第7話(後編)「忘れられた泡の記憶」
一行は、さらに奥へ進んだ。
「……何か、ある」
スターが、前方を指さす。
そこには、一つの泡があった。
他のどの泡とも違う、古びた泡。表面にはひび割れのような模様があり、内部にはかすかな光が揺れている。
「……誰も触れていない泡だ」
博士が、端末を向ける。しかし、データは記録できない。
「やはり、この泡も記録できないか」
「記録する必要はないよ」
カノジョが、その泡をじっと見つめながら言う。
「これは、感じるもの」
カレシは、一歩前に出た。
「……自分が触る」
「カレシ?」
雇い主が、驚いたように声を上げる。
「大丈夫です。多分──」
カレシは、自分の手を差し出した。
「──これは、僕に触らせるためにあるんだ」
彼の指先が、泡に触れた。
その瞬間──
視界が、一瞬で変わった。
そこは、海の底ではなかった。
桃の木。鬼ヶ島の広場。
赤ずきんの森。
人魚の集落。
すべての世界が、一つの泡の中に、混ざり合っていた。
「……これは」
カレシの声が、震える。
「すべての世界の、始まりの記憶だ」
映像が、流れていく。
桃太郎が、桃の中から生まれる瞬間。
赤ずきんが、初めて森を歩いた瞬間。
そして
──最初の人魚が、泡をなぞった瞬間。
それらが、すべて一つの連続した物語として、カレシの心に流れ込んでくる。
「……すべて、繋がってる」
カレシは、その光の中で呟いた。
「桃太郎も、赤ずきんも、人魚も──すべて、同じ物語の一部だったんだ」
その時──彼の端末が、一瞬だけ光った。
画面に、すべての世界の断片が表示される。
桃太郎の鬼ヶ島。
赤ずきんの森。
人魚の海。
そして──一つの数字。
0612。
端末の画面が、また暗くなる。
「……今の、何だ?」
雇い主が、端末を覗き込む。
「分からない」
カレシは、自分の手のひらを見つめた。
「でも──確かに、あの泡の中に、すべてがあった」
その時、泡守が、静かに前に出た。
彼は、白い泡を揺らしながら、古い泡を見つめている。
『……私は、この泡を知っている』
「知っている?」
泡守は、うなずく。
『若い頃、一度だけ見たことがある。この泡の存在を、教えられた。でも──』
彼の泡が、かすかに揺れる。
『──触れることは、許されなかった』
「なぜだ」
カレシが尋ねる。
泡守は、少し間を置いて、答えた。
『この泡に触れた者は、すべてを知ってしまうからだ。世界の始まりと、終わりを』
「それなら──」
カノジョが、その泡を見つめながら言った。
「──知った方がいいよ。だって、本当のことでしょ」
泡守は、何も言わなかった。
でも、彼の白い泡が、ほんの少しだけ、桃色に変わった。
その夜──
一行は、古い泡のそばに座っていた。
カレシは、自分の手のひらを見つめている。さっきまで、すべての世界の記憶が、そこにあった。
「……すべてが、繋がっている」
彼は、もう一度、呟いた。
「桃太郎も、赤ずきんも、人魚も。そして──俺たちも」
その時、カノジョが、ふと、海の底の暗闇を見つめた。
彼女の視線の先で、虹色の泡が、ゆっくりと浮かび上がっていた。
「……やっぱり、来たね」
彼女は、誰に言うでもなく、呟いた。
【システムログ:人魚セクター・観測記録】
現実確率:18.2%
歪みレベル:臨界
――忘却魚との遭遇を確認。記憶を食べる深海魚。
――カレシ、忘却魚に接触。リラの記憶の一部を喪失。後に回復。
――カノジョ、忘却魚を退ける。「忘れたくないものは忘れない」と宣言。
――カレシの端末に、全セクターの断片が一瞬表示される。時間:0.3秒。
――システム、0612を認識。エラーからデータへと処理を変更。
――泡守、変化に対して静かな葛藤を示す。彼の泡に初めて桃色が混ざる。
――カノジョ、0612の再浮上を確認。
観測を継続します。
──次回予告──
「そして、物語は浮上する」
海の底が、光で満たされる。
会議室が、ゆっくりと浮上する。
「声を失っても、存在そのものが歌になる──それが、君たちの物語だ」
次回、Season3、最終話。




