時戻しのきっかけ
「いらっしゃい。」
「至ですよ、先代。」
「本当に連れてきたんだね、一粒さん。」
ものすごい緊張感で足を踏み入れた割に、時間屋は相変わらずとても静かで、特に何事も起こる様子はない。
(思ってたより、怖かったのかも…?)
心よりも身体の反応の方が正直だった。
気がつけば微かに膝が震えていた。
ふうと息を吐いて、足をしっかり踏みしめて震えを止める。
急に立ち止まったからか、時量さんが手を繋いだまま、振り返って私を観察している。
先代は時量さんにとても似ているが、デフォルトの表情が、常に悟りの向こう側みたいな顔した時量さんとは違って、もう少し愛想の良さそうな感じだ。
ニコニコと奥のテーブル越しに私を見ている。
怖いもの見たさで大砂時計も横目で確認するが、こないだのような異様な誘引力も、金属が震えている様子もない。
繋いでいた手をそっと離して、大砂時計に近づいた時量さんが「やはりもう動かないようですね」と呟いている。
「先代とも話し合ったのですが…」
と、今回の時戻しの時間屋としての見解を話してくれた。
はっきりした原因が分かったわけではないが、
おそらく私の何かが、時間の流れの中の"時の異物"と判断され、大砂時計に誘引されて、強制的に時戻しが起こったのだろうと。
「そう判断すると、一粒さんの不運を引き寄せる性質や、御神木もなんとなく繋がるんです。」
考えるポーズで推測を語る時量さんは、どこかの探偵のようだ。
「御神木って、うちのですか?」
時量さんは私の問いに同意するように頷いて、話を続ける。
「清太郎さんに教えてもらったのですが、あのムクロジは樹齢三百年を超えるそうです。清太郎さんをはじめ、代々久谷家の方々が大切に守ってきたこの御神木が、時軸が一粒さんを"異物"として取り除こうとする働きかけから守っていたと思えば、話が繋がります。」
「あの御神木が、本当に守ってたってこと?」
「少なくとも清太郎さんは、本当にそう思っていたそうです。」
お母さんやおじいちゃんが、私に何かトラブルに遭うたびに、御神木にお礼を言うのを、どこか他人事のように眺めていたのに、まさかそんなことって。
「一粒さんの御神木になってもらうよう願った日から、一粒さんに何かトラブルがあると、風もないのに大枝が折れたり、抉り取られたような傷ができていたそうです。おそらく大きな力の大半を肩代わりして、依代のようなことをしていたのではないでしょうか?」
(…あー、…そういう…、)
どこか腑に落ちたような心地だった。
異物、か。
そして取り除かれようとしていた。
取り除いて、正しい形に戻そうと。
ずっと、自分だけ、おかしいなぁとは思っていた。
でもどこか認めたくもなかった。
そんなに躍起になって正さなくてもさー。
私なんて世界から見たら砂粒の一粒みたいなもんじゃん。
そのくらいちっぽけなもの見逃してくれたってさ。
ちっぽけな一粒でも精一杯生きてるのにな。
「そして今回落雷により、御神木が大きな損傷を受けて、守る力と正そうとする力の均衡が崩れて、一粒さんを時間屋の大砂時計に近づけたのではと。」
脳裏にフラッシュバックする記憶。
朝起きて窓から見えた、幼い頃から一緒に育った大木の無惨な姿
巻き込むなよ。という塩川のうんざりした顔
運転席からでてくる狼狽したサラリーマン
『久谷と同じクラス?また遠足中止になるよ!最悪!』
疫病神〜
(そっか、ほんとに私のせいだったのか。)
「…やっぱり、私のせいだったんですね。」
「いいえ、そうとも言えなくて。」
これ以上逃げ道を探し回るより、さっさと認めて謝ってしまった方が楽だろうと、先手を打とうと口を開いたが、即座に否定される。
「きっかけは一粒さんかもしれませんが、不思議なことにあなたの時は戻っていない。戻ったのはむしろ時間屋内の時間だけ。そして、今もう一度大砂時計に近づいても何も起こらない。」
「??」
「もう今の形で正されたということですよ。お嬢さん、あなたは変わっていない。あなた自身は何も間違っていない。」
先代のおじいちゃんが、理解に戸惑う戸惑う私に言い方を変えて説明してくれるが、まだ腑に落ちない。
「正されたのは、一粒さんと時間屋自体の時間軸のズレということなのでしょうか?」
「私と時間屋の?」
時量さんは、置いてけぼりの私を放置して、マイペースに推理を進める。
「私が、手が空いている時に、まずは一粒さんの産まれた時の時間にあたる十六年前付近の時戻しに何か関係がないか、記録を調べてみます。先代、問題ないですね?」
「ええ、長居しないのであれば。」
以前は、先代に追い出されたと言っていたけれど、二人の間に何か交渉があったのか、時量さんは今後も時間屋に入れるようだ。
「時量さん」
先代と今後の話をしている時量さんに、話が途切れたタイミングで声をかける。
「ごめんなさい。」
本当は謝罪の言葉に合わせて下げた頭をそのままにして、顔を見ずに話したかったけど、それ以上に時量さんの気持ちが知りたかった。
「それでも、やっぱり私が巻き込んじゃったっぽいですね。謝って済むことじゃないんですけど、ごめんなさい。」
「…一粒さん」
ある日唐突に、望んだわけでもないのに、年齢や姿や暮らしを変えさせられた時量さん。私のせいで。
(私、浮かれたり拗ねたりしていい立場じゃなかった…ごめんなさい。)
口を閉じて、繰り返しても仕方のない、謝罪の言葉を飲み込む。
「私は、今の生活がとても楽しいです。」
励ましたり、元気づけたりとかいうよりは、課題の本の感想のように、時量さんは淡々と話しだす。
「…ほんとうに?辛いこと、ないですか?」
時量さんは、首を振ったあと、ふと視線を窓に向ける。
「私は、いつも、ここの小さな窓から、草木を眺めていました。」
時間屋の、格子が掛かった唯一の小さな窓からは、背の低いサクラの木の枝が僅かに見える。
「ここから見えるだけでも、あの木は、季節が巡るごとに新しい葉が芽吹き、葉を茂らせ、色を変え、花を咲かせ、実をつけ、また終わって、はじまって、翌年も、同じようで、少し変わる…。」
小さな薄暗い部屋で
小さく切り取られた、四角い世界を
夢中で眺める、灰色の髪の少年が
そこに居た気がした。
「何冊も何冊も、無節操に色んな本を読んでいたのも、少しでも覗き見たかったのかもしれません。…ここ以外の世界を。」
時量さんは、そこまで言って口を閉じた。
そして、一度先代の方に身体を向けると頭を下げた。
先代は笑顔のまま、ただ小さく首を振った。
私は今の気持ちを、表現する言葉を知らなかった。
ただ、今自分が泣くのは許せなくて、うつむいて滲む涙がこぼれないように食いしばっていた。
「私は、一粒さんから見て世間慣れしましたか?」
唐突な質問に、思わず俯いていた顔をあげるけれど、言葉はなかなか出てこない。
前にそんな話をしたかもしれない。
「…うーん、少なくとも、久谷家慣れはしたと思います。」
「そうですか。少しは久谷家の皆さんや、少なからずそれ以外の方とも関わるようになって、以前よりは、人の心情というものが、なんとなく分かるようにはなったと思うのですが…」
言葉に迷うように話す時量さんの話の流れが分からず、首を傾げつつも続きを聞く。
「清太郎さんと清司さんは、あなたを車に乗せることが、とても嬉しそうですよ。
家族で外食や旅行に行かないことも、恵理さんは外に出なくていい理由を考えなくていいから超楽、と。
大地さんは、まぁ少しよく分かりませんが、俺の妹はハードなラブコメヒロインだからなと、言っていましたから、そうなのでしょう。」
「お兄ちゃんは阿保だから。」
「一粒さんのご家族は、みんな、あなたを心配こそすれ、疎んだりなどしていませんよ。」
「あはは。…私も、ちゃんと、知ってますよ。」
そんなのは、ずっと知ってた。
知ってるから、大好きで、ちょっと苦しい。
「助けてもらっていいんですよ。起こってしまうことも、あなたに責任はない。」
私は、結局その後耐えられなくなって、少しの間グズグズと泣いてしまった。
落ち着くまで時量さんも先代も静かに待っててくれた。
時量さんと時間屋を出る時に、先代がポツリと言った。
「よかったよかった」と。
誰に向けたのか、独り言なのか、分からない一言を呟いていた。




