094
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俺の名はサイプレス。
世界樹の化身ツキが【土魔法】により作り出した大石管を飛び降りた俺は、リョーマ湾海底にある大精霊マンティスの精霊殿に突入するため、ベルと打ち合わせをしていた。
「ベル、これから精霊殿に突入しようと思うが、前衛はお前に任せる」
「ワカッタ」
「よし、それでは突入前に蒸留酒を飲み込んでおこう。第一位階魔法【性質変化】、第二位階魔法【形状変化】水膜」
俺は蒸留酒を水膜に包み込むと、水膜ごと蒸留酒を飲み込んだ。
こうしておくことで蒸留酒を水膜に包まれた状態で胃の中に保管しておくことが出来るため、裏魔法が必要になったタイミングで水膜を解除すれば即座に酩酊状態になることができる。
通常は戦闘前に魔力回復ポーションを水膜に包んで飲み込んでおき、魔力枯渇になる直前で魔力を回復させたい時に使用する魔法だ。
今回は、俺が裏魔法を使用するための条件として酩酊状態になる必要があるため、ポーションではなく蒸留酒を胃の中に保管しておくことにする。
「それではいくぜ!」
「リョーカイ!」
俺とベルが朱色に塗られた鳥居をくぐると、そこには荒廃した精霊殿があった。
すでに精霊殿内で明らかな異常が発生しているようだ。
フジ山の大精霊カグヤ様の精霊殿では、内部には四季折々の花々が咲き乱れ、空気は清浄である。
出入り口である鳥居から本殿に向かう通路の両脇には精霊達が宿る灯籠が無数に設置されており、魔木の化身の気配が多数ある。
しかしリョーマ湾海底の大精霊マンティスの精霊殿内部は砂漠と化しており、灯籠は傾いたり崩れたりしていて、精霊達はどこかへ避難してしまっているようだ。
そして精霊殿の構造物は、ところどころ齧られたように抉り取られている。
空気は澱んでおり、空は赤く染まっている。
この荒れ方を見ると、精霊殿内部がこれほどまで荒廃するには相当な長い年月がかかっているような気がする。
大精霊マンティスは討伐された大魔王の魂を封印しているという話だが、伝説的にそう言われているだけだ。
もしかすると、俺たちが知らない事情があるのかも知れない。
「明らかに異常が起こっているようだぜ」
「クンクン、アッチノ方カラ大精霊ノ臭イガスル。他ニ変ナ臭イモ混ジッテイルナ」
「よし、先を急ごう」
ベルはライカンスロープの種族特性から、鋭い嗅覚を備えている。
それに加えて強靭な肉体と鋭い鉤爪や牙を持ち、第七位階【精霊魔法・中伝】に到達しているので精霊を召喚することが出来る。
前衛としては非常に頼もしく、俺が後衛で援護すれば大魔王の怨霊にも十分対処出来るはずだ。
ドゴンッ!
無人の精霊殿に轟音が轟いた。
俺たちが向かっている本殿では、すでに戦闘が始まっているようだ。
「固有魔法【隠密】、気配を消しつつ接近しよう」
「ワカッタ」
固有魔法【隠密】で俺とベルの存在感を消しつつ、周囲を警戒して音がした方向に進んでいく。
さらに接近すると、本殿前の広い庭で大魔王の怨霊と大精霊マンティスらしき獅子の姿が見えた。
大精霊マンティスは禍々しい首輪を装着されており、地面に縫い付けられたかのように動きを封じられているようだ。
さらにその側には謎の3人の魔族らしき人影があった。
1人は遠目で見てもかなり目立つ絶世の美女で、額からは2本の角が生えており、肌は雪のように白い。
その瞳は紅く染まっており、真っ白な長髪と長いまつ毛が特徴的だ。
もう1人の魔族は頭からローブを被っており、顔立ちは確認できない。
絶世の美女と比べると小柄な魔族のようで、性別は不明だ。
3人目は魔族に変身したアーコレードだ。
アーコレードは位階にそぐわない無理な魔法の使用により魂に深刻なダメージを負ったが、どうやら一命を取り留めていたようだ。
『ここから先は念話を使うぞ。あれが大精霊マンティスか』
『隙ヲ見テ大精霊ニ加勢スルカ?』
『少し様子を見よう』
大精霊マンティスは、伝説によると初代マンティスアロー男爵マリフローラと共に大魔王と戦った獅子であるとされている。
大勇者と大魔王の激しい戦いにより大魔王は討伐され、大精霊マンティスは大魔王の魂の本体を封印しているはずだ。
しかし大精霊マンティスの瞳は狂気と殺意に満ちており、封印しているはずの大魔王の魂の本体とやらはどこにも見当たらない。
これは一体どういうことなのだろうか。
『犬畜生マンティスめ、我の魂の本体を喰らいおったとは!吐け!吐き出すのだ!』
「ガァァァァ、腹減った、喰わせろ、もっと喰わせろぉぉぉぉ!」
「こらこら、暴れるんじゃない」
「固有魔法【科学魔法】隷属の首輪、大人しくしなさい」
頭からローブを被った小柄な魔族が魔法を使うと、マンティスの首に嵌められた首輪が怪しく明滅し、マンティスは大人しくなった。
『【科学魔法】だと?そこの貧相な小娘は当代の魔王だったのか!?』
「はっ、ご紹介が遅くなりまして申し訳ありません」
「……」
固有魔法【科学魔法】と、当代の魔王という言葉が聞こえた。
小柄な魔族の正体がもし本当に魔王だとすると、非常に厄介な存在かもしれない。
『ふん、ろくに挨拶も出来ない礼儀知らずの小娘め。安心するがいい、我が完全に復活したらお前はお役御免になるのだからな、わっはっは』
「……うざっ」
『ん?』
「大魔王様、大精霊マンティスの胃袋から魂の本体を吐き出させるための策をご用意しております」
『そうか、試せ』
「はっ!ほらマンティス、この肉は美味いからお食べ」
絶世の美女が大精霊マンティスに紫色に染まった生肉を差し出すと、マンティスはそれを美味そうに貪り食いはじめた。
見るからに不味そうな肉で、食べたら間違いなく腹を壊すだろう。
「うまっ、うまっ!最高に美味い!」
『アルミラリアよ、犬畜生に餌付けなどしてどうするつもりだ』
「大魔王様、そう焦らずに。こちらは瘴気を纏ったゾンビの肉です。強力な催吐剤ですので、すぐに効果があらわれることでしょう」
どうやら絶世の美女の正体はアルミラリアだったようだ。
アルミラリアはリョーマ湾で戦闘中のはずだが、魂を操る【死霊魔法】の使い手なので、分身を作り出すことができるとしても不思議ではない。
『ゾンビの肉だと?そんな不味そうな肉を美味そうに貪り食うとは……』
「大精霊マンティスは大魔王様の魂の本体を取り込んだことにより、食欲を抑えることができなくなっておりますので」
なんと大精霊マンティスは大魔王の魂の本体を取り込んでしまったことにより、食欲を抑えることが出来なくなってしまっているようだ。
明らかに不味そうな色をしたゾンビの肉を美味そうに貪り食っているマンティスには、気高き大獅子の威厳は全く感じられない。
「うまっ!うまっ!うっ、うげぇぇぇ」
マンティスはゾンビ肉を貪り食いはじめ、しばらくすると嘔吐した。
完全に腐った肉を貪り食ったのだから、胃袋が拒絶反応を起こしたのだろう。
『おお!これは我が魂の本体に違いない!』
「マンティスの吐瀉物に塗れているのであまり触りたくありませんね。アーコレード、大魔王様の魂を回収しなさい」
「……はい。生活魔法クリーン」
アルミラリアに命じられたアーコレードは、顔を顰めながらも吐瀉物に塗れた魂を回収して生活魔法クリーンを使用した。
生活魔法クリーンは【念動】と【鑑定】の複合魔法で、簡易的に汚れをきれいにすることができる。
大魔王の魂をクリーンしたアーコレードは、それを大魔王の怨霊に差し出した。
「さあ、大魔王様。こちらの魂と合体し、真のお姿を取り戻してくださいませ」
『ふふふ、これで我が魂は完全なものとなり、真の復活を果たすことが出来るぞ!』
「ご同慶の至りにございます」
このままでは大魔王の怨霊が魂の本体と合体してしまう。
ここはひとまず大魔王の魂の本体を回収し、合体阻止のために撤退するのが得策だろう。
敵の戦力を考えると大精霊マンティスの救出は後回しにするしかない。
『ベル、大魔王の魂の本体を奪って撤退するぞ』
『ワカッタ』
『【精霊魔法】時空の精霊クロノス召喚、魂の本体を奪い取れ!』
俺が【精霊魔法】により時空の精霊クロノスを召喚してチカラを解放すると、大魔王の魂の本体は俺の手元に出現した。
時空の精霊クロノスは時や空間を操ることが出来る精霊で、距離を無視して魂を奪い取ることができる。
『何者だ!』
「どうやらネズミが2匹ほど侵入していたようですね」
「逃げるぞ、ベル!」
「ワン!」
俺とベルは敵に背を向け、大急ぎで撤退を開始した。
大魔王の完全復活を阻止し、勇者ゼルコバが到着するまでの時間を何としても稼がなければならない。
「固有魔法【科学魔法】隷属の首輪、大精霊マンティスよ、侵入者を捕えなさい」
「ぐっ、ぐおおおお!承知シマシタ」
ドンッ!
「ぐはっ!」
「グルルルル!」
次の瞬間、俺の身体は後ろから凄まじい勢いで迫ってきた大獅子に轢き飛ばされていた。
地面に倒れ伏した俺の背中には巨大な丸太のような前足がのしかかり、身動き一つ出来ない。
「大精霊マンティス!なぜ……」
「ソノ魂ヲ返セ」
なんと俺を轢き飛ばしたのは、あろうことか大精霊マンティスであった。
マンティスは狂気に満ちた瞳で涎を垂らし、前足で俺を押さえつけている。
謎の首輪は怪しく明滅しており、マンティスは魔王により操られてしまっているようだ。
「ちょっと、アルミラリア。安全に魔導書が作れるように手配しなさいと命じたはずですよね?なぜ邪魔な人間の侵入を許したのですか?しかもそれを私に報告していない」
魔王は怒りを露わにしてアルミラリアに抗議している。
アルミラリアの分身は俺たちが大精霊マンティスの精霊殿に突入したことを知っていたはずだが、なぜか報告を怠っていたらしい。
「これは魔王様。なんの障害もなく魔導書が手に入ると思ったらいけませんよ。これは貴女様が大冥霊様より課せられた試練なのですから」
「それはそうだけど、効率的に最強の魔導書を入手するにはこれが最善の策なのよ」
『おい、魔導書とはなんのことだ』
「おやおや、大魔王様。魔導書の件はお気になさらずに」
どうやら魔王は魔導書を手に入れるためにここに来ているという。
魔導書を作るための方法を俺は詳しく知らないが、魔導書の材料として最も入手困難なものは魂だという。
そして今この場には、最も強力な魔導書の材料であろう大魔王の魂がある。
つまり、魔族の真の狙いは大魔王を復活させることではなく、大魔王の魂を用いて最強の魔導書を作り出すことだったのだ。
「さあ、アルミラリア。魔導書モルティスに収納してある私の魔導書、AI大魔王の素体を召喚してちょうだい。マンティスの精霊殿を制圧してから完成まで2年もかかってしまったから、私はもう待ち切れないの」
「ちょっと魔王様、その件は伏せておくという段取りだったではないですか」
「いいから早くしなさいよ!」
「グルルルル、【精霊魔法】溶岩の精霊ラヴァ召喚合体、灼血溶岩鎧!」
ベルは【精霊魔法】溶岩の精霊ラヴァを召喚すると、灼血溶岩鎧により、沸騰した血液と溶岩による鎧を纏った。
近づくだけでも火傷しそうな程の超高熱が発せられ、溶岩を纏ったベルは狂気に支配されたマンティスに突進した。
ベルの膂力はマンティスを吹き飛ばす程の威力で、俺は行動の自由を取り戻すことが出来た。
しかし今は地面に倒れ伏し、気絶したフリをすることにした。
「きゃあぁ!アーコレード、私を守りなさい!」
「御意」
ベルとマンティスの衝突により熱波が生じ、高熱の溶岩が周囲に飛び散った。
魔王は身の危険を感じたのか、アーコレードに自分の身を守るように命じている。
もしかするとこの魔王、大して強くないのか?
『おい、アルミラリア、貴様は我をこの小娘の魔導書にしようと企んでおったな?流石にこの行いは滑稽では済ませられんぞ!』
「大魔王様、恐れながら魂の本体と合体し、速やかに完全復活していただけないでしょうか?」
『嫌だ!拒否する!』
「アルミラリア、早くなんとかしなさいよ!」
「はぁ、全くどいつもこいつも。【死霊魔法】リモート魂トロール」
『ぐえ』
アルミラリアが【死霊魔法】リモート魂トロールを発動すると、大魔王の怨霊は金縛りにあったかのように空中で硬直した。
さらに、俺が抱えていた大魔王の魂の本体は黒い糸のような魔法でアルミラリアと接続され、もの凄い勢いでアルミラリアに手元へと引き寄せられていく。
「大魔王様、覚悟をお決めなさい。貴方様はすでに過去の人なのですよ」
『ぐぅぅぅ、やめろ、やめろぉ!』
アルミラリアが手を下している以上、大魔王の復活は阻止できそうにない。
長いこと魔法士として生きてきた俺のカンは、魔族アルミラリアの実力が俺を上回っていると告げている。
しかし魔族の企みの真の狙いは大魔王の復活ではなく、魔王のための魔導書作成であることが明らかとなった。
魔導書を作る際に最も重要な材料が完全な大魔王の魂であることに変わりは無いが、魔導書を作り出すためには魔王本人が魔法を使う必要がある。
魔王による魔導書作成を阻止するためには、魔王本人を拉致するのが最も良いだろう。
『ベル、作戦変更だ。俺は魔王を拉致して撤退する。狂気のマンティスはお前に任せることにする。死ぬなよ』
『グルルルル、マンティスノ相手ハ俺二任セロ』
『それではいくぜ。【精霊魔法】闇の精霊シャドー召喚合体、影人形作成、そして潜影』
即座に決断した俺は【精霊魔法】により闇の精霊シャドーを召喚すると、密かに俺にそっくりな影人形を作り出した。
俺は普段から闇に隠れるため、全身黒色の衣服で統一している。
さらに黒いマントを羽織っており、闇の精霊シャドーにより生み出される影人形はほとんど俺と見分けがつかない。
さらに俺は潜影により影に潜むと、影伝いにアルミラリアを迂回して、アーコレードの後ろに隠れる魔王の足元にたどり着いた。
「ふふふ、これで念願の魔導書AI大魔王が手に入るわ。これさえあれば私は勇者なんか蹴散らしてやるんだから。アーコレードもそう思うでしょ?」
「素晴らしいことです」
「そして勇者を屈服させたあかつきには、私とアーコレードは全ての魔族と人類から祝福される結婚式を挙げるのよ。ああ、なんて素晴らしい人生、栄光を手にした私の隣にはイケメンの王子様、最高ね」
「はい」
返事をするアーコレードの表情は土人形のように微動だにしない。
アーコレードはヨシノ様にお熱だったはずだが、魔族に変身したことで気が変わったのだろうか。
まぁどうでもいいか。
「お盛んな妄想中失礼するぜ」
「きゃあ!いや、セクハラオヤジ!」
俺は魔王だという小娘の影から上半身だけ出現させると、小娘の足首を掴んだ。
セクハラの意味はわからないが、嫌悪されているだろうことは伝わってくる。
「セクハラ?ここは戦場だぜ、お嬢ちゃん。闇の精霊シャドー、潜影」
「いや、いやぁぁぁ、アーコレード、助けて!」
「魔王様!き、消えた!?」
消えたわけではなく、影の世界に魔王を引き摺り込んだだけだ。
さらに俺は固有魔法【隠密】により気配を隠蔽し、精霊殿内の構造物の影を利用して速やかに移動する。
このまま素直に出口を目指してもいいが、それではアルミラリアに待ち伏せされた時に対処できない。
ゼルコバの到着まで時間を稼ぐ必要があるから、精霊殿内を移動し続けていればアルミラリアと言えども俺を捕獲するのは困難だろう。
「放せ!セクハラオヤジ!キモいキモいキモい」
「黙れ、殺すぞ」
「ヒイッ……」
俺が少し殺気を放つと、魔王は静かになった。
こんな小娘の子守りをしなければならないとは、敵ながらアルミラリアには同情するぜ。




