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【物語紀行】――主役も悪役も、役割を辞めたがっている。  作者: Taku
1章 Season2【赤ずきん編】「真実は、観測された瞬間に嘘になる。」

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第7話 「忘れられた猟師の妻」

―――赤ずきんセクター・霧の森―――


二重報告書を送信してから、森の霧は確かに晴れ始めていた。だが――まだ、何かが足りない。青年が言った「影」が、まだ見つかっていない。


「……この先に、家がある」

雇い主が、端末の地図を確認しながら言った。


「猟師の家だ。物語の最後で、狼の腹を裂いて赤ずきんとおばあさんを助けた、あの猟師の」


「行ってみましょう」

カレシが言った。


一行は、森の奥へと足を踏み入れた。



―――猟師の家―――



そこにあったのは、一軒の古い家だった。煙突からは煙が立ち上っている。誰かが住んでいる証拠だ。


でも――何かがおかしい。庭には薪が積まれているが、斧は錆びつき、刃は欠けている。まるで、長い間使われていないかのように。


「……お邪魔します」


雇い主が、扉をノックした。


中から、女性の声がした。


「どうぞ、お入りください」


部屋の中は、整理整頓されていた。家具は古いが、手入れが行き届いている。暖炉の火が、ゆっくりと燃えている。


そして――そこに、一人の女性が立っていた。彼女はエプロンをつけ、優しい微笑みを浮かべている。


「猟師の家にお越しの方ですね。私は、その妻です」


「ご主人は、いらっしゃいますか?」


雇い主が尋ねると、女性は静かに首を振った。


「いいえ――最初から、ここにはいません」


「……最初から?」


「ええ。この家には、私だけです。最初から、ずっと」


女性は微笑んだ。その微笑みは、あまりにも静かで、あまりにも諦めに満ちていた。


「私は、存在しない夫を待ち続ける役割を与えられた、ただの背景です。物語が終われば、私も消える。それだけのことです」


彼女は、少し間を置いて、続けた。


「毎日、夫が帰ってくる時間を待つ。夕飯を作り、暖炉に火を入れ、窓から外を眺める。でも、夫は来ない。来るはずがない。私は、そのことを知りながら、毎日同じことを繰り返す。それが、私の『物語』なんです」


その言葉に、誰も何も言えなかった。


隊長だけが、無言で庭に下りた。そして、錆びついた斧を手に取り、砥石を探し始める。彼は何も言わず、ただ黙々と、斧を研ぎ始めた。


「……あなたは、何をしているのですか?」


妻が、尋ねた。


「修理だ」

隊長は、顔も上げずに答えた。

「こんなにいい斧が、このままじゃもったいない。薪を割るのに使えるだろ」


「でも――」


「でも、何だ?」


隊長は、初めて顔を上げた。


「昔、現場でな……名前も知らねえが、そいつがいないと現場が止まっちまうって奴がいてな。俺はそいつの現場道具、よく直してやってたんだ。ふと、そのことを思い出したんだ」


「……あなたは、そうやって、誰かのために動くんですね」


「違う」


隊長は、静かに言った。


「お前が困るだろう。それ以外に理由がいるか?」


妻は、しばらく隊長を見つめていた。そして、小さく笑った。その笑顔は、諦めの微笑みとは、少しだけ違っていた。


その時、カノジョが妻の隣に歩み寄り、おにぎりを差し出した。


「はい、ツナ昆布」


「……え?」


妻は、少し驚いたように、おにぎりを受け取った。そして、小さく一口かじった。


「……美味しいわね」


カノジョは、満足そうに妻を見ると、来た!とばかりに話始める。


「でしょ!でしょ!聞いて聞いて。これね、ツナさんと昆布さんが友達になってね、ツナ昆布さんになったのね。でね、ツナ昆布のことをね、雇い主がね、ワカ……」


雇い主が大音量の咳払いを入れる。

「コホンッ! コホコホッ!! あー、カノジョ君、それぐらいにしておこうか! そこから先は我が社の企業秘密だ!!」



―――中継セクター・医療室―――



その時、雇い主の端末に、通信が入った。


『……聞こえるか』


長老の声だった。まだ弱々しいが、どこか力強さを帯びている。会議室メンバーが雇い主の周りに集まる。


「長老、なぜ――」


『わしも、ここから観測しているんだ。お前たちが、何をしているか、知っている。学生からも聞いておる』


長老は、一度言葉を切った。


『名もなき者の声の中にこそ、物語の始まりがある。それを忘れるな』


「……名もなき者」


『ああ。名前すらない。でも――その声を聞くことができた者は、初めて物語の本当の輪郭を見ることができる』


すると、ひょこっとカノジョが横から顔を出した。


「長老、私、赤ずきんちゃんからキャラメルもらったの。帰ったら上げるね!」


「おー、カノジョか。分かった。楽しみにしておるぞ」


画面の向こうで、長老はかつての威厳を取り戻したように優しく微笑んだ。


しかし、カノジョは首を傾げ、隣の雇い主へ声をかける。

「ねえ、雇い主? キャラメルって入れ歯だとよくないかな?」


聞いていた一同。「…………」


――プツン。


と、絶妙なタイミングで通信が切れた。



―――猟師の家・台所―――



女将が、妻にお茶を入れてあげていた。


カノジョは、窓辺に座って、外の景色を見ている。


スターは、部屋の隅でギターのチューニングをしている。


「……あなたは、何をしているのですか?」


妻が、スターに尋ねた。


スターは答えず、ただ

「♪……ふ、ふふ〜ん……」と、言葉にならない微かな鼻歌ハミングをギターの音色に重ねた。


その低く甘い声が、ガランとした部屋の空気を優しく満たしていく。


「調律ってのはな、空間の物語を奏でてくれるんだ。最初、この部屋は少し音が寂しそうに聞こえた。でもな――」


スターは、妻を見た。


「あなたが言葉を発した瞬間、ガランとした空間に温かい空気が流れたんだ。それが生きてるってことさ」


妻は、何も言わなかった。でも、その目が、わずかに揺れた。


ジャラン……。


ふたたび重なるハミングは、さっきよりもずっと、どこか柔らかい。その境界線のあやふやなメロディに、世界のシステムさえも、今はただ耳を澄ましているかのようだった。



―――猟師の家・裏手―――



カレシは、一人で家の裏手に回っていた。そこには、小さな花壇があった。花は枯れている。でも――土が、少しだけ湿っている。


(誰かが、水をやっている……?)


カレシは、しゃがみ込んで、土に触れた。冷たい。でも、確かに湿っている。最近、誰かが水をやった跡だ。


「……おばあちゃんが、来てたの?」


声がした。振り返ると、赤ずきんが立っていた。彼女は、フードを被っていない。その顔は、少しだけ、穏やかだった。


「あの人は、いつもこっそり来てたの。私が知らないと思ってたけど――知ってた」


「……何のために?」


「わからない。でも――」


赤ずきんは、枯れた花を指で撫でた。


「多分、自分の役割を、自分の手で終わらせたかったんだと思う。誰かに任せるんじゃなくて」


彼女は、少し間を置いた。


「……私も、そうかもしれない」


カレシは、その言葉を、自分の端末に記録した。



―――猟師の家・リビング―――



カレシが戻ってくると、妻が静かに口を開いた。


「……あの人のことは、知っています」


「あの人?」


「おばあさんです。彼女は、よくここに来て、花に水をやっていました。何も言わずに。ただ、水をやって、帰っていくだけでした」


「……なぜ、そんなことを?」


「わからない。でも――」


妻は、少し間を置いた。


「泣いていた日も、ありました。」


その言葉に、誰も答えなかった。


カレシは、自分の端末を見つめた。そこには、まだ「裏の報告書」が開かれたままになっている。彼は、それに一行書き加えた。


『彼女は、存在しない夫を待つ役割だった。でも、その静かな待ち時間こそが、この世界の余白を支えていたのかもしれない。』



―――夜、帰路―――



一行が、猟師の家を後にする時、妻は玄関先に立っていた。


「……ありがとう」


彼女は、静かに言った。


「私は、ここにいます。たとえ誰の物語にも書かれなくても――私の時間は、私のものです」


隊長が、最後に振り返った。


「薪、割っておいた。いつでも使える」


「……ありがとう」


妻は、もう一度、そう言った。



【システムログ:赤ずきんセクター・観測エラー】


現実確率:22.3%(上昇中)

歪みレベル:中(安定化傾向)


――猟師の妻(名もなき者)の存在を確認。彼女は「物語の余白」そのものである。

――彼女の声を記録した観測者カレシの端末に、新たな一行が追加されました。

――これにより、報告書の「余白」が、初めて物語の一部として認識され始めています。

――「監視者」おばあさんの行動パターンに、保護目的の可能性を検知。次話、最終確認予定。


観測を継続します。


──次回予告──


「真実は一つじゃない」


二重報告書に、余白の声が加わった。

ようやく、世界は動き始める。


次回、Season 2、最終話。

真実は、どこにあるのか?


「――答えは、彼らの数だけある」

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