第2話 「祖母の家の真実」
―――赤ずきんセクター・「迷いの森」―――
「さあ。今回は、誰が物語を書くの?」
赤ずきんのその言葉と冷たい笑みを残し、彼女は深い霧の奥へと、音もなく消えていった。
森にはただ、湿った土の匂いと、不気味な静寂だけが取り残される。
「消えた、か……」
雇い主が、額の汗を拭いながら手元の端末を見つめた。
赤ずきんの生存確率を示すパラメーターは、今もエラーのノイズを吐き出しながら乱高下を繰り返している。
そのとき、湿った霧の奥から、くぐもった「声」が響いた。それは重なり合う無数の囁きとなって、メンバーの耳に届く。
『赤ずきんは被害者だ』
『違う。狼の方が泣いていた』
「……なんだ、今の声は?」
隊長がすかさず周囲を警戒し、片手を腰のホルスターへと伸ばす。
「森自体が、違う証言をしている……? 真実が分裂しているというのですか」
博士が端末に走る異常数値を睨みつけながら呻いた。
「ねえ、雇い主」
不気味な声に怯える様子もなく、カノジョが赤ずきんの去っていった霧の奥を指差した。
「あの子、あっちに行っちゃったよ。おばあちゃんのお家があるのかな?」
横から聞いていたカレシが答える。
「そうですね。基本プロットに従うなら、彼女の目的地は『祖母の家』のはずです」
雇い主の先導で、一行は薄暗い森の獣道を進み始めた。
歩き始めて数分。カノジョが、地面に残された足跡を見つけて駆け寄る。
「あ、見て見て! スニーカーの跡があるよ!」
霧の晴れ間に、その足跡の主――赤ずきんの後ろ姿が再び見えた。彼女は急ぐ風でもなく、ただゆっくりと森の奥へ歩いている。
その白いスニーカーの側面には、特徴的な曲線ロゴと『MIKE』の4文字がしっかりと刻まれていた。
「えー、おしゃれ~。あの『ニケ』のシューズじゃん」
カノジョが、嬉しそうに声を上げた。
すかさず、カレシの顔が引き攣る。
「うっ、頭が混乱する……。
カノジョ、君の『ニケ』も違う。一方、彼女の……『マイキ』?、いや『マイク』か?。……監査役に商標法の……」
「おやおや、商標法にコンプライアンスですか。監査役は、私の経費(領収書)よりそちらの心配をすべきですね」
博士は、中継セクターに聞こえるようにインカムの音量を上げて、わざとらしく呟いた。
『……聞こえていますよ、博士。商標法に関してはシステム側で検閲フィルターを適用済みです。それより、無駄口を叩く余裕があるなら、早く観測データを送ってください』
すると、突然、赤ずきんが足を止めて振り返った。
「……ついてくると思った」
その声には、驚きも拒絶もなかった。まるで——これまで何度も、同じような「観測者」に追いかけられた経験があるかのように。
「おばあちゃんに、何か用?」
「私たちは、ただ真実の記録を――」
雇い主が言おうとすると、彼女はそれを遮って、
「じゃあ、ついてくればいい。ちょうど、あの人にお使いを頼まれてたところだから」
そう言って赤ずきんが案内した先は、森の最深部、ひときわ巨大な大樹の根元に建てられた古い洋館だった。
「祖母の家」と呼ばれるその場所は、絵本のような温かみは微塵もなかった。
古風な洋館の屋根瓦、剥がれかけた漆喰の壁。しかしよく見ると、建物の随所に、不自然に黒く光る現代的な「監視カメラのレンズ」のようなものが無数に埋め込まれ、ジージーと不気味な音を立ててこちらの動きを追っている。
「これは監視塔……いや、これは“観測者の巣”だな」博士が顔をしかめて呟く。
「なるほど。いつでも観客の視線に晒されているということか」スターが肩をすくめる。
その隣にいたカノジョはすっかり怯えていた。
「お化け屋敷。嫌い」
カノジョはそう言って、スターの派手なロングジャケットの裾をきゅっと掴み、その背中に隠れた。
カノジョは、スターの背中からちょこっと顔を出し、今度はトコトコと赤ずきんの方へ歩み寄った。そして、赤ずきんのどす黒い袖をそっと引っ張る。
「ねえ、フードの中、暑くない? 私のお気にの麦わら帽子、貸してあげようか?」
おどおどしながらも、相手を気遣うカノジョ。
赤ずきんは一瞬、目を見開いてカノジョを見つめたが、すぐに視線を落とし、生々しい赤いフードの端をきつく握りしめた。
彼女がぽつりと言った。
「ねえ。私のフードが、なんでこんなに赤いか知ってる?」
「狼から、身を隠すためではないのかい?」
雇い主が、手元の端末のプロット案を読み上げながら尋ねる。
「違うよ」
赤ずきんは、フードをさらに深く、目元が隠れるまで強く引っ張った。
「おばあちゃんから、隠すため。……あの人の、私を『見張る』視線から、自分の顔を隠すためだよ」
彼女の声は、微かに震えていた。
「あの人は、 最初の観測者。システムが私を監視するために置いた……『最初の観測者』。私が笑っているか、泣いているか、プロット通りに『赤ずきん』を演じているか、ずっと、ずっと部屋の奥から見張っているの」
その告白を聞いた瞬間、カレシの指が、キーボードの上でピタリと止まった。
(……監視者)
その言葉が、カレシの胸に容赦なく突き刺さる。
赤ずきんにとって、自分たちもまた、彼女の心を殺しに来た「おばあちゃん」と同じ存在なのではないか。
(……僕は、彼女の“おばあちゃん”と同じなのか?)
カレシの脳裏に、桃太郎セクターで記録した無数のデータが走馬灯のように蘇る。鬼たちの愚痴。犬の傷痕。桃太郎の涙。それらを、彼は「客観的記録」としてデータ化した。そこには、彼自身の感情は一切含まれていなかった。
——それが、正しいと思っていた。
でも、もしも——あの記録が、誰かの「監視」だったとしたら。
カレシは、自分の手元の端末を見つめた。そこには、これまで記録してきた全てのデータが、冷たい文字として並んでいる。
——自分もまた、役割というフードを被っている。赤ずきんと同じように。自分の感情を隠して、ただ「記録者」としての機能だけを果たしている。
彼の指先が、微かに震えていた。キーボードの上に置かれたまま、動かない。
「カレシ……?」
カノジョが心配そうに覗き込む。
だが、カレシは画面を見つめたまま、文字を入力することができなかった。
そんな重苦しい空気を察してか、女将が赤ずきんにそっと近づき、中継セクターから持ってきた温かいスープの入った水筒を差し出した。
「冷えるわ。一口、お飲みなさい」
赤ずきんは一瞬、驚いたように目を見開いた。差し出された温かいスープを受け取ると、彼女はフードの奥から、ほんの一瞬だけ、年相応の「普通の少女の顔」を覗かせて、小さく微笑んだ。
それは、作られた「冷たい笑み」でも、「被害者」としての顔でもない、彼女自身の等身大の表情だった。
だが、温もりを感じたのも束の間。赤ずきんはすぐにハッと我に返り、スープを飲み干すと、再びフードを深く被って、その表情を「赤」の奥に完全に隠してしまった。
その「フードを被る」という頑なな拒絶の動作が、カレシには、まるで自分自身の姿のように見えていた。
——自分の本心を隠し、役割というフードを被り、心を閉ざして生きる。カレシは、その少女の孤独に、言葉にならない痛みを覚えていた。
赤ずきんは、一瞬だけ、自分の手を見つめた。女将から受け取ったスープの温もりが、まだ指先に残っている。その温もりを、彼女はそっと握りしめた——そして、手を離した。
「……おばあちゃんが、待ってる」
赤ずきんは扉を開いた。その向こうから、誰かがこちらを見ていた。
【システムログ:赤ずきんセクター・観測エラー】
現実確率:50.0%(分裂進行中)
歪みレベル:大
――森の環境データ(木々・花)から、複数の矛盾する音声ログ(証言)を検知。『赤ずきんは被害者だ』、『違う。狼の方が泣いていた』
——同時に並立する異常事態を確認。
――警告:観測者のローカル端末にて、入力の著しい遅延および生体反応(自己嫌悪)の動揺を確認。システムが推奨する「客観的監視」への同調率が低下しています。
観測を継続します。
──次回予告──
「森の住人たちの証言」
待て待ておばあさん! いきなり「私は観測者です」って名乗るのはおかしいだろう!
プロットには形式美というものがだな……ええい、話を飛ばすな!




