022
キエノが意識を取り戻すと、そこは静謐な雰囲気に包まれた教会であった。
ツキが心配そうに、床に寝そべるキエノの様子をうかがっている。
「おお、よかった、目が覚めたのじゃな」
「ここは一体……」
キエノが体を起こすとステンドグラスを背にして、フォレスティナ木像が祀られており、数人の女性が跪いて祈りを捧げていた。
「ここはモンテ・アジュガの礼拝堂じゃ。なにか世界樹や修道女たちの身に危機的な状況が起きた時に、わしはこの場所に強制召喚されることになっておる。キエノは強制召喚に巻き込まれてしまったのじゃろうと思う。巻き込んでしまってすまんかった」
ツキはそう言って、キエノに頭を下げた。
キエノはつい先程までリョーマイケル伯爵家の庭でティータイムを楽しんでいたはずだったのだが、よろけたツキを支えようとして転んでしまったことを思い出す。
そしてツキの身体が発光し始めたところ、いつのまにか礼拝堂に来ていたのだ。
モンテ・アジュガは城塞都市リョーマから、馬車でニ日と徒歩で一日の距離にある。
強制召喚とは、一瞬にして遥か遠くまで移動できる魔法なのだろうと考えられた。
その時、一人の高齢な修道女が、慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「ツキ様!ああ、お待ちしておりました。おや、そちらのお嬢様は一体どなたでしょうか?」
「アルバ、無事じゃったか。こちらはわしの友人のキエノ。リョーマイケル伯爵家のご令嬢じゃ」
「キエノ・リョーマイケルと申します。フォレスティナ様のお導きにより、ツキ様と共にこちらに召喚されました」
「キエノはわしの強制召喚に巻き込まれて、連れてきてしまったのだ。キエノよ、そなたはわしが責任を持って無事に家まで帰すようにするので、しばしこのアルバを頼ってここにおるのじゃ」
「アルバ様、どうぞよろしくおねがいします」
「ツキ様のご友人とあれば歓迎いたします、キエノ様」
アルバは痩せ型の老女で、高齢だが背筋はしゃんと伸びていた。
真面目そうな女性である。
頭部は緑色のベールで覆われており、黒い修道服を纏っている。
「それでツキ様、オークが現れて世界樹の近くで何かしているようなのです。私達は恐ろしくて、全員礼拝堂に避難しております」
アルバは怯えた様子で、ツキにオークが現れたことを報告した。
「オークが現れたじゃと?どれ、わしが追い払ってこよう。皆はここで待っているといい、礼拝堂はフォレスティナ様の加護により守護られているので、安全だろう」
そういうと、ツキはコツコツと杖をつきながら、外に出て行ってしまった。
礼拝堂にはステンドグラス以外の窓はなく、石造りの壁で建造されているために、外の様子を知ることはできない。
「キエノ様、どうぞこちらへ。もしよければ共にフォレスティナ様に祈りを捧げませんか?」
「はい、そのようにさせていただきたいと思います」
キエノは普段、教会に行くことはほとんどない。
伯爵家では勉強をしたり、礼儀作法を習ったり、楽器の練習をして日々を過ごしている。
食事の前には神に祈りを捧げているが、食べる前の挨拶みたいなものなので、それほど集中して祈りを捧げるわけではない。
「皆さん紹介します、リョーマイケル伯爵家のキエノ様です。フォレスティナ様のお導きにより、ツキ様と共にモンテ・アジュガに来られました。キエノ様は皆さんと一緒に祈りを捧げてくれますので、仲間として迎え入れてあげてください。キエノ様はこちらの椅子にお座りください」
「あ、ありがとうございます。でも、私も跪いて祈りを捧げるべきではないでしょうか?」
他の修道女が跪いて祈りを捧げているのに、自分だけ椅子に座るのを恥ずかしく思ったキエノは、自分も跪いて祈りを捧げたいと思った。
「あはは、跪いてお祈りすると膝が痛くなっちゃうんだよ。試してみる?」
「ええ、ぜひとも挑戦させてください」
「お嬢様、根性あるね!私はトネリ、よろしくね、キエノ」
「はっ、はい!よろしくおねがいします」
トネリは活発そうな少女で、キエノより少し年上のように見えた。
普段自分の周りにいるのは大人達ばかりなので、同年代の女の子と接する機会はあまりなく、キエノは少しドキドキしていた。
キエノは皆と同じように跪いて祈りを捧げる。
言われたように膝が痛くなってきたが、祈りに集中していると、不思議と心が落ち着いてきた。
膝の痛みはいつしか気にならなくなり、ツキの無事を祈るキエノであった。
キエノは魔力が高まる感覚を、この時初めて感じたのだった。
ーーー
「おいそこのオークよ、こんなところで何をしている。ここは神域だぞ、一刻も早く立ち去るが良い」
「ブヒッ!?」
ツキが、本体である世界樹に向かって歩いていると、ゴソゴソと地面に何かを埋め込んでいるオークを発見した。
コイツだなと確信したツキは、全く警戒もせずに距離をつめる。
「ブヒ!これ以上近づくでないぞ、小娘。痛い目に遭っても知らんぞ!」
「ほう、流暢に喋ることよ。第六位階程度の魔法は使えるのだろうな?」
ツキは相手が上位のオークであることを見抜きつつも、余裕の表情を崩さなかった。
「わしは世界樹の化身よ。そこなオーク、今なら見逃してやるからさっさと立ち去るが良い」
「ブー、世界樹の化身とは、見た目によらずババァだったブヒか」
「レディに向かってババァとはなんじゃ。今まで見逃されていたのは全くお主が幸運だったからよ。今からはそうはいかん。不審な行動を見せれば、わしの根っこでそなたの心臓を貫いてくれよう」
ツキは今まで、世界樹の自動反撃モードを解除していた。
普段であればそうそう危ないことなどないし、うっかり何かの拍子に修道女を攻撃してしまうと大変なことになるので、必ず問題が発生した場合にはツキが確認してから対処するようにしていた。
なので、不審なオークが世界樹の根元に何かを埋め込んでいたとしても、それだけをもって世界樹がオークを攻撃することはなかったのである。
「ブヒブヒ、我が名はブマタンゴ、偉大なるオークロードにして、第六位階魔法の使い手である、ブヒ。我は世界樹に挑戦を挑む、ブヒ!」
不審なオークは怯みもせずに、無謀にもツキに挑戦を挑んできた。
はっきり言って、ツキとしては今この瞬間にも、ブマタンゴというオークを世界樹の根で串刺しにすることが可能であった。
しかしそうしなかったのは、串刺しにされたオークが大量の血をぶちまけながらこの場で絶命するだろうということと、自らの足が不自由なためにその片づけを修道女達にやらせることになるだろうという申し訳なさからだった。
なので、ツキはその挑戦を受けることにした。
「なるほど、その挑戦受けて立つ。今からそなたの最も自信のある魔法で世界樹を攻撃してみせよ。わしがダメージを受けたらそなたの勝ち、わしが無傷であればわしの勝ち、それでどうか?」
「ブヒッ!構わないが、俺が勝ったら世界樹を伐り倒す、ブヒ」
「好きにするが良い。わしが勝ったらそなたは大人しく立ち去れよ」
「ブヒブヒッ!乗った!では尋常に勝負」
ブマタンゴは魔力を練り、自らが繰り出すことのできる最強の魔法で世界樹を攻撃した。
「第六位階魔法【黴魔法】、ブヒ!全てをカビ尽くせ、腐敗の吐息!」
ブマタンゴは練り上げた魔力を肺に込めて、大きく息を吐き出した。
腐敗の吐息はアジュガローマの城壁を脆弱なものにした凶悪な魔法で、生物が触れれば皮膚が爛れるか肺が腐り落ちるかして絶命するだろう。
それほど強力なはずの第六位階魔法が発動されたにも関わらず、ツキは涼しい顔をしていた。
「ブゥー!なぜ平気な顔をしている、ブヒ!痩せ我慢しているに違いない、ブヒ!」
「うーむ、無知とは罪じゃのう。世界樹というのはな、第八位階に到達した魔木のことを指す名称なのじゃ。だもんで、第六位階程度のお主の魔法によってわしがダメージを受けるということはあり得ないのじゃ」
第八位階、それは神に近しい領域であるとされる。
人類最高峰は第七位階で、これはチェリーリア王国でもわずかな数しか存在しない。
さらにその第七位階までで消費した総使用魔力量の十倍を消費し、何らかの条件を満たさなければ第八位階には到達できない。
現在、樹齢1000年を超える魔木が数本、第八位階に到達して世界樹と呼ばれているが、それ以外の種族で第八位階に到達したものは、現時点では確認されていない。
「ブビィィィィィ!第八位階ぃ!?そんなの反則ブヒ!」
「これが現実よ。身の程を知ったのならば立ち去るが良い」
ツキはあまりにも優しすぎた。
不審なオークなどさっさと殺してしまえばよかったのに、なぜかそうしなかった。
歳をとったからなのか、足が悪かったせいなのか、いつも優しくしてくれる修道女達に気を使ったのか。
その優しさが命取りになるとは、この時のツキは考えてもいなかった。
「ブヒィィィィ!悔しい!悔しい悔しい!できれば実力で世界樹を破壊したかったが、どうにもならない、ブヒ!仕方ないが、魔王様が開発した最新兵器の威力を見るがいい!スファエロテカ様のご加護を!」
オークロードのブマタンゴは、先ほど交わしたツキとの約束をあっさり反故にして、右手に隠し持っていたスイッチを押し込んだ。
するとその瞬間、地面に埋められていた謎の物体から、妙に可愛らしい音声が鳴り響いた。
「魔王様謹製、瘴気爆弾を起動するよ!瘴気を受けたお友達は、みんな正気を保てなくなるんだ!なんつって〜、えへへ。ナレーションは魔王様の忠実なるアシスタント、汚泥神スファエロテカでした!バイバーイ」
「なっ!」
その瞬間、オークロードのブマタンゴもろとも、地面に埋め込まれた瘴気爆弾が炸裂して、ツキを吹き飛ばした。
ツキは瘴気の爆風により重度の火傷を負い、全身の皮膚には瘴気が染み込んでどす黒く変色していた。
ツキは朦朧とする意識の中で礼拝堂に逃げ込み、最後の気力を振り絞って修道女達にこう伝えた。
「……勇者殿に、助けを……」
ツキはそのまま意識を失い、モンテ・アジュガの修道女達は瘴気漂う中、孤立してしまったのであった。




