かの温もりを、最後まで握りしめた手。
カレシはキーを叩く手を一瞬止め、カノジョの横顔を真っ直ぐに見つめた。
「……君が植えた種、ちゃんと、生きてたよ」
「……うん」
「それと──」
カレシは、少しだけ間を置いた。
「──君が握った手のひらも、ちゃんと届いてるよ」
カノジョは顔を上げ、いつも通りの無邪気な笑みを浮かべた。
「……でしょー。だって分かってたもん」
その背後では、監査役が音もなく博士の隣に立ち、一枚のタブレットを突きつけていた。画面には、真っ赤な警告文字が並んでいる。
「博士。中継セクターの共有備品、および高次元オブジェクトの不正利用データです」
「おや……これはまた、手厳しいな」
博士は眼鏡のブリッジをクイと上げ、額の汗を拭った。
「後程、別室でお話を伺います。事によってはこの現代でのコンプライアンス違反を適用せざるを得ません」
「うーん……」
長椅子のほうから、大きなあくびが聞こえた。スターが目を擦りながら、ようやく起き上がったところだった。
「……なに?、どうした?。 いやぁ、今度さ、桃君にハマショウを教える約束が……」
まだ半分夢の中にいるような顔で、スターがぼやいた。
「スターさん、お疲れ様。はい、目を覚ましてね」
すかさず女将が、温かい湯気の立つコーヒーを淹れて彼の隣に寄り添う。
「ん、女将さんか」
湯気と共に広がる珈琲の香りに、スターはようやく意識をはっきりと覚醒させた。そして、いつものようにニカッとまぶしい笑顔を彼女に向ける。
「サンキュー!」どこまでもスターだった。
その様子を、少し離れた席から、面白くなさそうに睨みつけている男がいた。雇い主だ。
「……私もさっきから、ずっとここに座っているんだがね」誰も聞いていない。
―――中継セクター・メインモニター前―――
ヘッドセットを外した青年が、深く息を吐き出していた。
「……戻ったか」
「遅いですよ、青年さん」
隣で端末の最終ログを片付けていた学生が、ぷいとそっぽを向いた。
「心配なんて一ミリもしてませんけど、データが消えたら私の単位がなくなるところだったんですからね。……はい、これ。女将さんから預かってた差し入れのコーヒーです。冷めてますけど」
青年は苦笑しながら、手渡されたコーヒーを受け取った。まだ、微かに温かかった。
「青年さん」
「ん?」
学生は端末に目を落としたまま、キーボードを叩く指を一瞬だけ止めた。長い睫毛の奥で、その瞳がチラリと青年を気遣うように揺れる。
「……無事で、よかったです」
本当に小さく、聞き逃しそうなほどの声だった。
「……ああ。ありがとう」
青年が少し驚いたように目を丸くすると、学生は「な、なんですか!」と急に顔を赤くして再びキーボードを激しく叩き始めた。
その画面の最下部で、次なるセクターの座標が静かに点滅を始める。その隣には、赤いフードのアイコンが、かすかに浮かび上がっていた。
その時──窓辺で、カノジョが一人、しゃがみ込んでいた。
カノジョは、誰も見ていないところで、自分の手のひらを見つめていた。
そこには、何もない。
でも──彼女は確かに、村人Aの温もりを覚えている。
「……また大きくなってね」
ぽつりと呟いた。
その瞬間、彼女の手のひらから、かすかに青い光が漏れた。
小さな、光の双葉が、一瞬だけ形を現しては消えた。
誰も気づかない。
でも──確かに、そこに何かが芽吹いていた。
カノジョだけが、小さく笑った。
【システムログ:桃太郎セクター・最終ステータス】
現実確率:100%(現実世界と完全同期)
歪みレベル:0
――ステータス:『未完(進行中)』
――世界住人による自発的なプロット構築を確認。
【0612】
STATUS:UNKNOWN
解析……FAILED
分類……FAILED
削除要求……FAILED
――警告:次なる物語セクターにて、広範囲の空間座標の歪みを検知。
――観測チーム、次のセクターへの移動準備を開始します。
現実世界では、誰もその物語の続きを知らない。
けれど、鬼ヶ島の小さな畑では、今日も一人の少年が畑を耕している。
英雄ではなく、一人の"桃太郎"として。
―――
【カノジョより】
ここまで、一緒に旅してくれてありがとう。
桃太郎さんも。
鬼さんも。
村人Aさんも。
ちゃんと、生きてたよね。
だから私は、
次の世界でも、
また種を植えてくるね。
ねえ。今回、一番好きだった人は誰?
よかったら、今度こっそり教えてね。
その人のこと、私もちゃんと覚えておくから。
……
やっぱり私?
――だよねー。
それじゃあ。
次は赤いフードの女の子が待つ森で。
またね。
……
あっ。
忘れるところだった!(学生さんに怒られる)
私たち、ちゃんと帰ってこれたかな?
スターさん、まだ寝てるかな?
博士さん、怒られてるかな?
隊長さんは、長老さんについてるかな?
読者のみんなも、一緒に覗いてみよ!
―――【物語紀行_08】 中継セクターで、
みんなにインタビューしてきたよ!―――
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/3034788/blogkey/3673297/
(活動報告)
――カノジョ
(物語紀行 Season1 『桃太郎編』――完)




