表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された転生満床調整係、辺境喫茶で命をつなぐ  ――テレパシー持ちの俺は、満員の治療院も嵐の港町も回してみせる――  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/25

第20話 俺はここで働く

 セヴランが去ったあと、雨待ち亭の仕事は途切れなかった。


 熱を測る子、包帯を替える男、薬の残りを尋ねる母親。いつも通りの手が次々に要る。だからこそ、アルハシムは返事を先延ばしにしたくなかった。


 夕刻、最後の患者を見送り、店の札を半分だけ下げた頃、彼は言った。


 「僕は戻りません」


 言う相手がその場にいなくても、まず口にしておく必要があった。


 サルマンは「知ってた」とだけ答え、シルバは腕を組んで頷いた。クロエは薬缶を火から外し、ジュエルは帳面の端へ何かを書きつける。


 けれど、エスメラルダだけはすぐに賛成しなかった。


 「簡単に言わないで」


 振り向いた彼女の声は、珍しく硬かった。


 「あなたが戻らないのは好きにすればいい。でも、あの男が本当に薬を絞ったらどうするの。ここには子どもも老人もいる。正しい意地で、人が熱を下げられなくなったら意味がないでしょう」


 アルハシムも声を落とした。


 「分かってます」


 「分かってない」


 エスメラルダは一歩踏み出す。


 「あなたは王都の手口を知ってる。だから余計に分かるはずよ。報復は、本人じゃなく弱いところへ来る。あなたにではなく、この町へ来るの」


 言葉は鋭いのに、怒鳴り声ではなかった。怖がっている人の言い方だった。


 アルハシムは一度目を閉じる。


 「それでも戻れません」


 「どうして!」


 初めて、エスメラルダの声が割れた。


 「あなたが一人戻れば、配分だけは保てるかもしれないのよ!」


 その一言で、店の奥が静まり返る。


 アルハシムはゆっくり息を吸った。


 「保てません」


 「……」


 「一度戻ったら、次も同じです。王都のために辺境を切れ、今度は別の町を後ろへ回せ、貴族街を優先しろ、そうやってまた誰かの順番をねじ曲げる。僕は、それを知っていて手伝う側に戻れない」


 エスメラルダは唇を噛む。


 彼女だって、知らないわけではない。王都で腕を磨いた治療師だからこそ、見たくない優先順位を何度も見てきたはずだ。


 「私は……」


 言いかけて、止まる。白衣の袖を握る手が強い。


 「私は、戻りたくないわよ」


 吐き出すような告白だった。


 「任期が終われば帰るつもりだった。そう思わないとやっていけなかった。でも今は、王都の帳場へ戻って、何もなかった顔で治療卓につく自分の方が嫌なの」


 サルマンが静かに視線を逸らす。ジュエルは帳面を閉じた。


 エスメラルダはなおも震える声で続けた。


 「だから腹が立つの。あなたが正しい顔で残るって言うと、私も残るしかないって分かるから」


 アルハシムはそこでようやく、彼女の怒りの形を受け取った。


 引き止めたいのではない。自分ももう戻れないと知っているから、先に口にした相手へ腹が立つのだ。


 彼は少しだけ肩の力を抜き、正面から答えた。


 「一人で残るつもりはありません」


 エスメラルダが顔を上げる。


 「残るなら、薬の代替を探す。配分表を組み直す。寝台の順番も、搬送先も、町の中で回せる形へ変える。報復が来る前提で準備する。あなたが医療を仕切って、サルマンが人を動かして、ジュエルが流れを外へ通して、シルバが道を守る。僕はその間をつなぐ。そうでないと持ちません」


 静かな声だったが、店の全員へ届いた。


 シルバが口を開く。


 「私は領主館側の宿を見てくる。王都の連中がいつ動くか見張れる」


 ジュエルも言う。


 「商会の別経路を洗う。薬草そのものなら、王都を通さず引ける可能性がある」


 サルマンは頷いた。


 「避難路と備蓄だな。町の連中には今夜から口を回す」


 クロエが薬缶を持ち上げる。


 「歌は、まだ毎回は無理」


 「ええ」


 アルハシムが答える。


 「でも必要な時は呼ぶ」


 彼女は小さく頷いた。


 最後に、エスメラルダが長い息を吐いた。


 「……本当に面倒な店になったわね」


 「最初からでは」


 「最初よりよ。責任者が増えた分だけ」


 そう言ってから、彼女は初めて少しだけ笑った。


 夜、領主館の宿へ返事を届けに来た従者へ、アルハシムは店の前で告げた。


 「院長に伝えてください。俺はここで働く」


 従者は眉をひそめたが、書き留めるしかなかった。


 それで終わりではない。むしろ始まりだった。薬は絞られるかもしれない。物流もさらに荒らされるだろう。けれど、残ると決めた言葉は、人を一つの場所へ立たせる。


 雨待ち亭の明かりは、その夜いつもより遅くまで消えなかった。


 誰がどこで何を担うか。卓の上に札が並び、通路に箱が積まれ、寝台の数え直しが続く。働く場所を選ぶことは、ただ留まることではない。ここにいる者たちの明日を、具体的に組み替え続けることだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ