待ちぼうけ
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
大きな日よけ帽をかぶって作業服を纏い、中庭で雑草を抜いていた時量さんが挨拶を返してくれる。
おじいちゃんの仕事の手伝いにもすっかり慣れてきたようだ。
時量さんがうちに来てからすでに半月が経とうとしていた。
うちに来てすぐの頃、時量さんは外に仕事を探しに行こうとしていた。
「ショクアン?あー!職安ね!ハローワークのことか!」
自室から階段を降りようとして、一階の廊下で雑談しているらしい時量さんとお兄ちゃんの声がして、つい反射的にしゃがんで耳を澄ます。
「で、なんでハロワ?砂時計作るんじゃないの?」
「お店が、ないので。」
「ネット販売でもいけないの?至はネット音痴っぽいからな!俺やってやろうか?」
「さすがに普通の砂時計だけを売って、生計を立てるのは難しいかなと。」
「まぁ確かにそうだなー!材料とかもないしな!店で売ってたのはよっぽど高級なやつなのか?」
「まぁそうですね。なので他の仕事を探そうかなと。いつまでも久谷さんちにお世話になるわけにもいきませんし、住み込みの仕事を探したくて。」
「住み込みねー、住み込み。今時住み込みなんて、それこそ田舎の農家とかじゃないのか?」
「いいですね。なのでハローワーク?ですか?その場所ご存知なら教えてもらえませんか?」
「うんうん。…嫌だ!!」
「…は?」
「断る!至が住み込みで農家とか、そのまま婿不足のちょっと性格に難ありの農家の娘と強制的に結婚させられる未来しか見えん!」
「なんですかそれ。」
「とりあえず俺も大学の求人で何か良さそうなの見つけたら教えるからさ!」
「そうよー、至くん、なんかイケメンなのに世間知らずで危なっかしいし、もう少しゆっくり決めなさいよ〜」
「そうだね、至くん、まだ若いんだからゆっくり決めなさい。ここの細工動かないんだけどどう思う?」
どうやらそのままお父さんの持ってきた骨董品の修理をはじめたらしく、会話が止んで、かちゃかちゃと小さな金属音と、ボソボソと小さい声の会話になって、リビングの外だと聞こえない。
お父さんは初日こそ年若い男性の居候に難色を示していたが、
仕事で鑑定を任された骨董品のオルゴールが動かないことに困り果てていたところに、時量さんがいとも簡単に破損部を見つけて修理してからというもの、あっという間に態度が軟化した。
私はありもしない頭痛を感じ、階段に座ったまま指先でこめかみを揉む。
お兄ちゃんの馬鹿会話はさておき、うちの家族は、なぜかたった数日で、全員時量さんを大変気に入った。
なんとかしてみんなで時量さんを家に居させようとしている。
そのせいか、もはや日中学校で家に居られない私より、家族の方が時量さんと交流している気がする。解せない。
「あーもー!」
「びびったぁ。どしたの?」
前に座っていた玲奈ちゃんが私の突然の大声に驚いた様子で声をかけてくれた。
学校についてからも、この数日の時量さんと家族の親交の深まり具合にヤキモキしていた。
(私が最初に見つけたのに。)
そんなまるで幼子のようないじけ方を見せたくなくて、家ではどんどん他の家族と仲良くなる時量さんを、文字通り、夕飯の時も箸を咥えて眺めている。
私は日中学校があるし、時量さんも、最近はおじいちゃんの造園の仕事に連れられて、朝から晩まで家に居ない。
唯一の交流である夜ごはんは家族が次から次へと時量さんに話しかけるし、夜は時量さんは早寝なのかさっさと客室に引き上げてしまう。
やっとのことで土日になれば、なぜかお兄ちゃんやおじいちゃんに連れ回されてこれまた家に居ない。
時量さんは私の側にいるためにうちに居候しているのではなかったのか?
「お兄ちゃんの阿保、おじいちゃんの鈍感。」
「思春期的なあれか。一粒ちゃん家族と仲良しなのに珍しいね。」
「いや仲は良いんだけどね。」
時量さんと話したい。
あの日の時間屋の、あのひっくり返る感覚。
大きな砂時計の振動、そういう、あの日体験した不可思議な出来事が、日が経つごとに、まるで夢だったかのように薄れていく気がして、私はどこか焦っていた。
私はあの日のことを、時間屋のことを時量さんと話して、本当のことだったと確認したい。
(時量さんは、どう思ってるんだろ?)
きっと時間屋で私とは違う生き方をしてきた時量さん。
年老いた身体から、急に若返るってどんな感じなんだろう。
私は家族と馴染んでいく時量さんを見ながら、
時量さんにとっての、今と前を、目を閉じて想像してみる。
「おい、久谷。」
(うっ…)
不機嫌そうな声で名前を呼ばれて、強制的に意識が引き戻される。
声の方向を向くと、クラスメイトの塩川が廊下に立って顎をしゃくって、"来い"とジェスチャーしている。
前の席から見ていた玲奈ちゃんも、塩川の無礼な態度に
「なんだあの態度、シカトしよシカト」と顔を顰めている。
(謎に偉そうなんだよなぁ塩川。)
仕方なく合図に従い廊下に出ると、塩川がだるそうに立っていた。
「企画実行委員の集まり、今日の昼だって。視聴覚室。昼飯持って、来いって。」
「うん、分かった。」
塩川は何が不満なのか、ジトッと私を睨んでいる。
「なに?」
「おまえと企画実行委員とか、怪我の予感しかない。俺部活あるから怪我とかマジで無理だから、巻き込むなよ。」
「あー、はいはい。お守りでも持ってて、私はどうしようもないから。」
塩川とは中学も一緒で、特に仲が良い訳ではないけれど、経験年数のせいか、私がトラブル体質なのを察していて時折こういう嫌味みたいなことを言ってくる。
結局、企画実行委員の話し合いはなかなかまとまらず、放課後まで集まって、下校時間を大幅に過ぎてやっとなんとか収集がついた。
塩川は「あー、部活遅れる、最悪」と言いながらなぜか私をチラッと見る。
こいつは時間が押したことまで私のせいにする気かと、うんざりする。
無視を決め込んで筆箱を鞄に突っ込むと、さっさと下駄箱に向かった。
最近はずっと歩きで登下校している。
帰りに時間屋を見たいからだ。
あの日から、私は必ず、自分が時間屋の建物を視認できることを確認している。
ただ、前をゆっくり歩いて通り過ぎるだけ。
すごく気になるけど、さすがにまた勝手に入る気にはなれなかった。
今日ももうすぐ時間屋のある通り。
いつもより遅れてしまったので、だいぶ陽が傾いてオレンジ色の光が洒落た住宅街の隙間から差し込んで、眩しくて目を細める。
(え、うそ。)
ぼやけた光の中で、花壇に腰掛けた人影を見つけて、急いで走り寄る。
顔を膝に突っ伏すようにして、背を丸めている。
「時量さん」
ゆっくり顔を上げて私を見た時量さんは、微妙に焦点の合わない目で、ぼんやりと私を見上げる。
「…一粒さん。」
「どうしたんですか?こんなところで。」
「一粒さんを、待っていました。」
時量さんは何度か瞬きすると、やっと覚醒したのか、私の方をしっかりと見る。
「一粒さんと、話がしたくて…。」
「話?」
「家では、なぜか、なかなか話せなくて。ここなら学校の帰り道なので、会えるかなと。」
(うわ…顔が、勝手にニヤける)
時量さんも同じ気持ちだったことが、妙に嬉しい。口元に力をいれて顔を抑え込む
「いつから待ってたんですか?今日はおじいちゃんの仕事は?」
「今日はお昼前までで、その後からですかね。」
喜んでる場合ではなかった。
だからこんなにボーっとしてるのか。熱中症かもしれない。
「時量さん、うちに帰って休んでから話しましょう。」
まだ座ったままの時量さんを立ち上がらせようと手を差し出す。
「ちなみに何が話したかったんですか?」
「何を…」
時量さんは一瞬何か考えるように、差し出した手のひらを眺めた後、自分の手を重ねる。
私はその手をギュッと握って引っ張って立たせる。
「何でも、よかったのかもしれません…。」
「え?」
「いえ、なんでもありません。」
(??)
時量さんはもういつもの落ち着きを取り戻していて、さっきの呟きはなかったことみたいな雰囲気だった。
「あの、一粒さんが大丈夫なら、時間屋で話しませんか?」
「…え?いいんですか?」
予想外の提案に驚いて、向かい合って握手みたいな状態でフリーズする。
時量さんも時間屋の方を向いて、前みたいに少し緊張した顔をしている。
「あの後時間がある日に、何度か行って、先代とも話しました。私なりにもあの日の時戻しのことを色々と考えて、たぶん、大丈夫だと思うんです。」
"あの日"を思い出して、私もにわかに緊張してくる。
繋いだ手に滲んだ汗を感じ取った時量さんが、心配そうにしているのが見なくても分かる。
「やっぱりやめておきましょうか?」
時間屋に入ったら、また何か起こるのかな。
時量さんは、どっちなんだろう。
戻りたいのか、このままがいいのか。
(私は…)
「私は、知りたいです。こないだ起こったのが、なんなのか。でも、時量さんが、嫌なら、したくないんです。」
時量さんは僅かに目を見開いてから、私の目を見た。
「私も知りたいですよ。今は時間屋店主でなくなってしまいましたが、この時戻しの原因を知りたいです。」
「じゃあ行きましょう。」
私と時量さんは未知への恐怖と緊張を分け合うように、お互いの手を固く繋いだまま時間屋の引き戸を開けた。




