久谷一粒
白昼夢を見た。
サラサラと落ちる白い砂越しに。
灰色の髪の青年の後ろ姿が見える。
私はそちらに手を伸ばすけれど、どうしても砂に阻まれて触れることができない。
早く
早く
近くに行きたいのに
その人の背中がひどく寂しそうに見えたから。
キキィー!ギャギルルルルルルル
力任せのブレーキが奏でた、金属同士が擦れ合うけたたましい不協和音が、平穏な住宅街に鳴り響く。
昼間の往来の少ない時間帯とはいえ、まばらに歩いていた通行人はその異常事態に一瞬息を呑んで静止する。
(??…時間が、…止まってた?)
最も驚くべきはずの場所に位置していた私は、白昼夢から覚めた直後のせいか、いささか場違いで、呑気ともとれる、そんな感想を抱いていた。
なぜか。
答えはシンプルで、慣れているから。
先ほど私の鼻先スレスレを通過した自動車の運転席のドアが開き、慌てた様子の若い男の人が車外にでてくる。
「大丈夫ですか?!すみません!ちゃんと見てたはずなのに!」
男の人は顔色悪く、私の安否を目視で確認しながら早口で状況説明する。
「どこも怪我は無いです。よくあることですよ。私は大丈夫なので、落ち着いてから運転してください。」
「え?…そうなんですか?あの、一応連絡先を。」
スーツのポケットをゴソゴソして名刺入れを取り出して、一枚私に差し出してくれる。
「本当に1ミリも当たってないんですけど。もらっておいた方が形式上良いんですよね。じゃあ、もらいますね。」
淡々と受け答えする私に、戸惑ったままの男性に会釈をして歩いてその場を去る。
(逆に、すみませんって感じなんだよね。)
私は幼い頃からありとあらゆるトラブルを磁石のように引き寄せた。
プールでは故障した排水溝に吸い込まれそうになり、遠足バスが謎の落石にあったり、それこそ車には両手で数える以上に轢かれかけた。
それでもこんなに命の危機に何度も遭うわりには、必ずなんだかんだとギリギリ回避しているから、今も五体満足で生きていられてるわけで。
私、久谷一粒の16年は幸運なのか不運なのかよく分からない人生だった。
ただ、今日は多すぎる。
私はため息を吐きつつ、3枚目の名刺を学生鞄の外ポケットに入れる。
実は今日轢かれそうになったのは、行きも合わせて、さっきの車で3台目だったりする。
(やっぱりこうなったか…。)
昨晩深夜に大きな雷が落ちた。
うちの庭に。
まぁそれ自体は、"私には"何の被害も無かったんだけど、庭は大ダメージで、家族はわたしが今日外に出るのをかなり心配した。
お母さんなんかは、絶対に家に居るように言ったけど、普通に平日だし、学校は定期テスト当日だったから休むはずもなく。
(別に積極的に行きたいわけじゃないけど、休んだところでなぁ。)
どうせ家に居たところでトラブルが起きる時は色んな形で起きる。
私は気をつけるからと、何度も約束して、せめて交通機関を避けて、徒歩で通学することにした。
学校までは、電車で15分、徒歩では30分かかる。
これでも1番家から近いという理由で進学を決めた。
三十分の徒歩も散歩と思えば、気持ちが良い。
ただし、
気候がいい時であれば。
(あっつ〜〜。)
まだ5月のはずなのに、太陽がジリジリと強烈な紫外線で地上を攻めてくる。
なんとかテストを無事終えての帰路は疲労感も増している。
まだ夏服に変えていなかったため、生地の厚い制服のジャンバースカートが足にまとわりついて熱がこもる。
いつもは閑静で歩きやすい住宅街も、こうも暑いと、コンビニやスーパーの避暑スポットが無いことが残念でならない。
頭も朦朧としてきて、次に車が突っ込んできたら、いつもの鍛え抜かれた反射神経で避けられる気がしない。
(どこか、少しでも涼しい場所を。)
日陰でも、と、周囲を見渡すと、見覚えのない、木造の小さな建物があった。
表札は見当たらないし、作りも住宅にしては小さすぎる。
薄茶色の木の外壁に、左右にある窓には格子のような規則正しい細工が嵌め込まれている。
中央の尖った三角の屋根に、扉の前の砂利と飛び石。
比較的おしゃれで現代的な住宅街で、明らかに異質で、そこの空間だけまるごと時代から取り残されたみたいだった。
少し飛び出た作りの屋根の軒先に、燈籠のような物が吊るしてあって、去年の夏にお祭りで行った神社を思い出した。
あの時は屋台のガス漏れ騒ぎがあって、結局何もせずに蜻蛉返りした。
(食べてみたかったなぁ、広島焼き。)
そんな物思いに耽りながら、建物の中を覗きこもうとしたが、薄暗い上に、格子窓の隙間からは様子は見えない。
どう見ても民家じゃないし、お稲荷さんみたいな社的なものだろうか。
暑すぎるし、入ってみようかな。
もしお店じゃなかったら、謝ればいい。
そもそもダメなら扉も開かないだろうし。
暑さで頭がショートしてしまったのか、普段の私の思考回路じゃ絶対に至らない大胆な思いつきに、逆にワクワクしてくる。
好奇心も後押しして、理性はどこかに追いやられてしまった。
玄関の引き戸に手を掛けると、カタカタと、軽い音がして、その古めかしい様相から想像してたより、ずっと滑らかにすんなり開いた。
扉の振動に共鳴するように、カランとガラスの揺れる音がして、目で追いかけると、先ほども見た釣り燈籠がゆらゆらと揺れていた。
よく見たら、燈籠じゃなくて、砂時計だった。
(…なんで、こんなところに砂時計?)
ガラスの中の砂が、下に溜まったまま、揺れる光を反射していた。
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「…こんにちはー…」
なんと声を掛けて入っていい類の建物か分からず、とりあえず不審者にならないように、ちゃんと挨拶をした。
屋外の炎天下にいた反動かもしれないけれど、室内はひんやりしていた。
「あのー、…すみません、」
一歩踏み出すと外観と同じく板張りの床がわずかにキィと軋む。
引き戸を完全に閉めると、陽光が遮られて、照明の少ない室内はかなり薄暗かった。
「誰か、いませんかー…?」
目を凝らして周囲を見渡す。
見づらい視界にも関わらず、圧倒的に異質な存在感のそれに、すぐに視線が奪われた。
とても大きな砂時計。
明らかに見たこともない大きさ。
たぶん私よりも背が高い。
透明度の高い透き通るようなガラス。
寸分も違わぬ左右対称で、曲線の形一つとっても、人の手から作り出されたとは思えぬ精密さがあった。
白い砂が、下の空間に小さな小山を形作っている。
何年も、そのガラスの中で、一粒も姿を変えたことがないような、そんな静謐さをまとっていた。
周囲を囲うように、金属製のだ円の環がついていて、環は稼働できる作りなのか、唯一少しだけ小さく揺れていた。
ここが神社の類でない事はもうなんとなく察していた。
でも不思議と怖いとか、怪しいとか、そういう空気は一切なかった。
(…音が、ここだけ全部消されたみたい。)
その静寂の中で、対照的に私の心臓の鼓動が身体中に反響して、うるさいくらいだった。
(なんでだろう、これを見ていると、ドキドキして、苦しい…?)
普段の私は結構常識的だし、トラブル体質なこともあって、訳のわからないものに勝手に触ったりなんて絶対しない。
(…なんでだろ)
絶対に私は、あれに、触れなければいけない。
そんな焦りに掻き立てられる。
一歩、また一歩と、足を本能が動かして大きな砂時計に近づく。
もうあと少し手を伸ばせば触れられる距離まできた。
震える腕を上げて、あとガラスに触れるまで紙一枚分くらいの一瞬
カタリと、音がして、奥の扉からおじいさんが私を見ていた。
大きく見開かれた灰色の瞳。
(…きれいな目。)
その瞳は年齢にそぐわないほど澄んでいて、私はその人と見つめあったまま、驚いた拍子で、気がつけば砂時計に指先が触れていた。
そして、そこから何も分からなくなった。
(何か、震えてる?)
ガコンと音がして、大きく空間が揺れた
揺れたというよりひっくり返された。
身体が大きく投げ出されるような浮遊感。
おじいさんが必死に手を伸ばしてくれる姿が最後に見えて、私の意識は闇に沈んだ。




