第3話 「犬・猿・雉の楽屋会議」
鬼ヶ島の砦の一角。
カノジョが広げたレジャーシートの上で、鬼たちと一緒になぜか車座になっておにぎりを貪るという、あまりにも緊張感のない光景が広がっていた。
その輪から少し離れた岩陰で、雇い主、長老、カレシ、そして青年の四人は、ひそひそと声を潜めていた。
「あっちの茂みの裏……なんか揉めてるみたいっすよ」
青年が親指で示した先、古びた物置小屋の陰から、ギャーギャーと騒がしい声が漏れ聞こえていた。
「……フン、何事だ。桃太郎のみならず、この島の住人はどいつもこいつも規律というものがないのか」
長老が不機嫌そうに髭を蓄えた顎を引く。
「静かに。……集音マイクの感度を上げます」
カレシが情報端末を操作すると、物置の裏から「獣たちの生々しい愚痴」がクリアにスピーカーから流れ出してきた。
「――だからさぁ! 毎回、キジ先輩だけ空中偵察だからって安全圏にいるの、マジでずるいと思うんすよね!」
尖った声で不満をブチまけているのは、人間の服をぞんざいに羽織った猿だった。
「はぁ!? 何言ってんのサルくん! 空中って一番対空砲(岩)の的になりやすいの! 労災降りないのに、羽を負傷したら一発でキャリア終了よ!?」
派手な羽飾りをつけた雉が、ヒステリックに翼を羽ばたかせて言い返す。
「まあまあ、二人とも落ち着けって。一番きついのは、毎回、肉弾戦を強制される俺なんだからさ」
首輪につけた噛み跡をさすりながら、疲れ切った声で宥めるのは、大型犬の犬だった。
物置の裏は、完全に「主役である桃太郎を置き去りにしたお供たちの楽屋」と化していた。
猿が地面にツバを吐き捨てるように言った。
「っていうかさ、今回もまた、桃太郎のやつ、どこぞの連中を連れてきて、いい気になってんじゃん。俺たち、いつまであいつの『英雄ごっこ』に付き合わされるわけ? しかも、手当はきびだんご一個? あれ、現物支給だからな。 給与明細すら出ねぇ」
雉が深いため息をつく。
「ほんとよね。この前なんか、主役だからって、きびだんごを食べるシーンで『いい脚力してるねー』って触ってきたのよ。あれ、台本にないし、絶対セクハラよ」
「マジかっ!アドリブかましてきたんか!」
猿もすかさず同調する。
ため息を付きながらも、犬は顔を上げる。
「若い頃はな、俺も英雄になれるって信じてたんだよ。桃太郎だって主役張る前はいい奴だったんだぜ」
端末から漏れ出る声を遮るように、長老が怒りに震えながら立ち上がった。
「愚かな……!主役のみならず、お供までもがこれほどまでに堕落しているとは! 物語を支える脇役としての矜持、忠義の心はどこへ行ったのだ!」
「あ、長老! 待って、観測対象に直接接触するのは――!」
雇い主の制止も聞かず、長老はドカドカと物置の裏へと踏み込んでいった。
「恥を知れ!」
長老の怒号が物置小屋の裏に響いた。
「主役を陰で笑うとは何事だ。英雄とは、支える者あってこそ英雄なのだ!」
長老の鋭い一喝に、犬、猿、雉が飛び上がって振り向く。
「うわっ、なんだ、この髭ジジイは?! 」
猿が身構える。
長老は杖を地面に叩きつけた。
「私は現代世界の長老だ! お前たちの醜い言い争い、呆れるばかりだ。きびだんご一個の価値に目を奪われ、命を惜しむとは何事か! お前たちは、桃太郎という光り輝く主役を支え、共に悪を討つという、至高の役割を与えられた『名誉ある脇役』ではないのか!」
白髭をなびかせ、正義の確信に満ちた目で吠える長老。
だが、帰ってきたのは、熱い感動ではなかった。冷え切った、絶対的な拒絶の視線。
「……おい、爺さんよ」
一番温厚そうに見えた犬が、ゆっくりと立ち上がった。その目は、先ほどの鬼たちと同じように、深く冷たい色を湛えていた。
「お前……俺たちの何を知ってるんだ?」
「何……?」
長老が気圧される。
犬は一歩、長老に近づき、己の首回りの毛をめくってみせた。そこには、過去の周回で鬼に噛みちぎられ、不完全に修復された痛々しい傷痕が走っていた。
「俺たちは何百回も死んでる。でも主役だけは毎回、初めての冒険なんだよ。主役の引き立て役として、ある時は骨を折られ、ある時は羽をむしられ……。傷は治るっちゃ治る。でも……痛かった記憶は、毎回リセットされずに残るんだよ」
猿が冷笑する。
「名誉? そんなもんで、毎度毎度殺される俺たちの痛みが消えると思ってんの?」
雉が翼で顔を覆い、震える声で言った。
「私たちはね……物語を彩るただの『記号』じゃないのよ。ここで、生きてるの。分かりますか?」
「違う……。 違う……」
長老は初めて言葉に詰まった。
「英雄とは、美しいものだと……」
その美しいが誰の犠牲の上に立っていたのか。
初めて考えてしまった。
「……っ。……私は……
物語の、何を……守ってきたのだ……」
長老の声が、初めて震えた。
白髭が、微かに揺れる。
彼が何十年、何百年と信じ続けてきた「英雄譚の美しさ」と「秩序」。
その土台が、脇役たちの生々しい傷跡によって、音を立てて崩れ落ちていくのを感じていた。
「名誉ある脇役……か」
長老は、力なくその場に膝をついた。
その時、物置の裏からカノジョの明るい声が響いた。
「おーい! みんなでおにぎり食べようってばー! 犬ちゃんも、お猿さんも、雉さんも、早く来ないとスターが全部食べちゃうよー!」
犬・猿・雉は顔を見合わせ、深いため息をつくと、ゆっくりと広場へと歩き出した。
「……行くか。腹減ったし」
「異世界にはお菓子っていう美味しいものがあるらしいわよ」
残された長老は、誰もいない物置の裏で、ただ静かに佇んでいた。
彼の胸の中で、長い間、絶対だった何かが——初めて、音を立てて崩れ始めた。
しばらくの沈黙。風だけが、草の葉を揺らす。
やがて、遠くからカノジョの笑い声が聞こえてきた。鬼たちの太い声も混ざっている。向こう側では、別の空気が動いている。
長老は、ゆっくりと立ち上がった。まだ答えは出ていない。でも——ここに留まっているわけにはいかない。
その時、レジャーシートの中央ではスターが竹で作った即席マイクを振りかざしていた。
「♪〜 触れ合えばデスティニー、世界を染めるアトモスフィア……(Wow…)お前のハートに、俺の輝きをロックオーン!!(Fu!!)」
「ウォ、ウォ、ウォ、ォー!!」
巨体を揺らす鬼たちが、完璧な合いの手でそれに応える。
最高のボルテージの中、スターが「さあ、主役の出番だ!」と言わんばかりに、桃太郎の手を引き寄せ中央へ連れてこようとした——その時だった。
カノジョが、物置裏から犬・猿・雉の三匹を伴って戻ってきた。
お供たちの顔には、泥のように重く落胆した表情が張り付いている。
猿「俺、帰るわ」
犬「転職するか。……他に仕事ないけど」
雉「別の島にでも飛んで行こうかしらね」
完全に冷え切ったお供たちのセリフなど耳に入っていないかのように、スターは久々の観客の前でノリノリのまま、竹マイクを突き出した。
「ヘイ! みんなアンコール、行っちゃうよー!!♪鬼も人間もノーサイドさ〜♪」
鬼たちが地鳴りのような声で応える。
「ウッホォー! ウォォォーーーッ!!」
猿がぽつりと一言。
「絶対、帰る!」
さて。世界の解像度が上がるたびに、現代社会の「常識」は崩壊していく。
この世界では、 誰も、自分を脇役だとは思っていなかった。果たしてドキュメンタリーはどこへ向かうのか。
【システムログ:桃太郎セクター・観測エラー】
現実確率:90.2%
歪みレベル:大
――脇役キャラクター(犬・猿・雉)の精神ログに、極度のアイデンティティ乖離を確認。
――長老の価値観データに重大な破損を確認。
――なお、物置の裏の地面に、『0612』の文字が新たに刻まれているのを確認。刻んだ者と時期は不明。
観測を継続します。
──次回予告──
「桃太郎の本音」
お前ら、俺を勝手に英雄にするな。
次回、夕暮れの海辺で、やる気ゼロの少年が隠し持っていた「本当の涙」が暴かれる。
──第3話のスナップショットはこちら──
【物語紀行_03】―犬・猿・雉の楽屋会議―
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