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【物語紀行】――主役も悪役も、役割を辞めたがっている。  作者: Taku
第1章 Season3【人魚姫編】「声は沈んだ。想いは浮かんだ。」

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第5話(前編)「カノジョ、泡の中に飛び込む」

―――海の底・人魚集落・リラのそば―――


黒い泡の事件から、二日が経った。


リラは再び青い泡をなぞっていた。あの日、彼女が黒い泡を出したのは、もう夢のように遠い出来事だった。でも、その記憶は確かに彼女の中に残っている。彼女の泡をなぞる指は、以前よりも少しだけ丁寧になっていた。


「……リラちゃん」


カノジョが、彼女の隣に座った。


リラが、顔を上げる。


「私、あなたの泡の中に入ってみたい」


リラは、驚いたように目を見開く。彼女の泡が、かすかに震えた。


『……中に?』


「うん。そこに、リラちゃんの本当の声がある気がするんだ」


リラは、しばらくカノジョの顔を見つめていた。そして、ゆっくりと泡をなぞった。青い泡が、カノジョの前に浮かぶ。


『……分からない。でも──』


その泡が、かすかに揺れる。


『──もし、あなたが行きたいなら』


カノジョは、微笑んだ。


「ありがとう」


彼女は、その泡に手を伸ばした。



―――泡の中・第一層―――


光が、一瞬で変わった。


そこは、海の底ではなかった。水の感触もない。ただ、どこまでも広がる青い世界だけがあった。


「……ここ、どこ?」


カノジョが、周囲を見渡す。


誰もいない。何もない。ただ、無数の泡が静かに漂っているだけ。それぞれの泡の中には、かすかな光が揺れている。


「……記憶、なんだ」


カノジョは、一つの泡に近づいた。その中には、小さなリラがいた。彼女は、誰かに何かを伝えようとしている。口を開ける。でも──声が出ない。


泡は、静かに消えた。


カノジョは、その泡を見つめながら、歩き出した。


青い世界が、徐々に形を変えていく。泡のようにゆらゆらと揺れる壁。その奥に、次々とリラの記憶が浮かび上がる。


幼いリラが、泡をなぞっている。初めての泡は、桃色だった。彼女は嬉しそうに泡を揺らす。周囲の人魚たちが、微笑んでいる。


次の記憶。リラが、誰かに手を引かれている。その誰かの顔は、ぼやけて見えない。でも、リラの表情は、少しだけ不安そうだ。


「……これは」


カノジョが、その記憶を見つめる。


その時──


「あ、見つけた」


声がした。


振り返ると、そこに一人の少年が立っていた。彼は、他の人魚よりも小さく、無邪気な目をしている。その手には、いくつかの泡が握られていた。


「君、誰?」


「カノジョだよ」


「カノジョ……変わった名前だね」


少年は、笑った。


「僕は、泡拾いの少年。海底を漂う泡を集めてるんだ」


「泡を集めて、何をするの?」


「見るんだよ。人の記憶って、すごく綺麗だから」


少年は、手にした泡の一つをカノジョに差し出した。


「これ、リラの昔の泡だよ。見てみる?」


カノジョは、その泡を受け取った。


泡の中には、リラがいた。彼女は、他の子どもたちと一緒に泡をなぞっている。楽しそうに笑っている。声はないけど、その笑顔は確かに、伝わってくる。


「……リラちゃん、笑ってたんだ」


「そうだよ。リラはね、昔はもっと明るい色の泡をなぞってたんだ」


少年が、優しい声で言う。


「でもね、ある日から、急に青くなったんだ」


「……なぜ?」


「それが、分からないんだ」


少年は、首をかしげる。


「誰も教えてくれない。リラも、話さないし」


カノジョは、その言葉を胸に刻んだ。


彼女は、さらに奥へ進んだ。

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