第5話 「創作者 vs 住人の大激突」
翌朝、鬼ヶ島の広場は、昨日までの呑気なライブ会場とは打って変わって、一触即発の重苦しい空気に包まれていた。
中央で対峙するのは、腕を組んだ赤鬼を筆頭とする島の住人たち。そして、彼らと向き合う会議室のメンバー。その中央に、桃太郎がぽつんと立っていた。
雇い主たちの陣営に突如として突きつけられたのは、住人たちの冷ややかな視線だった。
赤鬼の大きな手のひらには、くしゃくしゃになった一枚のメモ用紙が握られていた。それは会議室が桃太郎セクターに落ちた日、システムの非情な宣告を前に慌てた雇い主が、ホワイトボードの文字を書き写し、広場に落としてしまったものだった。
【ミッション:桃太郎が鬼を退治して英雄になる物語のドキュメンタリーを完成させよ】
昨夜の温かい熱狂をすべて『ただの演出』として処理するようなその文字列を、赤鬼は鋭い眼光で睨みつけた。
「おい、話が違うじゃねえか。ドキュメンタリーだか何だか知らねえが、結局お前らは俺たちをまた“悪役”に戻したいだけなんだろ?」
赤鬼が鼓膜を破らんばかりの声で吐き捨てる。
「ま、待ってくれ! 私たちは——」
雇い主が慌てて両手を広げ、言葉を挟む。
しかし、それを遮るように犬が吠える。
「黙れ! 俺たちにとっちゃ、これが人生なんだ! お前らにとっちゃ、ただの物語でもな!」
「そうだ! 自分たちが元の世界に帰りたいからって、俺たちに殺し合えっていうのか!」
青鬼が怒鳴り声を重ねる。
「違う、これはシステムが勝手に——」
博士が端末を掲げて弁明しようとするが、住人たちに聞き入れる気配はない。
激しい怒声の応酬。
赤鬼が、身の丈を超える棘だらけの金棒を地面に突き立てる。広場がメキメキと音を立てて割れ、地響きが皆の足元を揺らした。
空ではキジが鋭い爪を剥いて旋回し、猿はいつでも飛びかかれる姿勢で隊長の大盾を睨みつけている。
隊長がすかさず大盾を構え直してメンバーの前に立つ。
雇い主もその後に続く。
「違う。私たちは君たちの本当の姿を——」
沈黙を守っていた桃太郎が、ゆっくりと顔を上げた。その目は、昨日カノジョに見せた「むき出しの少年」の目だった。
「……なぁ。お前らは、俺の人生の何を知ってる?」
桃太郎の静かな問いに、創作者側も住人側も、一瞬、言葉を失った。
「俺がどんな気持ちで桃から生まれて、どんな気持ちで刀を握らされてきたか、分かるか? ……」
恐らく最も触れてはならないタブーの領域。故に、この世界の本質を突く主役の拒絶。
緊迫感が頂点に達し、世界が完全にフリーズした、その時だった。
「はーい! みんな食べよー!」
あまりにも緊張感のない、カノジョの通る声が響いた。
全員の視線が集中した先で、カノジョがどこから持ってきたのか、人間の頭ほどもある巨大な桃を両手で抱えて立っていた。
「なんかお腹空いちゃった! ほら、桃、食べようよ! すっごく美味しそうだよ!」
「……は?」
赤鬼が呆気に取られた声を出す。
「桃……? いや、今そういう空気じゃ……」
雇い主が頭を抱える。
カノジョが持ってきた巨大な桃を、女将は両手でそっと受け取った。
「まあ、美味しそう……」
彼女は水場で桃を洗い、その水滴を優しく拭き取る。使い慣れた包丁が、瑞々しい果肉を滑らかに切り分ける。一切れ、また一切れ。その手つきには、迷いがなかった。
甘い香りが、広場に漂い始めた。
女将は一番大きな赤鬼に歩み寄り、その目を優しく見つめながら差し出した。
「甘いものは、心を休ませてくれますよ」
「あ、いや……」
さっきまで怒髪天を突いていた赤鬼は、女将の放つ優しさに呑まれ、急に顔を赤らめながらモジモジし始めた。
「あっ、すんません。頂きます……」
巨体の赤鬼が、お行儀よく両手で桃を受け取る。そして一口で齧る。
「……んぐ。……マジかよ、めちゃくちゃ甘ぇじゃねえか」
その姿を見て、犬、猿、雉も、さらには青鬼や緑鬼までもが、釣られるようにぞろぞろと女将の元へと集まってきた。
女将の近くに寄ってきた犬にしゃがんで桃を手渡す。
「あら、犬さん。よく見ると可愛らしいわね。はい、桃食べてね」
犬は思わず「ワン、ワワン!」と心の声が漏れてしまった。(あれ、これ俺の声?)
隣にきた猿はしゃがんだ女将さんと目が合った。「はい、お猿さんもどうぞ」
「あ、いや、俺は別に……って、うわ、美味っ。キ、キッキー」(あれ、な、なんだ)
「本当だ、果汁がすごいわ……シャラララッ」足元の雉がうっとりと羽を震わせる。
差し出された桃を無意識に口にした桃太郎が、目を見開いた。
「これ、なんだ! 今まで食べた桃と全然違うじゃん。うっめー」
さっきまでの殺伐とした雰囲気が、ジューシーな桃の甘みによって、一瞬でシュワシュワと霧散していく。
鬼や人間、動物たちが皆で黙々と桃を貪るという、最大のシリアスと、一方女将による最大の温もりが融合した、あまりにもシュールな光景が広がっていた。
その輪から一歩外れた場所で、長老は手渡された桃の切れ端をじっと見つめていた。
深く刻まれた皺に伝う桃の果汁を静かに拭い、犬や猿、鬼たちを真っ直ぐに見つめる。
そして一歩前へ踏み出した。
長老は深く息を吐き、静かに語った。
「わしも歳をとった。物語には、燃えたぎるような熱量が必要じゃ。その考えは今も変わらん」
長老の静かな一言に、広場がしんと静まり返る。長老の背中は小さく見えたが、言葉の重みは誰のそれよりもあった。
「だが、それには……人それぞれの形があってよいはずじゃ」
長老は、立ち尽くす桃太郎、そして赤鬼へと視線を移した。
「お前たちの思うがままの熱量を見せてほしい。……この老いぼれの、最後のお願いじゃ」
そう言って、長老は静かに頭を下げた。
雇い主も、自分の言葉を一度喉の奥へ飲み込み、桃太郎と赤鬼を交互に見つめ、ただぽつりと言った。
「……先にプロットじゃない。君たち、そのままの顔が先だ」
大人たちが絞り出した、飾りのない生の声。
昨日から、圧倒的な肯定の存在感を放ち続けているスターのオーラ、今も嬉しそうに桃を頬張っているカノジョの無邪気さ、そして、先程の皆に分け隔てなく寄り添う女将の温もり。
これらが彼らの背中を静かに、そして力強く支えていた。
「……へっ。ジジイもおっさんも、大層な御託だな」
赤鬼が照れくさそうに角の根元を掻いた。
「だがまぁ……そこまで言うなら、そのヘンテコな段ボールカメラに、俺たちの素をぶちまけてやってもいいぜ」
「俺たちも、愚痴ならいくらでも在庫があるからな」
犬がふっと鼻を鳴らす。
桃太郎も、そんな仲間や鬼たちを見つめながら、静かに微笑んでいた。
そんな中、カレシは情報端末の画面を高速でフリックしながら、隣にいる博士をジロリと睨みつけていた。
「……博士。この異常に糖度の高い特大の桃、一体どこから調達したんですか? このセクターの生態系データには存在しない品種のようですが」
カレシは端末のログをスクロールしながら、博士を睨みつけた。
「昨日の小舟、夜のギターも博士の手配とお聞きしました。これ、コンプライアンス的に大丈夫でしょうか! 監査役に報告が上がってますよ!」
しばし沈黙。
博士は眼鏡のフレームをクイと上げ、涼しい顔でキーボードを叩く。
「おや、何のことかね? 私はただ、中継セクターの共有備品倉庫の片隅で眠っていた『実験用高次元有機オブジェクト』の座標を——」
「誤魔化さないでください。ちゃんと記録しておきますので」
博士は小さく咳払いした。
そこに、「♪……な〜つがす~ぎ〜〜♪」と、よく通る美声で歌を口ずさみ、「よしっ!」と汗をぬぐいながら、スターがトレーニングランから戻ってきた。
「あれ? なにこの空気感?」
「スターさん、桃いかがかしら」
女将は彼の隣に駆け寄り、さっとフォークで瑞々しい果肉を口に運んであげた。
その様子を、雇い主は面白くなさそうに、手元の段ボールカメラをにぎにぎしながら睨みつけていた。
「私はさっき重要な役割を果たしたのだがね」
すると、すぐ隣にいたカノジョがすかさず動いた。
「はい、おにぎりあげる!」
容赦なくその口元にあてがわれた白米の塊に、雇い主は「ふぐっ、むう……」と言葉を詰まらせるしかなかった。
こうして、世界のレールから外れた旅は、創作者たちの「一言の本音」によって、奇跡的な合意へと着地したのだった。
【システムログ:桃太郎セクター・観測エラー】
現実確率:75.3%
歪みレベル:計測不能
――創作者および世界住人による、自発的な「対話プロトコル」の起動を確認。
――なお、博士によるセクター間備品の無断転送を検知。監査役に経費不正使用の疑いとして報告済み。
――また、カノジョが桃の種を植えた土壌に、本来発芽するはずのない『0612』の模様が刻まれているのを検知。
プロットの完全停止を確認。対話の観測を継続します。
──次回予告──
「ドキュメンタリー完成」
動き出すカメラ! 暴かれるそれぞれの本音!
ついに完成した映像は、誰も見たことのない『役割を演じる者たちの悲喜劇』だった。
しかし、安堵する会議室に、最大の違和感が襲いかかる——。
──第5話の住人の皆さんとの記念撮影──
【物語紀行_05】―創作者 vs 住人の大激突―
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