036
チェリーリア王国の王都チェリートピアはその日、魔物の大群による奇襲攻撃を受けていた。
激しい砲撃に晒された城壁はまだ原型を留めていたが、立ち込める瘴気によってバリスタの使用が制限されており、魔物の接近を許してしまっている。
例のアレがさらに城壁に近いところに設置されてしまうと、砲撃によって城壁が崩壊するかもしれない。
防衛にあたっている騎士達が最悪の想像をした時、戦場に儚げな少女の声が凛と響いた。
「私が出ます」
その少女は純白の修道衣を身に纏い、屋根の無い輦輿に乗って戦場に現れた。
担いでいるのは近衛騎士団の騎士達で、通常は王宮の警護を担当している者たちだ。
「ヨシノ様だ!」
「ヨシノ様、ばんざーい!」
皆口々にヨシノを見て喝采を上げる。
ヨシノは王都チェリートピアに鎮座する世界樹の化身で、滅多に人前に出ることは無い。
ただし、王都にいる誰よりも強力な魔法を使うことができ、第八位階という人間には到達不可能な領域に達している。
これで戦況は確実に防衛側の有利になるだろうと、騎士達は安堵した。
ヨシノは輦輿に座したまま、人差し指を天高く突き上げてこう唱えた。
「【雷魔法】遠雷」
その瞬間、王都チェリートピアを攻める魔物に向かって雷が落ち、激しい轟音があたりに響いた。
ヨシノが使う第六位階の固有魔法【雷魔法】による、遠距離攻撃である。
ヨシノの強力な魔法により、魔物達は撃退されることだろう。
皆がそう期待していたその時、悪臭を放つ黒い霧の隙間から、蝙蝠のような羽を生やした男が現れた。
「やはり現れましたねぇ、世界樹の化身よ。貴女の相手はこのワタクシ、モニリニアがいたしましょう」
「邪魔、【雷魔法】放雷」
ヨシノは突如として現れたモニリニアと無駄な会話をせず、即座に雷による魔法攻撃を行った。
しかし雷は、モニリニアが操る水晶のような球体によって吸い込まれてしまう。
水晶は複数個あり、モニリニアの周囲をぐるぐると浮遊している。
「ほうら、お返しですよぉ」
水晶のような球体が光ると、吸い込まれたはずの雷がヨシノに向けて放たれたため、ヨシノはこれを雷で迎撃した。
「くっ、【雷魔法】放雷」
雷同士が激突した瞬間、あたりには雷鳴が轟いた。
人々は激しい雷光に驚き、身をすくめる。
モニリニアはどうやら、魔法を吸収して相手に跳ね返すという魔法を使うらしい。
「ワタクシを倒さなければ貴女の雷は我々に届きませんからねぇ」
そう言うと、モニリニアはふわりと空中に浮かび上がり、再び襲いかかってきた。
あの魔族を倒さなければ、魔物の侵攻は食い止めることができないのだ。
突然の強敵出現に、ヨシノは無表情のまま輦輿に座し、魔族を迎え討つことにした。
自らの敗北がどのような結末につながるか考え、ヨシノは唇を噛み締めたのであった。
ーーー
私の名前はスリーズ・チェリーブロッサム。
【聖炎】の第六位階魔法を操る魔法士だが、先日、フジ山では自身の修行不足を痛感し、今は王都チェリートピアに戻ってきていた。
フジ山での出来事を国王陛下に報告し、自身は近衛騎士の職を辞して、修行の旅に出ようと決意していた。
レッドドラゴンに手も足も出なかったこともあるが、緑の巨人を操っていた魔法士を探し出し、教えを乞う必要があると考えたからだ。
しかしここ数日、チェリートピアはチェリーリア王国建国以来の危機に陥っており、自らも近衛騎士として、魔法士としての責務を果たさなければならない。
チェリートピアの人口はおよそ10万人程度で、常駐する騎士の数は親衛騎士団を含めても5000人程度だ。
その内、約1000人はフジ山に派遣されているため、現在の王都防衛は4000人の騎士達によって支えられている。
フジ山に派遣された騎士には、第七位階魔法士であるマグノリア将軍も含まれており、王都の戦力は十分とは言えない。
石造りの重厚な城壁にぐるりと取り囲まれた王都チェリートピアは、威力の高いバリスタによって魔物の接近を許さず、これまで危機的状況に陥ったことは皆無であった。
なので、城壁から1kmほど離れた小山に謎の筒状の構造物が現れた時、見張りの騎士はそれを見つけてもさほど深刻に捉えてはいなかったという。
しかし私はその話を聞いた時、フジ山での出来事を思い出して、嫌な予感が脳裏によぎった。
調査隊を派遣するべきではないかという話が現場から国王陛下の元に届くまでに、愚かしいことに3日が経過しており、その時にはすでに敵の準備は完了していたのである。
調査隊が出発するその日の早朝、恐れていたことが現実となってしまった。
なんと、1kmもの遠方にある筒状の構造物から金属の球体が発射され、城壁に激突して爆発したのだ。
爆発による負傷者はこの時は出なかったが、周囲には悪臭を放つ黒い霧が噴き出して、数名の騎士がこれを吸い込んで昏倒した。
私がフジ山で見たのと同じ、悪辣な黒い霧である。
それからは10分程度の間隔で次々に金属の球体が発射され、数発は城壁を飛び越えて騎士団の詰所に直撃したものもあった。
さらに悪いことに、魔物の大群が地平線の彼方から続々と現れ、城壁のバリスタが一部使用不可能になってしまったために、魔物の接近を許してしまったのだ。
魔物の大群は昆虫のような形態の魔物により構成されており、蜘蛛やムカデの魔物が城壁をよじ登ってくるようになると、いよいよ国王陛下は緊急事態宣言を出して、市街地を一部区間閉鎖することに決めた。
王都に住む市民達はパニックになり、逃げ遅れた者は戦闘に巻き込まれて重傷を負ったり、死亡者も出るようになった。
私の固有魔法【聖炎】は聖属性の炎を操ることができるため、黒い霧の影響を受けることなく戦闘することができる。
そのため、市街戦では常に最前線で戦い続けていたが、同僚の騎士達が1人、また1人と倒れていく中で、ついに戦場で孤立してしまった。
「(私はここで死ぬわけにはいかんのだ!)」
私は気力を振り絞って蜘蛛型の魔物を斬り伏せると、物陰に隠れて敵をやり過ごすことにした。
すると、同じように退避している人物を発見したため、近寄って声をかけることにした。
「私は近衛騎士団の者です。貴女は逃げ遅れてしまったのですか?」
その人物は、白い修道服を着た少女であった。
修道服は泥や煤に汚れており、軽度の出血も見られた。
「近衛騎士団?あなたはスリーズではないかしら?」
「あなたはヨシノ様ではありませんか!なぜこのようなところに……」
「勇み足で戦闘に参加したものの力及ばず、どうやら私はここで死ぬ運命のようです」
「そんなことをおっしゃらずに、さぁ、私と共に退避しましょう」
私が出会った人物は、王都チェリートピアを守護する世界樹の化身、ヨシノであった。
私は傍流とは言え王家に名を連ねる者なので、彼女とは面識があったのだ。
「私に構わずお逃げなさい。持病の腰痛が悪化して、歩くことができないのです。輦輿を担いでくれていた騎士達も、皆力尽きてしまいました」
「あなた様を置いていくことなどできません。さあ、私の背中に乗って、犠牲となった騎士達のためにも何としても生き延びるのです」
ヨシノは儚げながらも常に凛としたオーラを纏っている人物であったが、今はいつになく弱気であった。
私は励ましの言葉をかけつつも、彼女を背負って歩き出した。
すると、隠れていた路地に立ち塞がるようにして、蝙蝠のような羽を生やした男が現れた。
明らかに尋常の人間ではない。
「おや、こんなところに隠れていたのですねぇ。もはや逃げ場はありませんよぉ」
「む、何者だ!」
「スリーズ、奴は魔族です。決して戦ってはいけません」
「っ!魔族」
魔族とは人語を理解する人種で、邪悪な思想を持った異形の者達のことを指す。
先天的に魔族として生まれた者と、後天的に魔族となった元人間の者がおり、敵がどちらなのかは判別出来なかった。
私は魔族に向かって【聖炎】の火球を放つと、反対方向に向かって駆け出した。
近衛騎士達とヨシノが戦って追い詰められているのだから、自分1人ではとても敵わないだろう。
「おや、これは可愛らしい魔法を使うようですねぇ。お返ししますよぉ」
魔族の周囲には水晶のような球体が複数個浮かんでおり、そのうち一つから【聖炎】の火球が放たれた。
「馬鹿な!」
「奴はこちらの魔法を吸収して撃ち返すことができるのです。私の【雷魔法】も奴にはことごとく通用しませんでした」
私は撃ち返された【聖炎】の火球を同じく【聖炎】の火球で撃ち落とした。
爆風に吹き飛ばされそうになるが、足に【強化】を使ってなんとか踏ん張る。
隙を見て逃げようと考えるが、奴に背を向けて走り出したところですぐに追いつかれてしまうことだろう。
「スリーズ、今までありがとう。もう私はここまででいいから、降ろしてちょうだい」
「ヨシノ様!諦めてはいけません!」
「おやぁ、死を目前にしてずいぶんと健気なものだぁ。どうやら覚悟を決めたようですねぇ」
「はい、覚悟を決めました。そのために死装束を身につけて来たのですから、これが私にとっての運命なのでしょう」
ヨシノはそう呟くと、膨大な魔力を体内で練り始めた。
何らかの魔法を使うつもりなのだろうが、魔族の操る水晶に吸収されてしまうのではないだろうか。
「ヨシノ様、一体どうされるおつもりですか?」
「第八位階魔法【神化】を使います。ここ数百年、第八位階魔法【神化】が使われたことはありませんから、スリーズはこれを見るのは初めてでしょうね」
第八位階魔法、それは人間では到達不可能とされる第八位階に到達した者のみが許された、究極の魔法とされている。
その効果は秘匿されており、王家の傍流である私も知ることはなかった。
「うふふ〜、これは良い。第八位階魔法【神化】を使うつもりのようですねぇ。それではワタクシはあなたが神になって天に召されるのを確認したら、速やかに撤退するとしましょうねぇ」
そう言うと、魔族はニヤニヤと笑みを浮かべながら、ヨシノの魔法が発動するのを待ち始めた。
【神化】とは一体どのような効果なのか、おそらくとてつもなく強力な魔法に違いないが、なぜ魔族が攻撃をしてこないのか不思議だ。
「第八位階魔法【神化】は、その名の通り神となる魔法です。これを使えば私は一時的に神に等しい権能を得ることができますが、代償として天に旅立つことになります」
「天に旅立つとは、死んでしまうということでしょうか!?」
「そうではありませんよ。フォレスティナ様のいらっしゃる天界へ行くだけです。もっとも、二度とこの世界に帰ってくることは叶いませんが」
なんと、第八位階魔法【神化】は、その名の通り神となり一時的に凄まじい力を使えるようになる魔法のようだ。
しかしその代償として、ヨシノは天界に旅立ってしまうため、二度と帰ってくることは出来ないと言う。
「(【神化】を使ってしまえば、私はヨシノ様と二度とお話しすることが出来なくなってしまうのだ!)」
胸を杭が貫くような悲しみが、私を苛んだ。
「そう悲しそうな顔をしないで。もう二度と会えないかも知れませんが、死ぬわけではないのです。天界からあなた方の幸福を見守っていますよ」
「そんな!ヨシノ様!」
ヨシノは魔力を練り続け、ついにその身体が燐光を纏い始めた。
いつでも第八位階魔法【神化】を発動できるように、準備が整ったようである。
「ところであなた、モニリニアと言ったかしら。私を追い詰めれば第八位階魔法を使うことを予想していたような口ぶりですね」
「ほほぅ、これはご明察。なんと我々の今回の目的こそ、世界樹の化身が現世より退場することなのです。ワタクシはいつでもこの場から安全に撤退することが出来ますから、どうぞ存分に神としての権能を発揮していただきましょう」
なんと魔族モニリニアの狙いは、【神化】の発動によるヨシノの排除であったのだ。
しかし【神化】を使わなければ、いずれにしても2人ともこの場でモニリニアに殺されてしまうことだろう。
まんまと敵の狙い通り、悲劇的な選択を取らざるを得ない状況に追い詰められてしまったのである。
「ふぅん、そうなのですね。ずいぶんと魔族は用意周到なようです。正直に言って、今回の戦いは私たちの完敗でした」
「そうでしょうとも!ワタクシの完璧な計画により、勝利は約束されていたのですよぉ」
「ところでそのお羽はずいぶんと艶やかに輝いているように見えるけれど、どんなお手入れをされているのかしら。天界の土産話に、一つ教えてくださらないかしら?」
「ほほぅ、この羽の素晴らしさがわかるとは、貴女が敵でなければ何時間でも語って聞かせたいところですねぇ」
「へぇ、興味があるからぜひ教えていただきたいわ」
「……」
ヨシノはいつでも【神化】できるように魔力を練りつつも、あからさまな時間稼ぎを始めたようだった。
私は苦し紛れとも言えるヨシノの言動にたくましさを感じたが、口を挟まずに黙っていることにした。
「まず、この羽は毎晩寝る前に椿油を丹念に塗りこんで、保湿することが大事なのですよぉ。乾燥は大敵と言えますねぇ」
「やっぱりそうなのですね!私も冬は髪が乾燥で痛んでしまうので、いつも困っていたのです」
魔族モニリニアは調子に乗って羽の手入れについて語り始めた。
我々のことなどいつでも殺せると思って油断しているのだろう。
しかし、くだらないおしゃべりで時間を稼いだところで、奴を倒すことができる援軍が来る見込みもない。
状況はやはり、絶望的である。
と、その時であった。
「キュウ!」
路地に飛び込んできた丸い物体があった。
その物体は百合の球根を巨大にしたような形状をしており、手足が生えている。
なんとも言えない珍妙な生物であった。
可愛らしくもある。
「ん?なんですかぁ、お前。目障りなので殺してしまいましょうねぇ」
魔族モニリニアはその謎の生物を不快に思ったのか、水晶を動かして球根に激突させた。
ドガン!
と凄まじい衝撃が路面を砕くが、謎の球根は盾のように形状を変化させて、水晶による攻撃を受け止めていた。
パリン!
「なっ!ななななななぁ〜!ワタクシの魔水晶が砕けたですってぇ!?」
球根に激突した水晶にはヒビが入り、そのまま真っ二つに割れてしまった。
相当な強度があったはずだが、あの球根はそれ以上の強度を持っていたということだ。
「間に合ってよかった。スリーズ、フォレスティナ様のご加護に感謝しましょう」
「これは一体?」
ヨシノは安堵の表情を浮かべて、私にそう言った。
まさかこの球根がフォレスティナ様の遣わした伝説の生物なのだろうか。
「あのー、すみませーん。攻撃して来たってことは、あなたは敵ということでよろしいですか?」
私が状況を把握できず戸惑っていると、この殺伐とした場所に全くそぐわない、のんびりした少年の声が響いた。
その声は、私がレッドドラゴンに殺されそうになったあの時に、緑の巨人から聞こえて来た声と全く同じものであった。
形勢逆転の瞬間は、穏やかな少年の登場とともに訪れたのであった。




