第5話(後編)「カノジョ、泡の中に飛び込む」
―――泡の中・第二層―――
青い世界が、深くなっていく。泡の数が増え、その光が強くなる。
その中に、一つの大きな泡があった。
その中に、リラがいる。今のリラよりもずっと幼い。彼女は、誰かの前に立っている。その誰かの顔は、見えない。でも、その手が、リラの手を握っている。
リラが、口を開ける。
『……私、』
彼女の声が、かすかに聞こえる。
『──伝えたいことが、あるの』
でも──
その時、リラの口から、泡が出てきた。言葉ではなく、泡。彼女の声は、泡になって消えていった。
『……え?』
リラが、もう一度口を開ける。また、泡。言葉にならない。
『……声、出ない』
彼女の目が、揺れる。
『──誰か、聞いて』
でも、誰も、振り返らない。
リラは、その場に立ち尽くした。彼女の周りの泡が、すべて、青く変わった。
カノジョは、その記憶の中に立っていた。
彼女は、幼いリラの前にしゃがみ込もうとした。
その時──
バチン。
何かが、カノジョを弾き飛ばした。
「……!」
カノジョの身体が、後ろへ倒れる。彼女は、青い世界の中を何度か転がって、ようやく止まった。
「……何、これ」
彼女が顔を上げると、幼いリラの姿が歪み始めていた。その目が、カノジョを見つめている。でも、その目には、もう涙はなかった。
『……あなたも』
リラの声が、冷たく響く。
『あなたも、帰るんでしょ』
「……違うよ」
カノジョが、立ち上がる。
『みんな、そうだ。誰も、私を見ていない』
「見てるよ」
カノジョが、一歩前に出る。
『……嘘つき』
リラの記憶が、さらに歪む。青い世界が、濁り始める。
『あなたも、いなくなる』
カノジョは、もう一歩前に出た。
「……いなくならないよ」
『……!』
リラの記憶が、カノジョを押し戻そうとする。強い光の壁が、彼女の前に立ちはだかる。
カノジョは、その壁に手を触れた。冷たい。まるで、氷のように。
「……冷たいね」
彼女は、もう一歩前に出た。
「でも──」
彼女の手のひらから、かすかに温もりが漏れる。
「──私は、冷たいままで終わりたくない」
光の壁が、震える。
カノジョは、その壁を押しのけるようにして、前に進んだ。
「もう一回、行くよ」
彼女は、幼いリラの前に立った。
―――泡の中・最深部―――
リラの記憶が、再び形を取り戻していく。
幼いリラが、そこにいた。彼女の目には、まだ涙が浮かんでいる。
「……ねえ」
カノジョが、しゃがみ込んだ。
リラが、顔を上げる。
「あなたの声、ちゃんと、ここにあるよ」
リラの泡が、かすかに震える。
「私が、聞いてるよ」
カノジョは、リラの手を握った。
「だから──もう、大丈夫だよ」
その時──リラの泡が、光った。
桃色の光が、青い世界を貫く。
「……!」
周囲の泡が、次々と桃色に変わっていく。
記憶の中のリラが、ほんの少しだけ、微笑んだ。
『……ありがとう』
その言葉は、泡にならなかった。
でも、確かに、届いていた。
カノジョは、その光の中で、立ち上がった。
「……帰ろう。みんな、待ってるから」
彼女は、光の中へ歩いていった。
―――海の底・人魚集落―――
カノジョが泡の中に消えてから、どれほどの時間が経っただろうか。
集落の人魚たちは、リラの泡を見つめている。青い泡が、ゆっくりと、桃色に変わっていく。
「……変わってる」
スターが、呟く。
「ああ」
カレシが、静かにうなずく。
その時──リラの周りの泡が、一斉に光った。
青。桃。白。銀。緑。すべての色が混ざり合って、一つの大きな光の塊になる。
そして──その光の中から、カノジョが現れた。
「……ただいま!」
彼女は、笑っていた。
リラの泡は、もう青だけではなかった。桃色と銀色が混ざった、新しい色。
『……ありがとう』
その泡が、そう伝えていた。
カノジョは、リラの手を握った。
「うん。届いたよ」
その時──彼女の視線の端で、一つの虹色の泡が、ゆっくりと浮かび上がった。
他のどの泡とも違う光。
カノジョの心臓が、もう一度、強く脈打った。
「……また、来たね」
彼女は、誰に言うでもなく、呟いた。
【システムログ:人魚セクター・観測記録】
現実確率:計測不能
歪みレベル:──(システム停止中)
――カノジョ、リラの泡の中へ突入。
――泡の中の記憶:第一層(幼少期の記憶)・第二層(声を奪われた瞬間)を確認。
――カノジョ、二度目の突入に成功。幼いリラと接触。
――カノジョの接触により、リラの泡が桃色へ完全に変化。
――システム監視、一時的に完全停止。原因:カノジョの「共鳴」がシステムを超えた可能性。
――コード:0612、浮上を確認。カノジョのみが視認。
観測を継続します。
──次回予告──
「存在そのものが歌になる」
海の底が、光で満たされていく。
人魚たちの泡が、次々と色を変える。
「声がなくても、ここにいること自体が歌なんだ」
次回、Season3の核心が、ついに明かされる。




