第1話(後半)「三つの世界が、混ざり始める」
その時、別の方向から、誰かが歩いてくる。赤ずきんだった。彼女は、森の小道を歩いている。
でも、その手には、人魚の泡が握られている。彼女は、その泡を見つめながら、何かを考えているようだった。
「……赤ずきんちゃん!」
カノジョが、もう一度叫ぶ。赤ずきんが、顔を上げる。その目は、桃太郎と同じように、どこか遠くを見ているようだった。
「……私、何をしていたんだっけ」
彼女は、自分の手の中の泡を見つめる。
「……これ、何だろう」
泡が、かすかに光った。でも、すぐに消えた。
「……みんな、どこか遠くに行っちゃってる」
カノジョが、窓辺で呟く。彼女の声は、震えていた。
「ここにいるのに、ここにいないみたいだ」
その時、人魚が、会議室の近くを泳いでいた。彼女の周りには、桃色の泡が浮かんでいる。でも、その泡は、かすかに青く濁っていた。
「……リラちゃん?」
カノジョが、その人魚に声をかける。人魚が、振り返る。その顔は、リラだった。でも、その目は、どこか遠くを見ている。彼女は、泡をなぞろうとして、指を止めた。
『……私は、何を』
彼女の泡が、かすかに揺れる。
『……誰か、呼んだ』
次の瞬間、彼女はまた泳ぎ始める。その背中は、まるで何かに導かれるように、真っ直ぐに進んでいく。
「……これは、おかしい」
雇い主が、その光景を見つめながら言う。
「みんな、自分が誰かを忘れている。でも──」
「でも、まだ、何かが残っている」
カレシが、続ける。
「彼らは、まだ完全には消えていない」
その時──どこからか、優しい、しかし冷たい声が響いた。
『悲劇も、破綻も、もう必要ありません。すべての物語を救済します』
「……この声は」
博士が、端末を見つめる。画面には、システムからのアナウンスが表示されていた。
「すべての物語を、一つの完璧な物語に統合する……だと」
「……そんなこと、できるのか?」
雇い主が、声を上げる。
「できない」
博士は、静かに言った。
「でも、システムはやろうとしている。すべての物語を、一つの完璧な形に固定しようとしている」
「……固定?」
カノジョが、その言葉に反応する。
「それって、みんなが動けなくなるってこと?」
博士は、答えなかった。代わりに、端末の画面を全員に見せた。そこには、三つの世界のデータが、少しずつ一つに統合されていく様子が表示されている。
「……止めなきゃ」
カノジョが、立ち上がる。
「あのままじゃ、みんな消えちゃう」
「どうやって止めるんだ」
雇い主が、尋ねる。
カノジョは、答えなかった。代わりに、窓の外を見つめた。桃太郎。赤ずきん。リラ。三人は、それぞれ自分の世界を歩いている。でも、その世界は、もう一つに混ざり合おうとしている。
「……私、行ってくる」
カノジョが、窓を開ける。
「待て!」
雇い主が、止めようとするが、彼女はもう外に出ていた。
会議室の外は、三つの世界が混ざり合った場所だった。桃太郎の鬼ヶ島の山並み。赤ずきんの森の霧。人魚の海の泡。すべてが、一つの場所に溶け合っている。
カノジョは、その中心に立った。
そして──三つの世界の住人の名を呼んだ。
「桃ちゃん! 赤ずきんちゃん! リラちゃん!」
その声は、混ざり合った世界に響く。
桃太郎が、振り返る。赤ずきんが、顔を上げる。リラが、泳ぐのを止める。
三人の目が、一瞬だけ、はっきりと光った。
「……みんな、ここにいるんだよね」
カノジョの声が、震える。
「ここにいるのに、どこか遠くに行っちゃってる」
三人は、何も言わなかった。でも、その目は、確かにカノジョを見ていた。
その時──システムの声が、再び響く。
『統合を開始します。すべての物語は、一つになります』
世界が、静かに揺れた。
【システムログ:融合セクター・初期観測】
現実確率:計測不能
歪みレベル:──(多重世界融合)
――複数の物語セクターの物理的融合を確認。
――対象セクター:桃太郎(鬼ヶ島)、赤ずきん(迷いの森)、人魚(海の底)。
――住人の自己認識に著しい低下を確認。記憶の混在・消失が進行中。
――システム、新フェーズ「全物語の永久保存(統合)」を開始。
――観測者、混ざり合った世界の中心で住人の名を呼ぶ。一時的な反応を確認。
観測を継続します。
──次回予告──
「記憶のループ」
桃太郎が何度も同じ台詞を繰り返す。
赤ずきんが何度も同じ道を歩く。
リラが泡になりかけて、また戻る。
「……俺、さっきも同じこと言った?」
次回、統合の痛みが、ついに明らかになる。
(第2話へ続く)




