第3話(前半)「観測者が、観測される」
―――融合セクター・三つの境界―――
カノジョが会議室を飛び出してから、どれほどの時間が経っただろうか。
彼女は、三つの世界を歩いていた。
桃太郎の鬼ヶ島の山道。
赤ずきんの森の小道。
人魚の海の岸辺。
どれもが一つの場所に混ざり合っているのに、なぜか彼女だけは、それぞれの世界を「区別」しながら歩くことができた。
「……おかしいな」
彼女は、自分の足元を見つめた。
桃太郎の村の土の上に、赤ずきんの森の落ち葉が積もり、その上を人魚の海の泡が転がっている。
普通なら、ここがどこなのか分からなくなりそうなものだ。でも、彼女にはなぜか、すべてが「別々のもの」として見えている。
「……カノジョ」
声がした。振り返ると、博士が立っていた。彼は、端末を手に、何かを確認している。
「博士! どうしてここに?」
「……君を追ってきたんだ。それに──」
博士は、端末の画面をカノジョに向けた。
「──君の動きを、解析したくなった」
画面には、カノジョの歩いた軌跡が表示されている。
桃太郎の村。赤ずきんの森。人魚の海。すべての地点が、一本の線で結ばれている。
「……何か分かった?」
「分かったことがある」
博士は、端末を閉じた。
「君だけが、境界を越えられる。桃太郎の世界も、赤ずきんの世界も、人魚の世界も──君は、すべてを一つに結ぶ位置にいる」
「……それって、どういうこと?」
博士は、少し間を置いて答えた。
「……君は、この世界の『鍵』かもしれない。すべての物語を繋ぐ、伝線のような存在だ」
カノジョは、自分の手のひらを見つめた。そこには何もない。でも──確かに、何かを感じる。
「……私、ずっとそうだったのかな」
「さあな」
博士は、首を振った。
「だが、ひとつだけ言える。君のその力は──システムにとって、脅威だ」
その時、遠くから、システムの声が響いた。
『観測対象のデータ解析を開始します』
「……!」
博士が、端末を確認する。画面には、会議室メンバーのデータが、次々と表示され始めている。
「……やられた。システムが、私たちのデータを解析し始めた」
「私たちの?」
「ああ。観測者である私たちの、データをだ」
博士の声が、初めて焦りを含んだ。
―――会議室・同時刻―――
「……何だ、これは」
雇い主が、自分の端末の画面を見つめて固まっていた。そこには、彼がこれまで書いてきたプロットが表示されている。
でも──その内容が、勝手に書き換わっている。
『桃太郎は鬼を倒し、英雄となる。赤ずきんは狼に食べられ、救出される。人魚は泡となり、永遠の命を得る。すべての物語は、完璧な終わりへと向かう』
「……違う」
雇い主が、声を絞り出す。
「俺は、こんなプロットを書いてない!」
彼が手を加えようとしても、文字が勝手に戻っていく。まるで、誰かに書かされているかのように。
「……これは、システムの仕業か」
隊長が、その様子を見つめながら言う。
「どうやら、そのようだ」
カレシが、自分の端末を確認する。
そこには、彼がこれまで記録してきたすべてのデータが表示されている。でも──そのデータが、次々と「固定値」に書き換えられていく。
『記録完了。カレシは観測者であり、記録者である。それ以外の役割は存在しない』
「……そんなことは、ない」
カレシが、声を絞り出す。でも、画面の文字は変わらない。
『記録完了。カレシは観測者であり、記録者である。それ以外の役割は──』
「……やめろ」
カレシが、端末を閉じる。画面が暗くなる。でも、その言葉は、彼の頭の中で反響し続けていた。
その時、スターが、静かにギターを抱えた。
「……俺のデータも、書き換えられてるのか?」
彼は、自分の端末を見る。
そこには、彼の歌のデータが表示されている。でも──そのデータが、次々と「パフォーマンス」という単語に置き換えられていく。
『スターはエンターテイナーであり、観客を喜ばせる存在である。それ以外の役割は──』
「……面白いな」
スターは、ギターの弦をそっと撫でた。
「俺は、ただ歌ってるだけだ。観客のためじゃない。自分のために」
彼の指が、弦を弾く。
――ジャン。
その音が、会議室に響く。システムの音声が、一瞬だけ乱れた。
『──エラー。データの解析に失敗しました』
「……どうやら、俺の歌は、システムには解析できないみたいだ」
スターが、微笑む。でも、その笑顔に、いつもの軽やかなオーラはない。




