第3話 「森の住人たちの証言」
―――赤ずきんセクター・「迷いの森」―――
洋館の重い扉をくぐったその時、何かが変わった。
「……あれ? おばあちゃん、いないの?」
カノジョが首をかしげる。
館の中は、誰もいなかった。暖炉の火は消え、机の上には埃が積もっている。
……ただ、壁の一角にだけ、妙に新しい“穴”がいくつも空いていた。
赤ずきんは、まるで最初から分かっていたかのように、無表情で振り返った。
「……今日は留守みたいね」
「留守?」
雇い主が眉をひそめる。
「おばあさんが『監視者』だっていうなら、ここにいるはずでは――」
その時だった。
窓の外で、霧が一層濃くなった。そして、無数の低い声が、森のあちこちから聞こえてくる。それは、地面を這うような、ざわめきだった。
『赤ずきんが来たぞ……』
『あの子は、いつも同じ道を歩く』
『いつも、おばあさんの家へ向かう……』
「森が、喋っている……?」
隊長が、大盾を構えながら警戒する。
博士が端末を操作し、顔をしかめる。
「……聞こえている声の主を特定しました。木々、草花、そして――狼です。彼らはそれぞれ異なる証言をしています」
雇い主は、端末を睨んだまま、口を開く。
「証言を聞く限り、真実を一つに絞ることはできなさそうだ。……仕方ない。各々、証言を収集していこう」
―――森の木々の証言―――
カノジョは、木の幹に耳を当てて聞いている。しばらく黙って、目を閉じた。
「……ねえ、この木さん、『赤ずきんちゃん、怖いよー』って言ってるよ!」
首をかしげた。
「でも、『でも、嫌いじゃない』とも言ってる。どっちなんだろうね」
カレシは、一人で森の奥へと足を踏み入れていた。彼の手元の端末には、木々の声を拾うための集音プログラムが起動している。足元の苔は深く、空気は重かった。
(どうして、こんなに胸が苦しいんだろう)
赤ずきんの言葉が、まだ頭から離れなかった。「おばあちゃんの視線から、自分の顔を隠すため」。その言葉が、カレシの「記録者」としての在り方と重なって見えた。
すると、突然耳元で低い木々のざわめきが強くなった。
『あの子は毎日、狼の首を絞める練習をしていた』
『枝を、人形みたいに抱いて……ぎゅっと』
しばらく沈黙。
『……でも昨日は歌ってた』
端末が、低い警告音を発する。「証言A:赤ずきんは、狼を殺す準備をしていた」。カレシは、指を止めた。
(彼女が……?)
その瞬間、ふと何かが引っかかった。もし、この証言が「真実」なら、赤ずきんは被害者ではない。しかし、それなら――なぜ彼女はあんなに哀しそうな目をしていたのか。
―――道端の花の証言―――
森の日当たりのいい場所。スターがしゃがみ込んで、道端の花に近づいている。
「よう、君たち、聞かせてくれよ。あの狼、本当はどんな奴なんだ?」
花たちは、風に揺れながら囁いた。
『狼はね、私たちに名前をくれたの。』
『私は花子。』
『あの子、毎朝ちゃんと話しかけてくれた。』
スターは、その言葉を聞きながら、空を見上げた。
「……なるほどな。みんな、違う顔を見てるってわけか」
彼は立ち上がり、森の奥へ歩き出した。カレシは、スターの背中を見送りながら、自分の端末に記録した言葉を何度も読み返した。
花たちが言うには、狼は「優しい」存在だった。先ほどの木々の証言では、赤ずきんが狼を殺そうとしていた――両者の意見は論理的に成立しえない。
カレシは思った。
(この世界は……
観測者の数だけ、真実が分裂している)
―――狼の証言―――
さらに森の奥、朽ちた切り株のそばに、一匹の灰色の狼が伏せていた。その体には、古い傷跡がいくつも刻まれている。大きな耳が、うつむいている。
「……お前たちも、俺を殺しに来たのか」
その声は、怒りではなく、疲れ切った諦めに満ちていた。
隊長が、無言でその前に立った。彼は狼を睨みつけるでもなく、武器を構えるでもなく、ただ、そこに立っていた。
「違う。俺は、お前の話を聞きに来た」
隊長は、大盾を地面に置き、狼の目の前にしゃがみ込んだ。
「お前は、何がしたかったんだ」
狼は、一瞬驚いたように顔を上げた。
そして、静かに口を開いた。
「俺は、頼まれただけなんだ」
隊長は狼の目をじっと見つめる。
「誰に」
狼は少し黙る。
「……赤ずきんに」
スターが、後ろから歩み寄る。彼は狼の隣に座り込み、同じ目線の高さで話し始めた。
「狼さー、ほんと悪役の演技が下手だな」
狼の耳が、ぴくりと震えた。
「……俺は、最初から悪者にされることが決まってた。システムが、そうしろって決めてたんだ」
スターは、遠くを見るような目で言った。
「ああ。でもな
――ほら、空を見てごらん。冷たい雨が降っているかもしれない。でもな、あの子が笑ってくれるなら、僕は喜んで悪にだってなれるよ。その演技、意味があるって思ったこと、あったろ?」
狼は、しばらく黙っていた。そして、小さく、泣くような声で言った。
「……あったよ。あったさ」
その瞬間、隊長が無言で前に出た。彼は何も言わず、狼の体に巻かれた古い包帯を解き始めている。
「……何を、しているんだ」
「傷の手当てだ」
隊長は、淡々と言った。
「役割じゃない。俺が、今、お前を助けたいからやるんだ」
狼は、信じられないものを見る目で、隊長とスターの間を行き来した。
端末越しにその光景を見ていたカレシの指が、止まった。彼の心の中で、赤ずきんの「おばあちゃん」という言葉が、今度は別の響きを持ち始めていた。
そして端末に「中島、一応確認」と備忘メモを記した。
―――報告書作成者の困惑―――
会議室に戻った雇い主は、集まった証言を前に頭を抱えていた。
博士が画面を見つめた。
「……おかしい。」
誰も返事をしない。
「同じ対象に、同時に三種類の真実が存在しています。」
博士は、そこで初めて言葉を止めた。端末の画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。彼の指が、キーボードの上で微かに震えている。
「……こんな観測結果は、存在しません」
博士が端末を叩きながら、重々しく言った。
「証言同士が完全に食い違っている。唯一の共通点は――」
「誰も、嘘をついていないということ」
カレシが、静かに付け加えた。
「それぞれが、自分が見た『真実』を語っている。……それが、この世界の在り方なんです」
―――その夜、青年と学生の観測記録―――
中継セクターでは、学生が端末を睨みつけていた。彼女の手元では、森の証言データがリアルタイムで書き換わり続けている。
「……おかしい。また書き変わった。さっきまで『加害者』。今は『被害者』」
ヘッドセットの向こうから、青年の声が聞こえる。
「恐らく、観測したからだ」
「じゃあ、私たちがこれから観測するたびに――」
「ああ。この世界では、『真実』なんて最初から存在しないのかもしれない」
同じ頃、雇い主も一つの答えにたどり着いていた。
「証言は集まった。でも事実は一つも見つからなかった」
【システムログ:赤ずきんセクター・観測エラー】
現実確率:25.0%(急落)
歪みレベル:大
――観測不能。真実の統合に失敗。
理由:矛盾する証言が同時に成立する「多重現実」を確認。収束不能。
――警告:記録担当端末に未送信ログ増加。
観測を継続します。
──次回予告──
「博士の分析不能」
待て待て博士! まだ論理で解決できるって言うつもり!?
いや、端末が煙を上げてるよ! 物理的に!
次回、ついに博士がフリーズします。
……あ、でもコーヒーはまだ飲めるって言ってるから大丈夫です。




