第18話 嵐を育てる領主
町を壊しているのは嵐だけではない。
それがはっきりしたのは、三日後の夕方だった。雨待ち亭の二階、元は物置だった狭い部屋に、地図と帳面と荷札が並べられている。丸卓を囲むのはアルハシム、エスメラルダ、サルマン、ジュエル、シルバ、クロエの六人だった。
サルマンが最初に出したのは、防波設備の修繕記録だった。
「西堤の杭、去年は二十本替えたことになってる。だが実際に新しいのは八本だ。南の縄留めも、帳面では鉄具に交換済み。現物は古縄のまま」
シルバが腕を組む。
「見回りで見た。潮を食って脆くなってる。強い夜が来れば一気に抜ける」
ジュエルは別の帳面を開いた。
「辺境伯ラーディルの会計では、補修費は満額支出。しかも請け負った名目の工房は、去年から実体がない」
「架空の工房か」
「ええ。名前だけ残して、金だけ流してる」
エスメラルダは荷札の束へ手を伸ばした。
「薬の便もおかしい。偽薬が入っていた箱と同じ日に、魔鉱石の運搬許可が出ている」
アルハシムが地図の港外れを指で叩く。
「嵐の日にだけ浮く鉱石でしたね」
クロエが頷く。
「海底の筋が鳴ると、上がる。昔から取れたけど、わざわざ命を賭けてまで掘る量じゃなかった」
サルマンが苦い顔をした。
「今は違う。値が跳ねてる。ラーディルは嵐の後にだけ出る小船まで囲って、先に採らせてる」
町が弱れば避難が増える。避難が増えれば港は安く買い叩ける。嵐が続けば魔鉱石も採れる。防波設備を直さず、薬を薄め、船便を詰まらせるほど、辺境伯には得になる。
ジュエルはさらに薄い帳面を卓へ置いた。
「そして、ここから先が王都よ」
そこには搬送依頼の控えが記されていた。熱病の出た地区から王都へ回すはずの正規薬が、直前で貴族街へ振り替えられている。かわりに辺境へは、数の足りない代替品。手続きを通した印は、中央治療院の購買部門を経由していた。
アルハシムの指先が止まる。
「セヴランだ」
「断定はまだ早い」
ジュエルはそう言いながらも、否定はしなかった。
「でも、あなたのいた場所を通らずに、この流れは作れない」
シルバが低く言う。
「領主が堤を壊し、王都が薬を絞る。町は弱る一方だな」
「しかも搬送まで詰まってる」
アルハシムは別の札を拾い上げた。
王都を出た馬車便の予定表。その余白に、妙な印がある。重症搬送のはずの便が、途中で荷役優先へ切り替わっていた。
「病人の馬車を遅らせて、その分、鉱石か別便の荷を通してる」
サルマンが舌打ちする。
「運び手が最近よく消えると思ったら、口止めも兼ねてるな」
クロエが窓の外を見た。
「町を助けないんじゃなくて、弱らせてる」
その一言で、部屋の空気が静まり返る。
ここまで来れば、悪い偶然では済まない。薬の不足、補修の手抜き、船便の遅延、嵐の長期化。全部が一本の利に結ばれている。
アルハシムは丸卓の上で札の位置を組み替えた。港、倉庫、診療所、王都、領主館。離れていた点が線になる。
「敵は一人ではありません」
「分かってる」
シルバが言う。
「剣で斬って終わる相手でもない」
「ええ。だから順番が要る」
アルハシムは、卓の中央へ空の杯を置いた。
「ラーディルの不正だけ暴いても、王都側が切り捨てる。セヴランだけ突いても、辺境の現場が事故に見せかけられる。補修費、偽薬、搬送妨害、採掘権。この四つを別々に外へ流しつつ、一つの話だと伝える必要があります」
ジュエルが頷く。
「証拠の流し先は分ける。監査局、近隣領、薬師組合、騎士団の記録官」
シルバが眉を上げた。
「騎士団に通るか?」
「全部は通らなくても、一枚でも残ればいいです」
アルハシムが答える。
前の生でも同じだった。詰まった一本の管へ全部を流せば、止まった時に終わる。道は複数いる。
エスメラルダが薬箱の蓋へ手を置いた。
「その前に、町が次の嵐を越えられる準備をする。薬の代替、寝台の増設、火傷と打撲の処置布、子ども用の薄い粥」
サルマンも頷く。
「避難路は俺が引く。西堤が危ないなら、南坂へ先回しだ」
クロエは短く言った。
「歌の句も写す。婆さんの冊子、もう一冊ある」
そこでアルハシムは、ようやく背筋を伸ばした。
敵が個人なら、怒りで走れた。だが今目の前にあるのは、金と役職と手続きでできた仕組みだ。仕組みは顔色を変えないまま人を弱らせる。だからこそ、こちらも感情だけでは勝てない。
「嵐を育てているのは天気じゃない」
口にすると、自分の中でも形がはっきりした。
「人間です」
誰も異を唱えなかった。
雨待ち亭の二階、低い天井の下で、六人は同じ敵を見ていた。港の外の空はまだ灰色だったが、曖昧だった輪郭だけは、もう十分に濃くなっていた。




