第6話 「ドキュメンタリー完成と上書き」
あの「桃」の日から、三日が経った。
鬼ヶ島の広場は、いつの間にか撮影スタジオへと変貌していた。
スターが「この岩、ライティング的。いいねー!」とロケーションを決めていく。
隊長が重機並みの力で機材を運び、カノジョは自主的に監督役の準備に余念がない。
博士とカレシは端末を睨みながら構成を練り、長老と雇い主は何度もナレーションの原稿を手直ししていた。
女将は休憩用のコーヒーやお茶のセットを進める。
そして、撮影が始まる。
「はーい、回ってまーす……」
カレシのリラックスした掛け声とともに、雇い主が抱える段ボール製のカメラが、鬼ヶ島の広場を捉えていた。
レンズの向こうでは、赤鬼が切り株に腰掛け、照れくさそうに巨大な腕を組んでいる。
「……何喋ればいいんだよ。あー、じゃあ、
お決まりの略奪な。本当は俺ら、ただ農業やってるだけなんだよ。あの金銀財宝だって、収穫祭のバザーの売上だしな」
隣で、青鬼が小さく呟く。
「トマトは俺が担当なんだよな……」
その声は、カメラの向こうの雇い主には届かなかった。
カメラの横から犬が割り込む。
「キジなんて、本当は高所恐怖症だからね。偵察と言いつつ、上空で目をつぶってるんじゃないかって噂だよね」
「ちょっと、バラさないでよ!」と雉が羽をバタつかせる声がオフで響く。
その光景を、桃太郎が少し離れた場所から見つめている。
彼の顔には、自然な笑みが浮かんでいた。口元は、さっきの『楽しそうなレジャーシート』の時のそれとは微妙に違って、もっと穏やかな、納得の形をしていた。
「僕は……みんなが本当は戦いたくないって知ってた。でも、僕が刀を抜かないと、この世界のお話が終わらないから。……今、こうしてカメラの前で普通に喋れてるの、ちょっと変だけど、すごく嬉しい」
ファインダーを覗く雇い主の指が、微かに震えていた。
そのバックで、スターが焚き火の傍ら、静かにギターのコードを1つ、2つと鳴らしていた。
彼の歌声はない。しかし、その静み返る爪弾きが、住人たちの本音の言葉を優しく包み込んでいた。
竹の筒を持ち現場監督さながらにカノジョが大きな声を張り上げる。
「桃ちゃん、もっと笑ってー! ラストよー、カーット!!」
編集作業は、博士とカレシが中心となって進められた。
「このシーン、鬼たちが『また同じ芝居か』と言ったところ。ここを冒頭に持ってくる」
博士が端末の画面を指でなぞる。
「私は、犬の傷痕のシーンをここに入れたい」
カレシが手帳を開きながら言う。
ナレーションは長老と雇い主が担当した。
長老がやや緊張の面持ちで語り始める。
「むかーし、むかし、あるところに……」
雇い主が一旦制止に入る。
「長老!ストップー。そのトーンがね、ド定番なんですよ。新しい『桃太郎』なんだから、もうちょっとアップテンポに行きましょう」
「そうか……。どうしても染み込んでおるな」
こうして順調にドキュメンタリーは完成に近づいていった。
彼らが語るのは、かっこいい英雄譚でも、残酷な鬼退治でもない。あらかじめ決められた役割を必死に演じている者たちの、どこか滑稽で、切ない悲喜劇そのものだった。
広場がかつてない温かい空気に包まれる中、落ちてきた会議室の奥深く、薄暗い一室には、一人きりで端末の光に照らされる青年の姿があった。
彼の「未来予知」の直感が、先ほどからずっと警報を鳴らし続けている。
――このままでは、元の現実世界に戻れない。
「……そっちのログ、どうなってる」
青年は低く呟き、現実世界の中継セクターに待機している学生へ、極秘の通信を繋いでいた。
『青年さん。三十二回目です』
スピーカーから返ってきたのは、少し不機嫌そうで、しかし冷徹に数字を突きつける学生の、ツンとした声だった。
『青年さんがそっちから流してくれたノイズ情報――桃太郎に尾崎の歌を教えたログも、鬼たちの収穫した作物のデータも、全部こっちのメインシステムに直接送り込んでるんですけどね。受信した瞬間に、砂時計マークすら出ずに消えていくんです。まったく、そっちで何してるんですか?』
「全部消えたか」
青年は苦々しく顔を歪め、キーボードを叩く。手応えは完全にゼロ。世界はあまりにも強固に、元のレールへ戻ろうとしている。
「こっちからのアプローチはすべて無効。すべて飲み込みやがる」
青年が通信を切ると同時に、部屋のドアが勢いよく開いた。カレシが血相を変えて飛び込んでくる。
「青年! 大変です、これを見てください!」
カレシが差し出した大型モニターの画面を、二人は見つめた。
そこには、今まさに完成したはずのドキュメンタリー映像が再生されていた。
『俺たち、農業やって――』
画面の中の赤鬼が、照れくさそうに笑った瞬間だった。
――ブツッ。
画面が激しく揺れ、不気味なデジタルノイズが走る。
次の瞬間、画面の中の赤鬼の口元が、まるで目に見えない糸で操られる人形のように、不自然に、勝手に動き始めた。音声の波形が強制的に書き換わる。
『我ら鬼は! 人間を襲い続ける! ウオオオ! 悪行三昧!』
「違う! こんなの撮ってない!」雇い主が思わず叫ぶ。
「止まりません! ログが勝手に書き換わっていく!」カレシが悲鳴をあげる。
流れていたスターのギターが、ジャラン……と切なく響いた直後、
――ドン! ドドン!
重々しい和太鼓の音がスピーカーを震わせた。
「……俺、弾いてない」
焚き火の横で、スターが青ざめた顔で自分の指先を見つめた。
犬の生々しい傷痕のアップは「忠義の証!」というおどろおどろしいテロップに塗り替えられ、必死にディレクションを出していたカノジョの声は、ノイズとして波形ごと無慈悲に消去されていく。
逆に、編集したはずの長老のファーストテイクのド定番フレーズ「むかーし、むかし、あるところに
……」は採用されていた。
そして画面は、静かに笑う桃太郎の顔を捉えた。
しかしそれも一瞬。ノイズと共に、その笑顔は「刀を構える冷徹な英雄の姿」へと、強制的に静止画のように固定された。
みんながモニターの「強制編集」をパニックになりながら見つめる中。
その群衆の少し後ろで、本物の桃太郎だけが、画面に映る自分の姿を見つめながら、ぽつりと静かに呟いた。
「……また英雄になるんだな」
その声は、あまりにも深く、聞き慣れた諦念に満ちていた。
画面の最下部に、無機質な文字列が一行、浮かび上がる。
『正常終了:桃太郎による鬼退治』
「……やっぱりか」
青年は壁に背を預け、冷めた目で画面を見つめた。
どれだけここで彼らと心を通わせようが、生の声を記録しようが、世界というシステムにとってはただのノイズでしかない。めでたしめでたし、という結末以外、この世界は最初から受け付ける気がないのだ。
雇い主は、ゆっくりと自分の両手を見た。
そして、あれほど愛おしそうに抱えていた段ボールカメラを、そっと地面に置いた。
その場にがっくりとしゃがみ込み、誰にも聞こえないくらい小さな声で、震えながら呟いた。
「……私の言葉は、また負けた」
編集作業が佳境に入る中、カノジョは広場の片隅にしゃがみ込んでいた。
彼女はこっそりと植えた桃の種に、水をやっている。
「大きくなあれ。今度は、ちゃんと育ってね」
誰に聞かせるでもなく、そっと呟いた。
その声は、風に乗ってどこかへ消えた。
誰も聞いていなかった。
誰も気づいていなかった。
ただ——
彼女が水をかけた土壌の下で、
種はすでに発芽していた。
まだ誰も見ていない場所で。
まだ何も始まっていない時間の中で。
しばらくして、カノジョは立ち上がり、何事もなかったかのように広場へ戻っていった。
——その時、
広場の中心にぽつんと残された、
彼女が植えた「桃の種」の土壌が、
不気味に赤黒く明滅し始めた。
地表に浮かび上がる『0612』の文字。
【システムログ:桃太郎セクター・重大な警告】
現実確率:41.2%(急落)
歪みレベル:段階3(警戒)
――世界システムによる「自動修正プロトコル」の作動を確認。
――創作者の観測ログは『エンタメコンテンツ:桃太郎』として正常に処理(隠蔽)されました。
――セクターの境界線上に、未識別のコード(仮称:村人A)の微細な反応を検知。詳細は不明。観測を継続します。
──次回予告──
「忘れられた村人A」
上書きされる世界。消えゆく記憶。
異変の謎を追う会議室の前に現れたのは、プロットの破棄によって物語から「消去」されかけた、名前を持たない一人の男だった。
──第6話のスナップ写真はこちら──
【物語紀行_06】―ドキュメンタリー完成と上書き―
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