三坂神社
フッと何かの合図みたいに、唐突に目が覚めた。
寒いな、と思って自分の体に意識が向くと、夜かけて寝たはずの布団が足元に丸まっていた。
秋も深まってきていて、さすがに明け方は布団なしでは寒い。
高校生にもなって未だに幼児のような寝相の自分をおかしく思いつつ、風邪をひきたくないのでさっさと眠い身体を気合いで動かして、服に着替える。
今日は文化祭の最終日だ。
昨日、帰ったら時間がかなり遅かったこともあり、残しておいてもらった夜ご飯を食べてすぐにお風呂に入って自分の部屋に引っ込んだ。
何となく塩川のことが頭に引っかかり、いつものように客室に行く気にならなかった。
いや、本当は時量さんに全部聞いて欲しかった。
でもそれを聞いた時量さんがどんな反応をするか考えると、なんだか話すのが怖いと思って行かなかった。
(もし、よかったですねとか、言われたら、ちょっと立ち直れないかも。しかもすごい言いそうだし。)
今日何気ない感じで話してみようかなと思いつつ、制服に着替えて階下に朝ごはんを食べに行く。
食卓にはお父さんと、お母さん。
おじいちゃんはいつももっと早く食べるからいないし、お兄ちゃんは逆にもっと遅いからまだ寝てる。
時量さんはおじいちゃんと同じ早く済ませるけど、私が降りてくると挨拶にきてくれることも多いけど、今日はいないのかな?
『おはよー』
『おはよう、パンでいい?』
『うん、あ、柿もあったりする?』
『ないのよー。ちょうど熟れてるやつが全然なくて。』
『あ、昨日時量さんが持ってきてくれたから熟れてるやつ、全部もいだのかな。』
『トキサカさん?お友達きてたの?』
『え?』
お母さんが不思議な顔で私を見返す。
私だってキョトンとする。
『?』
『?』
2人でハテナを浮かべていると、お父さんが『遅れるぞー』と言ったので私は壁の時計を見て、慌ててパンを齧って飲み下す。
カバンを持って玄関を出て庭を見ると、相変わらず背が低くなって保定具をつけられた御神木。
いつも朝の庭掃除をしていた時量さんは居なくて、おじいちゃんが居た。
『おじいちゃん、時量さんは?』
『ん?誰だそれ。そんな苗字のやつは従業員にいないが。その苗字、どっかで見たことあるな。』
『……なんでもない。いってきます!』
私は地面を蹴って走り出した。
まだ数秒しか走ってないのに息が苦しい。
心臓がバクバクと身体の中を叩く。
私はすぐ分かってしまった。
"正されて"しまったんだ。
私を消すんじゃなくて、時量さんを消してしまったんだ。
違う。もしかしたら。
走り通しだったからすぐに目的地に着いた。
いや、
目的地は、もう無かった。
時間屋があった、その場所は、
両脇の背の高い住宅が隙間なく並んでいるだけだった。
___時はいつだって流れていく。
"光陰は百代の過客なり。"
まさに光と陰をつくりながら、
泣こうが笑おうが死のうが生きようが
過ぎ去っていく。
あたりまえに。
『でも私、そんなにあたりまえじゃなかったし。』
水に溺れかけ、落石を逃れ、落下をギリギリで耐え、ガス爆発を寸で逃れ、日々交通事故を回避して、なんなら細胞レベルの分裂まで回避して、
頭は冷静に今までの短い半生を振り返って、
首から下げた小さな砂時計を握りしめた。
拳に力が漲っていく。
時量さんは自分が自由にできなかったことを、一度も何かのせいみたいに言わなかった。
そして、本当にそう思っていないみたいだった。
たぶん時量さんは長いこと我慢し過ぎて、抗うことすら忘れてしまったんだろう。
姿のない、流れていく時を挑むように睨みつける。
私はいい。
根性でなんとかするし、家族も力になってくれる。
時量さんは、時量さんすら時量さんを守ろうとしないのに、何してくれちゃってんの?
私はカバンからスマホを取り出すと、玲奈に"ちょっと風邪気味だから休むね、先生に伝えておいて"とメッセージを送る。
送信済みを確認すると、
通学路を外れて、きちんと左右の道路を目視で確認してから、三坂神社に向かって走り出した。
まだ朝ともいえる時間の三坂神社に人気は無く、どこか神聖な空気とも言えなくはなかった。
古いのかもしれないけど、塗り替えなども行われているのか、経年的な衰えを感じさせない立派な神社だった。
(どこにいるのか、どうやって会えるのかも分かんないけど、とりあえずここが一番可能性がある気がする…。)
真っ赤な神社の社をくぐって、砂利の敷き詰められた敷地に入っていく。
社殿の小さな窓口は閉まっているけれど、横に呼び出しのインターホンがついている。
意気込んで押そうとして、しばし踏みとどまって時量さんの考えるポーズをしてみる。
突撃訪問した女子高生を、果たして神社の人はまともに対応してくれるか。いや否。
しばし1人脳内作戦会議をしていると、エンジン音がして、つられて目線を向けると、なんと見慣れた大型ワゴン車が隣の駐車場の敷地に乗り入れてきて止まった。
思わず悪女のごとく暗い笑みを浮かべ、ワゴン車に近寄ると、案の定運転席にはおじいちゃんがいる。
『一粒?おまえ、学校はどうした?文化祭じゃないのか?』
『おじいちゃん、私今学校より大事なことしてて、手伝って欲しいです。』
『何を言ってんだ?』
おじいちゃんは動じてはいないけれど、素っ頓狂なことを言う私に、怪訝な顔を向ける
『そんなに難しいことじゃなくて。おじいちゃん今朝、時量って苗字見たことあるって言ってたでしょ?あれって三坂神社の家系図なんでしょ?』
おじいちゃんは唐突すぎる私の指摘に、一寸脳内を探すように固まったが、すぐに点と点が繋がったのか、理解を努めるように私をしっかりと見る。
『確かにそうだ。今言われて思い出した。話題の戯れで見せてもらった家系図に書いてあって珍しい苗字だったからな。』
この話は"時量さんが消える前"に、おじいちゃん自身が話していたことだ。
私はちゃんと覚えていた。
けど、このあと一体どう説得すればいいのか。私は最初の勢いを失って、しどろもどろ説明する。
『ある人が、今大変で。でもどう助けていいか分からなくて、家系図から何か分かるか私も見たいの。頼んでもらえないかな?』
おじいちゃんは明らかに困惑していた。
でもおじいちゃんはいつだって危険を未然に防ぐよりも、私の意思を尊重しようとしてくれた。たぶん、もうひと押し。
私は首の紐を引っ張って、服の中にしまっていた小さな砂時計を見せる。
『これ、うちの折れたムクロジの木で、その人が作ってくれた。お守りって。中の砂も御神木を細かくしたやつなんだって。』
説明しながら、これを言葉にすること自体がまるで今ここに居ないことの確認みたいで、ちょっと泣きそうになる。
(でも、今はまだダメだ)
おじいちゃんは黙っていた。
『その砂時計少しだけ見せてくれないか?』
私は砂時計を首から外して、差し出されたおじいちゃんの手のひらに乗せる。
おじいちゃんは少しだけ、砂時計の台座に指をそわせたり、目を細めて見て、数秒ですぐ返してくれた。
『こんなに小さく切り出されてたら、分かるわけもないんだがなぁ、確かにそれはうちの御神木様の気がする。』
おじいちゃんは不思議そうに首を傾げてから、『よし』と呟くと、背を向けてズンズン社殿の方に向かった。
『ついてこい一粒。話をつけてやる。』
『ありがとう!』
おじいちゃんがインターホンを押して、神主さんらしき人を呼び出し、特に理由を説明することなく、以前見せてもらった家系図を孫に見せて欲しいとお願いすると、神主さんは快く承諾してくれた。
社殿の中に通されると、中は案外普通のロビーのようになっていて、受付の脇に簡易的な応接セットみたいなソファとローテーブルがあった。
そこに神主さんが奥から持ってきた家系図を広げてくれる。
『これが分家で、本家の図はこちらですね。』
長く枝分かれする図の端で、どことも繋がらない名前が書かれている。
"時量"
そしてその名前の上に書かれた
"時量師神"
『あの、これは?』
『ああ、これはですね、うちの家系と直接関係あるわけではないのですが、こちらの時量師神という神様の分社がうちの敷地にあったようなのですが』
『ここに?!』
私の食いつきように、神主さんは少したじろぎつつ続きを話してくれる
『今は移されたとかで。おそらくこの苗字だけ受け継いだ方もいたようなのですが、一代かぎりだったのかな?』
『その分社がどこに移ったのか知っていますか?!』
あまりに私が必死なので、神主さんも懸命にで記憶を探ってくれる。
『うーん、詳しくは私も…。待ってくださいね。祖父なら覚えているかも。』
結局神主さんの祖父の記憶では、今は近所の住宅街に、小さな碑が刻んであるはずだと。
私は頭を下げてお礼を言い、また走り出そうとする。
『一粒!』
『おじいちゃん。』
おじいちゃんが慌てて追いかけて社殿から出てくる。
『無茶はするなよ。大変ならちゃんと誰かを頼るんだ。』
『分かってる!』
大丈夫。時量さんのところに行くだけだから。
再び訪れた時間屋のあった場所。
石碑があるならここしかないと思って、周辺をウロウロと探し回る。
幸い人気の少ない住宅街なので不審者に思われることはなさそうだけれども、見境なく他人の敷地を覗きまわるわけにもいかない。
そもそも石碑なんて見たことないし。
石碑、石碑、石、そうか石。
私は足元の石畳を這いつくばって見てみる。
主に時間屋を挟んでいた家々の間あたりを。
途中で這いつくばっていたら、散歩中の子犬と目があって気まずかったけど、私は諦めなかった。
『あ!』
家の日陰になっている上に、おそらく削った文字の上に苔が生えて見づらくなっているけれど、石に何か文字のような刻みがある。
私はその辺の枝を拾って無我夢中で苔を剥がしていく。
"時量師神 分社跡"
『見つけた!!』
『見つかっちゃった。』
四つばいになっていた背中に声が掛けられ、顔を上げると、いつかの神様が立っていた。
『時量師神さんですか?』
私は制服についた土や苔を手で払いながら立ち上がる。
『そうだよ。もうここに来ることはないと思ったんだけど、よく見つけたね、一粒。』
『時量さん、どこに行ったか知っていますか?』
『至は、時の正しい流れに戻されたよ。』
『そこにはどうやって行くんですか?』
『行こうと思っては行けないよ。その時を生きる者が、過ぎるのを待つ場所だ。』
『時量さんが、戻れなくなってるなら、私が行かないといけないんです。だって私たちは、"離れてはいけない"んでしょう?』
私は時量師神さんをじっと見る。
この人が何も知らないはずないんだ。
というかこの人をどうにかするしか私にはもう方法がない。
『君、そんな子だったの?』
『そんな子?』
『聞き分けがないというか、わがままというか、』
神様に、こんなお叱りみたいなことを言われて、本来ならすくみ上がる場面かもしれない。
ただ、目の前の白袴のお兄さんは言葉のわりに、厳しい空気はなく、むしろわざと不機嫌そうな表情を作っているように見えた。
『時量さんのところに連れてってください。あとは自分でなんとかするから。』
『なんとかって?』
『根性で。』
時量師神様はキョトンとしてから、ブッと息を吐き出して盛大に笑った。
『ヒィー、はぁ、はぁ。確かに一粒は頑張り屋だもんねぇ。三十四年も根性で時軸を漂って、また通り抜けて生まれてくるんだもんね。そんな子見たことないもん。君なら至を見つけられるのかな?』
時量師神様は息を落ち着けてから、静かに私を見て頷いた。
『とは言え、私も時間屋も、もう出来ることはほとんど無いんだよ。これが本当に最後の一握り。』
そういうと、片手を拳の形にして、胸の辺りに持ち上げると、その下にもう片方の手を受け皿のようにして添える。
緩めた拳からサラサラと白い砂が光を反射しながら落ちてゆく。
落ちてゆく砂は受け皿に落ちる前に溶けるように消えてゆく。
私は食い入るようにそれを眺めていると、自分もまた、溶けていることに、一拍遅れて気がついた。
『至を見つけたら、今度こそ手を離してはいけないよ。二人と今を繋ぐものがきっと導いてくれるから。』
時量師神も
私も
目の前の"今"が溶けて消えて真っ白になった。




