不思議な青年 時量至
ゆっくりと
揺蕩っていた意識が
身体の中に戻ってくる
なんだっけ?
これは、私。
私?
頭と身体がまだ微妙にぶれているような。
だめ。
薄れる意識に意味の分からない怒りが湧いてくる。
私、起きる。
気合いが打ち勝って、電気が走ったようにバチっと瞼があいた。
ぼんわりした視界に、徐々にピントが合っていく。
木目の見える天井。
覗き込む灰色の瞳の青年。
「…誰?」
「君こそ、誰ですか?」
私は仰向けに寝転んでいたようで、片手を床について気だるい体を鞭打ってなんとか上半身を起こす。
私が起き上がると、青年がささっと正座の姿勢のまま半歩ほど後ろに身を引いた。
そういえば、固い木の床に頭を転がしていた割に痛くない。
さっき移動する前の位置からして、もしやこの人膝枕してくれてた?
チラッと視線をやって青年を見てみるが、静かな目でこちらを見ているだけで、表情からは何の感情も伺えない。
「私は…、」
ん?なんでかスッとでてこない。
何か、言葉の糸口を求めて周囲を見渡すと、傍に見覚えのある学生鞄が落ちていた。
あ、鞄。そうだ、私、制服着てる。
頭の中で小さなヒントのピースがはまって、脳みそが起動する。
「私、学校の帰りで、歩いてたら、今日は暑かったからどこかで休みたくなって。
すみません、勝手にここに入ってしまいました。学生証もあります。」
鞄から学生証を出そうとしたら、外ポケットに入っていた名刺が三枚重なったままぱらりと床に落ちる。
目の前の青年は、私の話を信じたのか、あるいは特に興味がないのか、私が差し出した学生証を受け取らず、床に落ちた名刺を拾って眺めていた。
三枚ともひっくり返して、裏も表も静かに見聞している。
色素がとても薄いのか、先ほど至近距離で見た瞳といい、髪の毛も目も、真っ黒な私の髪と目と比べると、かなり灰色がかっている気がする。
肌もとても白いし、男の人にしては髪の毛が長く、後ろで束ねていて、たぶん顎までのボブの私より長い。
なんか浮世離れした人だなぁという感想を持ちながら、彼が名刺に夢中な間、暇を持て余してジロジロ観察していたら、こちらに目を向けた青年とばっちり視線が合ってしまう。
「学生さんなのに、仕事をしているんですか?」
「いえ、してないです。」
「??」
じゃあ、なぜ?という顔をしてこちらを見たまま青年は口を閉じてしまう。
なんかペース掴めない人だな。
「あ!その名刺は、轢かれそうになった時にもらって。」
「三枚も?全員違う会社で、違う名前だけど。」
「三台に、轢かれそうになって。」
少し驚いた顔をしたまま、また青年はフリーズしてしまう。
私はそのまましばし待ってみる。
「君は、そういう経験を、思い出にとっておく方なんですか?」
今度は代わりばんこのように、私が驚いて固まる。
なんだその斜め上すぎる推理は。
「いや、そんなわけないじゃないですか。三台とも今日ですよ。」
「え、そうなんですか、でも、そっちの方がそんなわけない出来事だと思うけど。そういうこともあるのかな?」
「いえ、まぁ、確かにあんまり無いと思います。」
また私の返答を受けてか、しばし首を傾げて思案する。
「この辺りってもしかして、ものすごく交通量が多い地域なんですか?」
「そんなことないですよ、静かな住宅街です。」
「そうなんですね。じゃあ君の体験はそんなに起こりうることじゃないのか。」
「??」
なんか会話は成立してるんだけど、理解が噛み合っていないというか、何か食い違いを感じる。
この人、ここに居たけど、たまたま居ただけで、普段は居ない人なのかな?
交通量とか、見りゃ分かるだろうに、変なこと聞く人だな。
その時、奥の扉からカタリと物音がして、向き合っていた私たちは二人して、物音のした方向に視線を向ける。
扉が開いて、老人というにはやや若いくらいの年齢感の男の人が出てくる。
さっき意識を失う前に見たおじいさんと、顔立ちも、色素の薄さもとてもよく似ている。兄弟とか、血縁者にしか見えない。
ぼんやり眺めていた私とは裏腹に、青年はガタリと立ち上がり、その姿を見て驚愕しているようだった。
「…先代、…なぜ!」
そのままハッとして自分の手のひらを見て、何かを確かめるように自らの顔を触っている。
私は、青年の態度の急変に戸惑って、どうしていいか分からず、その場で立ちすくんでいた。
青年はもう一度、凝視するようにおじいさんを見る。
おじいさんの方はさして動揺した様子も無く、その場で立ち止まって青年を眺めていた。
先に口を開いたのは青年だった。
「…これは、どういうことでしょうか?」
「おそらく、時戻しが起こった。正しくない方法で。私も存在しているということは、空間か、あるいは世界ごとか。」
「…空間?でも、…彼女は戻っていない。時戻しの前のままの姿ですよ。」
「本当か?」
「はい、時戻しの揺れの前に一瞬だけ見ましたから。」
2人の会話の内容が全く理解できず、不安が高まってくる。
私の何かが、2人の考える法則性の中で異質なものになっているようだ。
トラブル体質の人生なので、こういうことはよく起こる。
"なぜこんな事故が"
"考えられない"
"普段とは違った"
"なぜ助かったのか"
"奇跡だ"
この手の疑問をいくらぶつけられたところで、私に中に答えの用意はない。
答えの出ない疑問で生まれた、やり場のない不安が、原因である私に向けられることも少なくはない。
私はこういう時のベストな対処法を身につけている。
三十六計逃げるにしかず
ともかくヤバくなったら逃げ出せば安全という、古来より伝わる優秀すぎる策である。
「あの、私、帰りますね!お邪魔しました!」
床に落ちていた鞄を奪取して、バネのように立ち上がった勢いのまま、引き戸にとびつくようにして、開けて外に飛び出す。
そのまま、勢いを緩めずに走りだす。
「待って!」
背後から青年の声が聞こえたけど完全無視。
我が身が大事なので聞こえません。
現役女子高生の脚力侮るなかれ。私は小学生からリレ選の常連だぞ。
猛烈ダッシュで住宅街を走り抜け、自宅に続く直線の街路樹の通りが見えたところで心の中のゴールテープを切った。
「はぁ、はぁ、早すぎる……」
(…え…?)
振り切ったはずの声に、両手をあげて喜びを噛み締めた姿勢でゆっくりと背後を振り返る。
アッシュグレイの髪の青年が、両膝に手をついて前屈みになって、肩を上下させながら乱れた呼吸を整えていた。
「うそでしょ…、」
自信のあった逃げ足に、いとも簡単に追いつかれたこと。
青年が静かそうな、ぼうっとした雰囲気の見た目に反してここまで走って追いかけてきたこと。
そうまでして追いかけられるほど、自分がしでかしたことの何かが重大である可能性。
全部が嘘であって欲しいと、感情が処理しきれず、青年を目の前にしたまま、棒立ちになる。
ゆっくりと身を起こした青年は、私の不安とは裏腹に、これから人の失態を責める人間の空気とは思えないほど穏やかな顔をしていて。
何なら、なぜか彼の表情の方が、よっぽど不安気にすら見えた。
青年は、息を整えて上体を起こすと、まず私を見て、今度は静かに辺りを見回して、その瞳を眩しげに細めていた。
「はぁ…。…外、出てしまった…。」
「…え?」
何を言われるだろうと、身構えていたら、なぜか目の前の口からでたのは万感の思いを込めたような深いため息と、よく分からない感想。
拍子抜けして、再び逃げることも忘れて、青年を見つめ返す。
「あ、いや、何でもないんだ。君と、まだ話さなきゃいけないことがあって。追いかけてきたんだけど。こんなに急いで、何か用事が?」
「いや、その…家に、帰るだけ、です。」
(なんかやばそうだったので、逃げました、とは言えない…。)
後ろめたくて思わず視線を逸らすけど、青年は特に気にする様子もなく、会話を続ける。
「そうですか。…じゃあ、少し話せますか?時間屋は、今は危ないかもしれないから。どこだろう、どこか話す場所って、…どこなんだ?」
青年は立ったまま考える人のポーズで、またフリーズしてしまった。
なんというか、マイペースな人だな。
どうやら雰囲気からして、私をこれから訴えます!という感じでもなさそうだ。
(話だけなら、聞くべきかな?…たぶん、私が悪いんだし…)
「うちが近いので、うちでもいいですか?遅くなると家族も心配するので。」
「…いいんですか?…分かりました、お邪魔させてもらいます。」
青年はちょっと嬉しそうな顔をした。
(なんか、悪い人ではなさそうだけど、変わってるな…)
そこから家までの道のりで、私たちは簡単な自己紹介をした。
名前は久谷一粒。高校二年生であること。
「一粒って書いて一粒って読みます。変わってますよね。」
名前に関して、いつも変わっていると言われるので、つい癖で先回りして説明する。
「変わっているかどうかは分からないですが、私はいい名前だと思いました。」
青年は、励ましとも、照れともとれない無表情なのに、真っ直ぐ目を見て褒めてきた。
ただ名前の文字への感想だと、自分に言い聞かせつつも、ちょっとだけ、むず痒いような気持ちになって俯いて目を逸らしてしまった。
青年の名前は時量至というらしい。
なぜか彼は、自分の名前を名乗る時、口ごもって、一瞬ど忘れしたものを思い出すような素振りをした。
なんというか時量さんは最初の印象から一貫して、ずっと変わった人だ。
時量さんは、私の家までの道のりの間も、話している間も、ずっと忙しなくキョロキョロと周囲を見ていた。
「何か珍しいものでもありました?」
「えぇっと、どこもかしくも見慣れなくて。」
かなりありふれた、ごく一般的な街路樹の通りだと思うけど。銀杏の街路樹は、秋になり紅葉すると毎年綺麗ではあるけど、初夏である今は見とれるような風景でもない。
ところどころ建っている住宅も特に変わった作りのものとかはないけどな。
「もしかして、時量さんって最近まで海外に住んでました?」
「いや、産まれてからずっと時間屋に住んでいます。」
時間屋?…あそこ時計屋さんだったのか、と私は1人判明した新事実にひそかに驚く。
確かにどでかい砂時計あったけど、普通の時計あったかな?
私が改めて時量さんの方を見ると、今度は脇を走り去る自転車にビクッとした後、その姿を振り返って見つめていた。
(そんなにうちの近所って変わってる?普通の場所だよね?)
首を捻りながら歩いていると見慣れた我が家がすでに目の前だった。




