023
重傷を負ったツキは礼拝堂に逃げ込んでくると、勇者に助けを呼ぶように言って意識を失ってしまった。
修道女達はケヤキ材で作られた重厚な扉を閉めて、かんぬきで扉が開かないようにしっかりと施錠した。
扉を開けた際に、外から黒い煙のようなものがわずかに室内に入り込んできた。
黒い煙は何らかの生物が腐ったような悪臭を伴っており、二人の修道女がこれを吸い込んでしまったために咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「この煙は一体……?」
礼拝堂の周囲には謎の黒い煙が漂っているようで、外に助けを呼びに行くにもこの煙を突破するより他ない。
悪臭を伴う煙の中を進みアジュガローマに辿り着くのは、かなり困難であるように思われた。
「それよりツキ様の容体が心配です。汚染された服を脱がせて、新しい服に取り替えましょう」
協力してツキを礼拝堂の奥に移動させると、修道女達はツキの服を脱がせてケガの状態を確認することにした。
ツキの身体は世界樹の魔法によって作り出されたもので、身体の構造は人間と全く変わりない。
服を脱がせたツキの身体を水で絞った清潔な布で拭いてやると、いくらかマシになった。
全身に火傷が見られ、痛々しく出血しているところもある。
真っ白だった布は黒い煙を拭うと黒く汚れて、桶に溜めた水も汚水のように黒くなった。
「こんな時に聖なる水差しが使えればよかったのですが、今は誰も使えるものがいないのが残念です」
修道女長のアルバが残念そうにそう呟いた。
「聖なる水差しとは一体何でしょうか?」
キエノは気になって、アルバに質問した。
アルバは無言で礼拝堂の奥に向かうと、フォレスティナ木像にお供えされていた水差しを手にとって戻ってきた。
「これは聖なる水差しという、とても貴重なアーティファクトです。【性質変化】により聖なる力を帯びた魔力を流してやると、水差しの中に聖水が生ずるとされています。しかし、いまこの場にいる修道女は皆魔力が【極めて少ない】ため、必要な量の聖水を生み出すことが出来ないのです」
大多数の人間は魔力容量の鑑定を受けると、魔力が【極めて少ない】という結果となる。
魔力容量が【極めて多い】というのは、かなり希少な才能と言える。
「あっ、そういえば私、以前に鑑定士の方に魔力を測定してもらったところ、魔力容量が【極めて多い】という結果が出たことがありますわ。もしよければ試してみても良いでしょうか?」
「もちろんです。聖水があればツキ様の火傷もかなり良くなるので、とても助かります。この聖なる水差しを持って、神に祈りを捧げるように魔力を流してください」
キエノはアルバから水差しを受け取ると、跪いて祈りを始めた。
精神を集中させ、体の奥底に溜まっている魔力を水差しに流していく。
すると、水差しにはいつのまにか並々と水が溜まっており、キエノは手に重さを感じた。
「キエノ様は聖女様だったのですね。フォレスティナ様のお導きに感謝いたします」
「キエノすごいや!」
「これでツキ様も助かることでしょう」
さっそく桶の中の黒い水を捨てて、聖なる水差しから聖水を注ぐ。
黒く汚れた布も、聖水で洗うと元の白さを取り戻した。
さっそく、聖水に浸した布でツキの身体を拭いてみると、黒く汚染された部分が元の肌の色を取り戻し、火傷もみるみるうちに治癒していく。
「わぁ!聖水の効果はとても高いのですね」
キエノが嬉しそうに言った。
「素晴らしい効果ですね。聖水をツキ様に飲ませてあげましょう。これでしばらくすれば意識を取り戻すかもしれません」
キエノは新たに聖水を生み出すと、コップに聖水を注いでツキに飲ませてやる。
するとツキは穏やかな寝息を立て始めた。
ツキの容体は落ち着いたようであった。
スタンドグラスから差し込んでいた西陽はいつしか沈み、礼拝堂は次第に暗くなっていった。
夜が訪れようとしている。
と、その時であった。
ドォン!
大きな激突音が礼拝堂の扉から聞こえた。
「ヒィ!」
「キャァァ!」
修道女達はあまりの恐ろしさに悲鳴をあげる。
「ブヒィ、ブヒィィィィ!」
例のオークがまだ近くにいたのである。
獲物の匂いを感じ取ったのか、オークは礼拝堂に興味を示しているようだ。
「みんな落ち着いて、あの扉はケヤキで作られた頑丈なものなので、破壊することはできないでしょう」
それから、二度三度と礼拝堂の扉に体当たりをしていたオークであったが、諦めたのか、しばらくするとどこかに行ってしまった。
「私がアジュガローマまで行って助けを呼んでくるよ」
キエノの隣にいたトネリが、決意を決めたようにそう言った。
「しかし、黒い煙の中を進んでアジュガローマを目指すのは危険です。そろそろ日没も近いし、ここで夜を明かして、明日の朝に助けを呼びにいきましょう」
「私なら月のない晩でもアジュガローマまで駆けていくことができます。それに黒い煙も、キエノが聖水を作ってくれたから大丈夫。聖水で濡らした布で顔を覆って行けば、黒い煙もなんとかなると思う!」
いつまたオークが襲ってくるかわからない、それを考えると助けを呼びにいくのは早い方が良い。
「トネリ、貴女につらい仕事を押し付けてしまって申し訳ありません。必ず無事に帰ってくるのですよ」
「トネリ、お気をつけて。このハンカチを持っていってください。リョーマイケル伯爵家の刺繍が入っているから、きっと役に立つと思います。私の兄、ゼルコバに助けを求めてください。ゼルお兄様こそが、ツキ様のおっしゃる勇者様なのです」
「うん、任せて!足が速いのだけが私の取り柄だから、頑張るよ!」
そういうとトネリは、礼拝堂の裏口の扉をそっと開けて、周囲を確認してから駆け出していった。
聖水で濡らしたハンカチを口に当て、トネリは大急ぎでアジュガローマに向かって駆けていったのであった。
ーーー
ゼルコバは得体の知れない焦燥感を感じていた。
昨日、アジュガローマの陥落を阻止し、アークジェネラルを撃破することができた。
これは大変大きな戦果であり、勝利の立役者としてゼルコバ・リョーマイケルの名はアジュガローマの街に轟いた。
街に戻ってデーツ達10人の騎士達と合流する頃にはすでに日が傾いており、モンテ・アジュガに向かうのは翌日のこととなった。
「オークロードがモンテ・アジュガに向かったとすると、世界樹が狙われているに違いない。もし世界樹が枯れてしまったらどうしよう」
「焦るな坊主、もう日没だし、今は体を休めることに集中しろ。今日はオークジェネラルとの戦闘もあったことだし、思った以上に体力を消耗しているかも知れないぜ」
「そうですね。世界樹の無事を祈って、今日はゆっくりと休みたいと思います」
オーク軍団は統制を失い、熱心に攻撃を続けているのは殺意の高いオークのみとなった。
殺意の高いオークは魔木に薙ぎ払われて、いずれも満身創痍だ。
普通のオークはぼうっと立ち尽くしたり、鼻を地面に突っ込んで何かを食べたりと、すでに戦意は失われつつある。
元々、オークはそれほど好戦的な魔物ではなく、森の中で食糧を探しているか、寝ているかがほとんどだ。
たまたま人間の血の味を知ったオークは殺意を高めて積極的に人間を襲うが、普通のオークはわざわざ危険をおかしてまで人里に降りてくることは稀である。
「お休みのところ失礼します!モンテ・アジュガより、救援要請です!オークの襲撃を受けており、謎の黒い煙によって孤立しているとのことです!」
夜中、ゼルコバが騎士宿舎の一室で休んでいると、伝令の騎士がモンテ・アジュガから救援要請が来たことを伝えた。
「すぐにいくよ」
ゼルコバは自らを叩き起こして、身支度を整えると部屋を出た。
「やれやれ、体を休めるどころじゃなくなっちまったな」
隣室に居たサイプレスも、ぶつぶつ言いながら外に出てきた。
ゼルコバとサイプレスは、騎士に案内されて宿舎の一室に案内された。
ゼルコバ達が部屋に入ると、そこには一人の修道女が座っており、温かい飲み物でカチカチの乾パンふやかしながら食べているところだった。
机の上にはハンカチが広げてあり、リョーマイケル伯爵家の刺繍がほどこされていることがわかる。
若い修道女が一息つくのを待ってから、ゼルコバは事態を確認するために質問することにした。
「お待たせしました、僕はゼルコバ・リョーマイケルです。おや、このハンカチはうちの物のようですが、どうしてこれを貴女が?」
「あっ、ゼルコバ様!私は修道女のトネリです。このハンカチはキエノから預かってきました。実は……」
トネリからこれまでの経緯を聞いたゼルコバは、すぐにモンテ・アジュガに救援に向かうことに決めた。
夜は僕の魔力が回復しないため、間違いなく厳しい戦いになるだろう。
しかし妹キエノの命がかかっているとなれば、僕は覚悟を決めるしかなかったのであった。




