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追放された転生満床調整係、辺境喫茶で命をつなぐ  ――テレパシー持ちの俺は、満員の治療院も嵐の港町も回してみせる――  作者: 乾為天女


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第15話 シルバの敗北

 シルバが負けたのは、魔物相手ではなかった。


 港外れの干し網小屋で、夕刻に海魔の群れが出た。灰青の嵐の前触れで気が立っていたのか、普段なら沖へ流れる程度の小型種が、岸の荷揚げ場まで入り込んだのだ。鋭い歯で木樽を裂き、干し網へ絡まり、驚いて転んだ子どもと荷役人が次々に怪我をした。


 シルバは速かった。


 王都から来た若手騎士の剣は、群れの先頭を断ち、足場の悪い桟橋でもぶれない。三体、四体と倒し、残りを海へ追い返すまでに、かかった時間は長くなかった。見物していた者なら、あれで十分だと思っただろう。


 だが、戦いが終わった瞬間から、本当の混乱が始まった。


 負傷者は二十を超えた。網へ足を取られて捻挫した者、転んで頭を切った者、噛み傷のある者、怯えて動けない子ども。そこへ野次馬と家族が押し寄せ、誰を先に運ぶかで怒鳴り合いになる。海魔は去ったのに、港の空気だけが荒れ続けた。


 「道を空けろ!」


 シルバが声を張っても、人は剣に従う時と従わない時がある。血の気の引いた母親は子どもを抱いて泣き、腕を押さえた荷役人は自分が先だと喚き、軽傷の若者が重傷者の担架の前へ飛び出した。


 剣で斬れない混乱だった。


 雨待ち亭へ最初の怪我人が運び込まれたとき、アルハシムは入口の札をひっくり返し、喫茶の文字を内側へ向けた。


 「噛み傷と頭部打撲を先。歩ける人は左、抱えてる子どもは右。サルマン、港側の通りを一つ閉じてください。クロエ、水と布を入口に。エスメラルダ、奥の寝台は三つまで頭部打撲優先」


 指示が飛ぶ。迷いがないから、周囲も迷いにくい。


 シルバは血のついた剣を握ったまま、その速さに一拍遅れた。


 「どこを閉じる」


 「市場へ抜ける細道です。人が近道だと思って詰まる」


 「分かった」


 走り出しかけて、また呼び止められる。


 「あと、軽傷者を止めてください。あなたが立っていれば通りません」


 「怪我人を運ぶんじゃなくてか」


 「今のあなたは、運ぶより止める方が効きます」


 言われた通りに細道へ立つと、本当に人の流れが変わった。騎士が一人いるだけで、通ろうとする者が減る。その間に、サルマンが担架を通し、クロエが濡れ布を配り、診療所の中は最低限の順序を保った。


 けれど、シルバの胸には妙な敗北感が残る。


 自分はさっきまで敵を斬っていた。なのに今は、道端で人を止める役だ。それが必要だと分かっていても、剣を持つ手が宙ぶらりんのまま落ち着かない。


 夜半までかかって、ようやく負傷者の列が落ち着いた。重傷者は出なかったが、泣き疲れて眠る子どもと、処置を終えても怒りの収まらない大人たちが、店のあちこちで長い息を吐いている。


 シルバは店の裏口で剣を拭いていた。布へこびりついた血は落ちるのに、胸のざらつきだけが残る。


 そこへアルハシムが温い茶を二つ持ってきた。


 「お疲れさまです」


 「……俺は、あまり役に立っていない」


 珍しく、先に口を開いたのはシルバの方だった。


 アルハシムは否定せず、一つの杯を木箱の上へ置く。


 「海魔は誰が止めたんですか」


 「それは俺だ」


 「なら十分でしょう」


 「十分じゃない」


 即答だった。シルバは布を握りしめる。


 「敵は斬れた。だが、その後の人の流れ一つさばけない。泣いてる子ども一人黙らせられない。担架の順番も決められない。俺が騎士だと名乗っても、混乱した奴らは聞いちゃいなかった」


 アルハシムは、少し考えてから答えた。


 「聞いてましたよ」


 「どこがだ」


 「細道、誰も抜けなかったでしょう。あなたが立っていたからです」


 シルバは眉をしかめる。


 「そんなもの、立っていただけだ」


 「立っていただけでできることを、侮らないでください」


 夜風が、店の明かりを少しだけ揺らした。裏口の先には、まだ片づけきれない桶と縄が積んである。戦いの跡はあちこちに残っていた。


 「僕は、剣では道を開けません」


 アルハシムは静かに続ける。


 「だから、開いた道へ何を流すか考える。あなたは逆です。何を流すかまでは抱えきれなくても、詰まったところを開けられる」


 「全部はできないと言いたいのか」


 「全部やろうとすると、たぶん誰かが死にます」


 冷たいほど正直な言い方だった。シルバはしばらく黙り、やがて苦く笑う。


 「容赦がないな、お前は」


 「優しい嘘より、役に立つ事実の方が好きなので」


 「その言い方、嫌いじゃない」


 杯に口をつける。温い茶が、思ったより喉へ落ちた。


 「俺は剣なら負けないと思っていた」


 「ええ」


 「だが今日は負けた」


 アルハシムは小さく首を傾げた。


 「誰に」


 シルバは少しだけ考え、それから答えた。


 「……剣でどうにもならない場に、だ」


 その言葉を笑わずに受け止めたことが、シルバには妙にありがたかった。


 「なら次は、負け方を知ってる分だけ強いですよ」


 「慰めか」


 「業務連絡です」


 「お前、本当にそういうところだぞ」


 いつもの軽口に近い響きが戻る。そこでようやく、シルバは自分の肩から余計な力が抜けたことに気づいた。


 裏口の向こうから、サルマンの声が飛ぶ。


 「騎士様! 明日は西堤の見回り手伝え!」


 「命令か!」


 「依頼だ!」


 「雑だな、この町は!」


 クロエが表へ出した桶を抱えたまま、ぼそりと呟く。


 「向いてる」


 「何がだ」


 「騒がしいの」


 シルバは一瞬だけ呆れた顔をし、それから珍しくはっきり笑った。


 その夜、彼は初めて自分からアルハシムの隣へ腰を下ろした。剣を置く場所と、人を見る場所は別にあっていい。そう認めるのは悔しかったが、認めた方が次に役立つ。


 敗北は、折れた時より、持ち方を変えた時に形になる。


 シルバにとって、その夜が最初の負けであり、最初の学びだった。



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