第5話 「カノジョと赤ずきんの散歩」
―――赤ずきんセクター・「迷いの森」―――
博士の端末が静かに再起動を終えた。会議室には、張り詰めた空気ではなく、むしろ「何かが変わった」という静けさが漂っている。
カノジョは、会議室の片隅で赤ずきんを見つめていた。赤ずきんは相変わらずフードを深く被り、誰とも目を合わせようとしない。
カノジョは立ち上がると、トコトコと赤ずきんの隣に歩いていき、その手を握った。
「ねえ、散歩しない?」
「……え?」
赤ずきんが、初めて困惑した表情を見せた。
「散歩。森の中を歩くの。さっき見つけたんだ、すごくいい場所。たんぽぽがいっぱい咲いてた」
「たんぽぽ?」
「うん。綿毛がふわふわしてて、きれいだったよ。……行こ?」
カノジョの手が、赤ずきんの指を優しく包む。赤ずきんは一瞬、その温もりに驚いたように手を引こうとしたが——やめた。
「……どうせ、また何かを聞き出そうとしてるんでしょ」
「うーん——」
カノジョは、真っ直ぐに赤ずきんを見た。
「おにぎり……ツナ昆布好き?」
その言葉は、あまりにも予想外だった。赤ずきんは、何も言い返せなかった。
「行こっ」
カノジョが引っ張ると、赤ずきんはゆっくりと立ち上がった。フードの奥で、彼女の目がわずかに揺れている。
二人の背中を見送りながら、会議室のメンバーは誰も止めなかった。
雇い主が、小さく呟く。
「……カノジョに、任せよう」
―――森の深淵―――
霧は、二人が歩くにつれて少しずつ晴れていった。道端には、たんぽぽが確かに咲いている。カノジョが言っていた通りだ。
「ねえ、この花、名前知ってる?」
カノジョがしゃがみ込んで、黄色い花を指さす。
「……たんぽぽでしょ」
「そう! でもね、ふーってしたら、飛んでいくの」
「どこへ?」
「風さんの声を聞いて」
カノジョは立ち上がると、また歩き出した。赤ずきんは少し遅れて、その後ろをついていく。
しばらくの沈黙。風が、木々の葉を揺らす。
「……ねえ」
赤ずきんが、小さな声で言った。
「私は狼を殺したの?」
カノジョは歩くのをやめ、リュックサックをごそごそと漁り始めた。
カノジョは返事をしない。リュックをごそごそと探す。
赤ずきんは待つ。
「……聞いてる?」
「うん」
アルミホイルを開く。
「はい、ツナ昆布」
「……え?」
「半分こ」
カノジョは赤ずきんの手に無理やりおにぎりを握らせると、その場にぽてんと腰掛けた。
アルミホイルを雑に剥き、大きな口でぱくりと一口食べる。
「おいしいよ」
赤ずきんは呆然と、手の中の温かい塊を見つめた。
「……わからない。誰も教えてくれない。私が何をしたのかも、何をされたのかも——」
赤ずきんの声が、微かに震え始めた。
「おばあちゃんは、私を監視するだけ。狼は、私に頼まれて動いただけ。森の木々は、私を怖がる。花は、狼を褒める。……誰も、私のことを話してくれないの」
カノジョはもぐもぐと口を動かしながら、ただ、真っ直ぐに赤ずきんを見上げていた。
カノジョは口の端に米粒をつけたまま、にこっと笑って尋ねた。
「ねえ、このおにぎり、具は何?」
「…… ツナ昆布、でしょ……」
「雇い主はね、シャケ、ワカメって言うのー。絶対、内緒だよ。とっておきの秘密なの」
「……同じ、おにぎりなのに?」
「うん!変だよねー」
赤ずきんが、息を呑んで立ち止まった。
(同じもの。なのに、違う見方。……そういうこと、なの?)
「……私は」
指先が少し震えていた。
それでも彼女はゆっくりフードを脱いだ。
フードの下に現れたのは、泣き顔でも怒り顔でもなかった。ただ、自分の言葉で話したいと願う、等身大の少女の顔だった。
「私は——」
赤ずきんは小さく息を吸う。
「今まで誰かの話ばかりだった。今度は、私の話をしたい」
カノジョは微笑んだ。
「うん、うん! 赤ずきんちゃんのとっておき、教えて!」
―――少し離れた場所から―――
カレシは、端末を手に、遠くから二人の様子を見つめていた。本当は、近づくべきではないと思った。でも、どうしても目が離せなかった。
カノジョが、赤ずきんのフードを脱がせた。赤ずきんが、泣きそうな顔で、何かを話している。カノジョが、うなずいている。
「……なんで、あんなに簡単に、人の心に入っていけるんだ」
カレシの呟きは、誰にも届かない。
彼の手元の端末には、まだ「未送信ログ」が残っている。彼が書いた、誰にも見せていない記録。そこには、赤ずきんの言葉が、狼の哀しみが、花たちの優しさが、全て「事実ではないかもしれない」という注釈付きで刻まれている。
(僕は言葉を書く。彼女は、一緒に歩く。ただ、そこにいる。それだけで、相手の心を開く)
スターが、不意に隣に立った。
「いいよなー、あの自然な距離感。……ナチュラルって難しいよね。意識するとナチュラルじゃなくなるんだ。どうしたらいいと思う?」
「…………」
カレシはそっけなく目を逸らした。
スターは、遠くを見るような目で言った。
「心を込めて歌うんだよ」
カレシの肩をポンっと叩く。
「今度さ、歌、教えてあげるよ」
「……いえ」
「はは」
鼻歌を歌いながらトコトコと去っていった。
一人残されたカレシは、耳たぶが少しだけ熱くなるのを感じていた。
カレシは、一度、周囲を見渡した。誰もいない。誰も見ていない。
それでも彼は、もう一度確認するように、左右を見てから、自分の端末の画面に視線を落とす。
文字だらけの無機質なログ。
カレシは口元を少し尖らせると、誰も聞き取れないほどの小さな、本当に小さな声で、さっき遠くから聞こえてきた旋律をなぞってみた。
「……レリッ、ビー……」
カレシは慌てて咳払いした。
「……これは記録のための発声練習だ。歌ではない」
誰も聞いていないのに、必死に言い訳した。
―――森の深淵・たんぽぽの丘―――
赤ずきんは、たんぽぽの綿毛を手に取っていた。風に吹かれて、それが空へと舞い上がる。
その時──
一瞬だけ、綿毛の群れが『ある数字』の形に歪んでから、霧の中へ溶けていった。
カノジョはそれを見ていた。でも、何も言わなかった。
「……ねえ、カノジョ」
「うん?」
「私はね、狼を殺したんだと思う。でも——」
彼女は、小さく息を吸った。
「狼も、私を愛してくれてたんだと思う。それが、何かが矛盾してるって言うなら——私は、その矛盾のままでいい」
カノジョは、自分の手のひらに残っていた最後のおにぎりの包み(アルミホイル)をじっと見つめる。
「ねえ、ツナと昆布って、一緒になるとどうしてこんなに美味しいんだろうね」
「……え?」
「ツナさんと昆布さん、一緒になるとツナ昆布さん。だからなのかなー」
赤ずきんはぽつりと呟く。
「殺した」
(少しの間)
「でも、愛されてもいた」
赤ずきんは小さく笑う。
「どっちでも、いい」
それは、諦めではなかった。受け入れだった。殺したことも、愛されたことも、どちらも自分だという、静かな肯定。
その笑顔は、冷たい微笑みでも、作られた笑顔でもない、本当に等身大の笑顔だった。
「……カノジョ、あなたは、誰にでもそうなの?」
赤ずきんの問いかけに、カノジョは答える代わりに、ポケットからくしゃくしゃになった四角い包みを取り出した。
「はい。チロルチョコあげる。雇い主ね、これ使って会議で成功したんだよ。私のアイデアなの」
本当は雇い主が必死にひねり出した作戦だったはずだが、カノジョの中では完全に自分の手柄になっている。それもまた一つの真実。(思い込みとも言う)
その時、森の空気が変わった。二人の周りに、一瞬だけ温かい光が差し込む。システムの「監視」が、一時的に無効化されたかのような、穏やかな瞬間。
赤ずきんは、今度こそ心の底から愛おしそうに笑った。
でも、それは一瞬だった。すぐに霧が戻り、森は元の静けさを取り戻す。
赤ずきんは、もう一度フードを被った——今度は、誰かの視線を隠すためではなく、自分自身の温度を守るために。
―――会議室に戻って―――
カノジョが戻ってきた。彼女の手には、一本のたんぽぽの綿毛が握られている。
「ただいまー!」
「……おかえり」
雇い主が、少し困ったように言った。
「で、何か変わったのか?」
「うん。でね、雇い主の秘密、話しちゃったかもー」
カノジョは、たんぽぽの綿毛を窓辺に置いた。
「おい、秘密って何だ……?」
雇い主が焦って顔を赤くする。
カレシがカノジョと赤ずきんちゃんの対話ログを解析する。
「……ツナ・昆布とシャケ・ワカメが一緒でいいという結論に達した模様です」
博士が端末を見つめながら呟く。
「……レリッ、ビー……ということか」
その言葉に、誰もが何かを感じ取っていた……わけではなかった。
現場一筋の隊長は、頭をガリガリと掻きながら「すみません、ご説明いただけますでしょうか」
【システムログ:赤ずきんセクター・観測エラー】
現実確率:15.8%(微増)
歪みレベル:大(観測不能)
――カノジョの主観的「愛」により、システムの監視を一時的に無効化。
――たんぽぽの綿毛が舞う軌跡に、一時的なコードパターン(観測不能)を検知。詳細は不明。記録のみ保持。
――赤ずきんのプロット逸脱度が、限定値に達しました。
――ただし、これは安定した状態ではありません。一時的な「揺らぎ」です。
観測を継続します。
──次回予告──
「報告書の二重構造」
赤ずきん、初めて笑った!
……と思いきや、今度はカレシが悩み始める。
表の報告書と、裏の報告書。どっちが彼の「本音」?
次回、記録者が二つの真実を書き始める。
……え、三つ目はないの? あるかも。
――カノジョの思い込みとも言う御前会議での「チロルチョコ大作戦」はこちら。――
【御前会議_07】チロルチョコで繋ぐ、無名の線
https://ncode.syosetu.com/n4662ml/7/




