第13話 偽薬のにおい
翌朝、北倉庫に運び込まれた木箱は、外から見る限り何の問題もなかった。
封蝋は正規の商会印。荷札には王都経由の解熱薬とある。箱板も新しく、湿りもない。見栄えだけなら、文句のつけようがなかった。
けれど、エスメラルダは箱の蓋が開いた瞬間に眉をひそめた。
「……違う」
「見た目は普通ですよ」
アルハシムが瓶を一本持ち上げると、彼女は手袋をした指で止めた。
「匂いを嗅いで」
栓をわずかにずらす。漂ってきたのは、薬草の青い香りではなく、甘ったるい樹液の匂いだった。熱を下げる薬ではなく、飲ませた相手を一時的にぼんやりさせる安価な混ぜ物によく似ている。
サルマンが顔をしかめる。
「薬っていうより、駄菓子みたいな臭いだな」
「子どもに飲ませやすくするため、香りを足す処方はある。でも、これは足し方がおかしいの」
エスメラルダは小皿へ一滴垂らし、銀の匙の裏へ落とした。液はゆっくり広がり、縁に薄い白濁を残す。
「正規品ならこうならない。熱を下げる芯の成分が少なすぎる」
クロエが箱の中を覗き込んだ。
「効かない?」
「効きにくい、が正しいわね。少しは楽になる。でも、熱の高い子や、体力の落ちた老人には足りない」
足りない。医療の現場で、その言葉はときどき致命傷より重い。
アルハシムは荷札を裏返した。納品番号の並びに、嫌な見覚えがある。王都中央治療院で購買管理に使われていた記号体系と同じだ。最初の二文字が発注元、次の数字が薬種、最後の記号が振り分け先。
「これ、王都の中央治療院から流れてきた番号です」
エスメラルダが顔を上げる。
「断言できますか」
「ええ。嫌になるくらい見ました」
ジュエルが遅れて倉庫へ入ってきた。今日は祭りの余韻のない顔だ。彼女は手袋越しに荷札を受け取り、一瞬だけまぶたを伏せる。
「商会帳簿にも同じ番号があるわ。正規薬として記載されている」
「中身は偽物なのに」
「ええ。しかも巧妙ね。全部を粗悪品にしていない。数箱だけ正規品を混ぜて、現場が『今回は効いた』と思うようにしている」
サルマンが舌打ちする。
「気づきにくくするためか」
「苦情が一気に上がらないように、ね」
アルハシムは木箱の並びを見回した。二十箱。そのうち外側の四箱だけが微妙に角の擦れ方が違う。積み直された跡だ。つまり、途中のどこかで中身が差し替えられている。
彼の頭の中で、王都の倉庫、治療院の購買室、港の荷揚げ場、辺境行きの馬車列が一本につながった。
セヴランは王都で貴族向けの正規薬を確保し、その穴埋めに辺境向けを薄めた品へ替えている。商会側には正規品を送ったように見せ、責任の行き先をぼかす。効きが悪いと辺境の医療が責められ、薬不足そのものは慢性化する。
「最悪ですね」
思わず口から漏れると、ジュエルが静かに答えた。
「最悪なのは、これが一度や二度ではないことよ」
倉庫の奥で、別の箱を開けていたクロエが短く言った。
「こっちも甘い」
エスメラルダが確認し、唇を引き結ぶ。
「全部回収する。雨待ち亭へは入れない」
「待ってください」
アルハシムは箱の列の前へ立った。
「全部回収したら、向こうは『届かなかった』と言い張れる。中身が偽物だと証明しながら、どこを通ってきたかも押さえないと」
サルマンが腕を組む。
「荷運びの連中を当たるか」
「ええ。ただ、末端だけ脅しても足りません。差し替え場所がどこか要る」
ジュエルは帳面を開き、素早く頁をめくった。
「この便、王都を出たあと河岸場で一泊している。その区間だけ担当者が二重になってる。普通はありえないわ」
「そこで替えた」
「可能性が高い」
沈黙が落ちる。倉庫の外では、祭り明けの片づけの音がしている。町の人々は昨夜の笑いをまだ少し引きずっているだろうに、その足元へ、こんなものが運び込まれていた。
アルハシムは箱の蓋を閉じた。
「怒っていいですか」
エスメラルダが低く答える。
「私はもう怒っているわ」
「なら安心しました。僕だけじゃない」
サルマンが鼻で笑う。
「一人で怒るつもりだったのか」
「仕事柄、わりと」
「難儀な性分だな」
ジュエルは帳簿を抱え直し、はっきり言った。
「これは商会の中へ正式に上げる。もう独り言では済まない。けれど、報告が握りつぶされる前に、外へも証拠を回す必要がある」
「外というと」
「近隣領の薬師組合、監査局、それから王都の一部の記録係。全部に少しずつ。どこか一つが塞がれても、全部は止まらないように」
アルハシムは頷いた。まるで搬送先を分散する時の発想と同じだ。詰まる場所を一つにしない。助かる道を複数作る。
倉庫を出る前、彼はもう一度だけ箱を振り返った。
見た目は整い、印も正しい。けれど、中身は人の命を少しずつ削る。王都にいた頃、何度も見た手口だった。だからこそ忘れられないし、見逃せない。
北倉庫の外へ出ると、海風が鼻の奥の甘ったるい匂いをさらっていった。
しかし、記憶にまで染みついた臭いは、なかなか消えそうになかった。




