第4話 「桃太郎の本音」
夕暮れ時。鬼ヶ島の砦から少し離れた暗い砂浜を、雇い主とカノジョは二人で歩いていた。
「いやぁ、スターくんのあのコミットメントには脱帽だよ。鬼たちをナチュラルに巻き込んで、場のイニシアチブを取っちゃうんだから。あれは私の描いたプロットにはない嬉しいブレイクスルーだったね」
雇い主は腕を組み、一人感心したように頷く。
「スター、お歌上手だったねー! あ、雇い主さん見て、カニさん!」
カノジョはそんな雇い主の分析など一ミリも聞いておらず、砂浜を走るカニを指さしてはしゃいでいる。
そんな二人の視線の先、波が引いては寄せる波打ち際に、ぽつんと座り込んでいる小さな背中があった。腰に日本刀を差したやる気ゼロの英雄、桃太郎だった。膝を抱え、死んだような目で遠くの水平線を見つめている。
「おや、桃太郎くんじゃないか。こんなところで一人で黄昏れて、どうしたんだい?」
雇い主とカノジョは隣にしゃがみ込んだ。
「……なんだよ、お前ら。ほっといてくれよ」
桃太郎は面倒くさそうに顔を伏せる。
カノジョは懐からおにぎりを取り出して、彼に差し出した。
「はい、これツナ昆布おにぎり。食べる?」
「……ん。もらう」
桃太郎は少し躊躇したが、受け取って小さく口に運んだ。
桃太郎はおにぎりを見つめたまま、ぽつりぽつりと呟くように話し始めた。
「……なぁ。俺、鬼ヶ島とかマジで行きたくないんだ。俺さ……『英雄』って呼ばれるたびに、俺じゃなくなるんだ」
しばし沈黙。
「村のみんなが見てるのは、俺じゃない。"桃太郎"なんだ。俺が泣いても『英雄は泣かない』って言われる。怖いって言っても『英雄は怖がらない』って言われる。……じゃあ、俺って誰なんだよ。」
少年の、剥き出しの悲鳴のような本音。
雇い主は深く頷き声をかける。
「なるほど、桃太郎くん。それは現代社会でいうところの『アイデンティティの喪失』だね。まずは小さな成功のコミットメントから始めて、――」
すかさず桃太郎が反応。
「うるさい」
「え?」
「そういう本に書いてあること、もう聞き飽きた」
桃太郎は完全に冷めきった目で雇い主を見た。
「えっ!? これダメ!?」
論理的、且つ高尚なアドバイスは、悩める少年の心にカスりもせず、時空の闇に消えていった。
桃太郎はうつむいた。その目尻に、一筋の光が浮かんだ——と思うと、彼は勢いよく顔を上げた。
「……別に、泣いてなんかないからな」
カノジョが黙っておにぎりを差し出す。桃太郎はそれを受け取り、もう一度かじった。何も言わなかった。
彼の目尻に残った光は、もう誰にも見えなかった。ただ——彼が座っていた場所の砂が、ほんの少しだけ濡れていた。
そこへ、カノジョがドストレートな一言を放った。
「ねえ桃ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんの言うことって、そんなに大事?」
「……え?」
桃太郎の目が丸くなる。
「私なんか、雇い主の話一回も聞いたことないよ。だって、つまんないもん。でもね、お菓子とか、お小遣いくれるときね、私、すっごいいいお返事するんだよ。ねえ、雇い主!」
「……う、うむ。ま、まあそうだな」
雇い主の顔が青くなる。
カノジョの言葉には、世間の期待を気遣う優しさも、英雄を導くアドバイスも一切なかった。「得するときだけは都合よくいい顔をする」という、究極にワガママで、打算的な生存戦略。けれど、それこそが、綺麗事の衣装をすべて剥ぎ取った人間の、最も生々しい正体(本質)なのかもしれない。
そして、そのあまりの軽薄さが、桃太郎の背負う「英雄の義務」という呪いを根底から吹き飛ばしていた。
「……ぷっ、あははは!」
桃太郎が突然、お腹を抱えて笑い出した。死んでいた目に、初めて生きた光が灯る。
「お前、本当に最低で、最高だな。……分かったよ。きびだんご貰えるときだけ、桃太郎のフリしてりゃいいんだな」
カノジョは目を真ん丸に輝かせて答える。
「あとね、お洋服買ってもらうときもかなー。お姫様になりたいしー」
雇い主は、笑う桃太郎とカノジョを見つめながら、自分の震える手を見た。
(私は……言葉に遊ばれてるだけなのか。
カノジョのあのピュアな一言こそが、物語を、いや人を動かす本物のエネルギーだ……)
彼は静かに立ち上がり、二人を残して会議室に戻っていった。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れていくのを感じていた。
その光景を、少し離れた崖の上から、残りのメンバーが静かに見守っていた。
「……なるほど。非常に興味深いな」
博士がノートPCの画面に映し出される桃太郎の精神波形を見つめながら、眼鏡の奥の目を細めた。
「物語という巨大な重力が、住人たちの『個』を押し潰し、都合のいい記号へと強制変形させている。しかしカノジョのアプローチは、その記号化を真っ向から拒絶し、単なる『生』の欲求を肯定した。お決まりのプロットを内側から無効化する、極めて野蛮で、かつ有効なハッキングだね」
「カノジョ、またあんな無茶苦茶なことを……」
博士の横で、カレシは情報端末を握りしめたまま、じっと砂浜の二人を見つめていた。
胸の奥が、言葉にできないモヤモヤとした感情で満たされていく。
さっきまで、カノジョがスターと楽しそうに笑い合っていた光景。そして今、桃太郎と一瞬で心を通わせ、笑顔にさせている光景。画面をフリックする指に、心なしかいつも以上の力が入っている。
(……私は、何を苛立っている?)
カレシは自分の手を凝視した。
(私は『中継セクターの記録担当』だ。それが私の役割であり、存在意義だ。なのに……このノイズ(感情)は何だ?)
カレシは、砂浜で前を向いた桃太郎の姿をもう一度見た。
(ああ、そうか……。私も、彼と同じなのかもしれない。自分の役割に縛られ過ぎているのか)
ふいに、隣から声がした。スターが、博士が用意してくれたというギターを片手にカレシの横に腰掛けている。
「僕さ、バイク盗んだことはないんだけどさ。真っ直ぐに駆け抜けろってことなのよ。言葉じゃ届かない時は、歌なんだ。これから歌うから周りをみててごらん」
スターは独り言のようにそう呟くと、ジャランとギターを爪弾き、歌い始めた。
「♪とばり~~のな~か~え~~~♪」
その歌声は、夜の帳が下りる崖の上に響き渡る。
女将がリズムに合わせて手を叩く。
青年が肩を揺らして歌に聞き入る。
長老が鼻歌を重ねる。
隊長が歌に合わせてシャドーボクシングのステップを踏む。
博士は端末で音波を解析しながら、静かにうなずく。
「……テンポは正確だ。リズムの刻み方にわずかなクセがあるが、人間の感情に訴えかける構造としては——」
誰も聞いていない。
自然と手拍子を送るカレシの目頭は赤く潤んでいた。
(真っ直ぐにか……)
そして皆から少し離れたところで、雇い主は、スターの人を巻き込む姿とカノジョの言葉を反芻しながら、創作者としての生き方を見つめ直していた。
(……私は、誰のために言葉を使ってきた?
自分のためか?
彼らのためか?
それすら……分からない)
砂浜では、カノジョが桃太郎を伴って砦へと歩き出していた。
自分たちの我儘を肯定し、世界のレールから外れ始めた創作者と住人たち。
しかし、彼らが「やりたいこと」を突き通そうとした瞬間、世界の最大の強制力が、牙を剥いて襲いかかろうとしていた。
【システムログ:桃太郎セクター・観測エラー】
現実確率:82.7%
歪みレベル:極大
――主役キャラクター(桃太郎)のプロット逸脱欲求が、規定値を超過。
――雇い主(管理者)の思考フレームに重大なエラー(パラダイムシフト)を検知。
――カレシ(記録担当)の思考ログに、定義未満のバグ感情(通称:嫉妬)の肥大化を検知。
――なお、夕暮れの砂浜、桃太郎の涙が落ちた場所に、波に洗われながら『0612』の数字が浮かび上がっては消えるのを検知。
警告。世界線の不安定化が進行中です。
観測を継続します。
──次回予告──
「創作者 vs 住人の大激突」
ついに爆発する世界への不満!
「俺たちの人生を弄ぶな!」と叫ぶ住人たちと、緊迫する会議室。
一触即発の危機を救うのは……
……やっぱり、桃!?
──第4話のスナップショットはこちら──
【物語紀行_04】―桃太郎の本音―
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