時間屋への道のり
一緒に時間屋に戻る道のりで分かったことだけど、確かに時量さんは世間のことに無知ではなかった。
私があれこれ指差して、物の名前を聞いても、難なく答えた。
何ならマンホールの形の理由だの、横断歩道の白い線の幅だの、私でも知らない雑学まで教えてくれた。
ただし、知っているのと、実際動くのは別だ。
私はやはり人間は経験が必要だと学んだ。
結論から言えば、送っていく選択をした私は正しかった。
時量さんは確かに、道は正確に覚えていた。
しかし、あっちこっちによそ見して、何度もフラフラと車道側に飛び出ていく。
私は何度も時量さんのシャツを引っ張った。
信号を渡る時、車の信号と歩道の信号どちらを見るべきか分からず、放っておいたら永遠に渡れなかったと思う。
大きな配送車とすれ違った時は完全に硬直していたから、私が車道側を歩いた。
それでも、時量さんはずっと楽しそうだった。
信号も、配送車も、教えてあげるとさらに色々質問してきたし、
図鑑で知っていた植物を見つけるたびに、全部初めて見たと嬉しそうに教えてくれた。
そんな感じで終始ふわふわと楽しそうにしていた時量さんが、時計屋が近くなると、口数が少なくなった。
私が何を話しても
「ああ、そうですね」と心ここに在らず。
「ここから私の学校も近いんですよ」
「ああ、そうですね」
「買い物とかはどうしてたんですか?」
「ああ、そうですね」
「もしかして、ごはん食べないんですか?」
「ああ、そうですね」
「…時量さんは、イケメンですね」
「ああ、そうですね」
「時量さん!!!」
ハッとして、「すみません、何か言いました?」と答える時量さんは、あからさまに目が泳いでいて様子がおかしい。
「どうしたんですか?」
「いや、時間屋に、"帰る"というのは初めてで。帰れるのかな、と。」
「場所分かってるし、帰れるんじゃないですか?…あ!」
先ほどの会話を思い出す。私から時計屋に行けない理由。
条件を満たさないと入店できないと。
条件はまだ聞いてないけど。
「時量さんは、大丈夫なんじゃないですか?店員さんなんですよね?」
「そうだと思うのですが、時戻しで先代が戻った以上、店主は先代、私は今は立場的には後継でしょう。当然後継の時も時間屋には居たので、大丈夫だとは思うのですが…」
「ん?時量さんは、産まれたときから時間屋さんで、先代さんも?」
「そうですよ?」
先代さんは、気絶して起きた後に奥から出てきたおじいさんだよね。
おじいさんバージョンの時量さんととても似た気がする。
「先代さんは、もしかして時量さんの、お父さんですか?」
「そうですね。」
亡くなったお父さんが生き返って会えたのに、私を追いかけるために、すぐお店出てきちゃったんだ、時量さん。
そしてもしかしたら、二度とお店に戻れないかもしれないわけで。
私は身勝手な自分の行動を、初めてこの時本気で悔いた。
そのまま私たちは言葉少なに、短い道のりを歩いた。
二人ともあまり遠くは視界に入れないように、下ばかり見ていた気がする。
到着しても、私は怖くて顔があげられない。
はぁー、と時量さんのため息が聞こえたけど、その息遣いからは喜びなのか悲しみなのか、感情なのか読み取れない。
えいや!と覚悟を決めて首を振って横を見ると、先ほど見たばかりの木造の小さな家は、きちんとそこに在った。
「…時量さん、よかったね。」
「そうですね。」
「お父さんに、ちゃんと会えるね。」
「…あぁ、そうでしたね。」
時量さんは、今言われて気がついたらみたいな顔をしてた。
時量さんは、ミステリアスなようでいて、意外と好奇心旺盛で、嬉しい時はモロ顔に出てるし、なんだか無垢な幼児と対峙しているような、毒気を抜かれるような気持ちになる。
(変な人だなぁ…)
さっきまでと変わらない感想だけど、今はこの変てこさを、もっと見ていたいような不思議な感じ。
時量さんが引き戸の取手に手をかける。
「あ。」
「?!」
時量さんの背後で、勝手にその背中から伝わる緊張に、つられて緊張していた私は、予想外の声にびくっとする。
「一粒さんは、中に入らないでくださいね。」
「え?」
時量さんは少し困った顔をして、引き戸に手をかけたまま振り返って、私のことをじっと見る。
「今回の時戻しは、あなたの言う通り、一粒さんが原因の可能性が高いです。あなたの何が起因するか分からない限り、一粒さんはこの店の中に入らない方がいい。」
「あ、…そうなのかな。……。」
確かにそのとおりだし、いつもの私なら安全を優先して即刻時間屋から離れるだろう。
なのに、私の中で、好奇心とは別の、言葉に昇華できない、やり切れないような何かが心と口を重くして、黙って俯いてしまう。
「私は一粒さんに、消えてほしくないです。」
そう言った時量さんの声は、諭すようで、その表情は私への心配を物語っていた。
私は、こういう顔をよく知っている。
本気で私を心配する、優しい人が見せる顔。
こういう時は、私のためにも、周囲のためにも、私が引くのが一番良い。
それが正しい。
「今日はもう帰ってください。」
「…」
「一粒さん。」
「時量さんが、扉を開けて入れたのを確認したら帰ります。」
拗ねた子供のように、黙り込んで動かない私を見て、時量さんは、うーんと悩む。
何か結論を出される前に、私は慌てて建て前を探す。
「あっちの!離れた通りから見てますから!…だって時量さんが、もし、その入れなかったら、時量さんどこに行くんですか?」
「そうですね、公共施設か、どこでしょうね、このあたりにもう森はないですか?
(森って?時量さんは野生動物?)
愕然として、脳内の森の中で丸まって寝る時量さんのイメージを振り払いつつ、否定の意味で首を振った。
時量さんは困ったなと呟いて、また考える人のポーズ。
「とにかく、あっちから見てます!もし大丈夫だったらちょっと一声もらえれば帰るので!無理でも適当にちょっと待ったら諦めて帰るので。」
この話を打ち切るために、適当に言い訳した私は話すだけ話して、いかにも素直そうな顔をしてその場から数歩づつ後ずさる。
(素直に帰る気なんて、ないけどね。)
「分かりました。もしすぐに私の反応がなかったら、すぐに帰ってください。もう日も沈んできている。」
「…わかりました。」
「あと、その場合も二度と入ろうとしてはだめですよ。」
「…」
「約束してください、一粒さん」
「…分かりました。」
「ありがとう。」
時量さんの安堵した顔を見たら、私の心の中の反抗心がへにゃりと軸を失って倒れた気がした。
(…嘘つきたいのに。帰るしかないじゃん。)
私が距離をとって離れたのを確認すると、時量さんはもう一度引き戸に手をかける。
緊張する隙もないほど、引き戸は滑らかに開いた。
中から柔らかい灯りが漏れている。
時量さんは私の方を見ることなく、そのまま扉の奥に入って、扉は閉じられて中の様子は分からなくなった。
私は腕時計を見る。
一応お母さんには外に出てくることは言ってあるけど、遅くとも十八時には帰宅しないとおじいちゃんやお兄ちゃんあたりが探しに出てしまうだろう。
ここまで二十分くらいだから、少なくとも十七時四十分までは、ここで時量さんが出てくるのを待つつもりでいた。
時量さんはすぐ帰るよう言ってたけど、私にとっての"すぐ"は一時間ちょいって話なだけだ。
だって、あの人絶対行くとこ無かったら、森行くし。
そんな心づもりで腰を据えていた私だが、10分も待たずに時量さんが時間屋から出てきた。
手に風呂敷包みを持っていること以外は、さき程と何も変わっていない様子にホッとしながら、私は時量さんに走り寄る。
「どうでした?!会えました?!」
走ってくる私に気づいた時量さんが、途方に暮れたように見えて、思わず速度を落とし損ねて若干ぶつかってつんのめる。
時量さんは慌てることなく、私の腕を軽く支える。そして、どこか呆けたまま、話し始める。
「ああ、会えたのは、会えたのですが…」
どこか歯切れが悪い。
「調子が、良くなかったんですか?」
一度死んで生き返ったなんて特殊な状態、もしかしたら何かあったのかもしれない。
「いえ、調子は、むしろ良すぎるというか。なんなら生前の関節の痛みが嘘のように無いと。」
「それは、良かったのかな。」
「ただ、私が追い出されまして。」
「それはそれは。…え?追い出された?」
「今の私は時間屋に居ない方がいいと。あと、一粒さんにどんな影響がでるか分からないからそばに居るべきだとも。」
「私が居たところで出来ることもないのに…」と腑に落ちない様子で呟いている。
「追い出されたって言っても、行くあてなんて…」
と言いながら考えるポーズの時量さんをチラと見る。
「お金とか、あるんですか?」
「お金は、まぁ一応持たされましたが、住宅を購入するのは、難しいかもしれませんね。」
「もう一回、お父さんと話してみます?」
「あんなに頑固な先代は初めてです。おそらく難しいかと。」
二人でしばし沈黙。
「あ!」
「?」
「うちに住めばいいですよ!私の様子も見れるし。うち、無駄に大きいから客室あるんですよ!たまにおじいちゃんの遠縁の友達とか、お父さんの仕事の人とか何日か泊まることあるし」
「それは、有り難いですが…」
「そうしましょう!じゃあ今から一緒にうちに戻りましょ!」
私は素晴らしい思いつきに高揚した気分で、戸惑う時量さんの手を引っ張って、スキップしながら家路を辿った。




